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華やかなりし「贔屓が居た宙組」の日々⑥

初日。

いよいよ退団公演が始まる。

これが始まってしまったらあっと言う間に終わってしまうのかな。

いつものワクワク感と違う何処となく寂しいような何とも言えない気分だった。退団公演だからか見知った顔が沢山あった。何人か会った贔屓のファン仲間同士とも「いよいよやね」「始まったらあっと言う間やろね」なんて言葉を交わしつつ感極まって涙ぐむ人もいた。早いやろ!!と笑いながらもちょっともらい泣きしそうになった。宝塚でこの人達と同じ贔屓を応援する。これが最初で最後になるだろうから。

長蛇の列で手に入れたマカロンのペンライトの扱い方がよく分からない。点かへんけど?長押しするねんで!と、最低限の言葉とジェスチャーでやり取りをした。いつもの開演のアナウンスが響く。今日この日だけは終わりの始まりを告げるように聞こえた。

贔屓がセンターで得意のタップダンスを披露していた。

万雷の拍手と共にハットを取った贔屓は、今まで見た事がない位の笑顔でちょっとだけ泣きそうな顔にも見えた。嬉しそうな笑顔で走って捌けていく。

この光景はきっと一生忘れないだろうな。

忙しかったな。いつもの初日なら「あそこに出てたね」「ここのシーンは下手側から~」などと言うすり合わせを行う所だが話せない。ただただ、カウントダウンが始まった。それ以上何も言えなかった。楽しさ半分、終わった時の自分がどうなってるのかと思うと複雑な気持ちだった事を覚えている。

某日。

月組さんご一行と観劇が被る。その日の席が通路側だったので、目の前に珠城りょうさんが通ると言う形になった。手を伸ばせば届くくらい近かった。オフのたまきちは意外と肩が小さいんだなと思った。オフだからリラックスしているのだろうか。つい先月見た桜嵐記の勇ましい姿やショーで大きな羽を背負っていた珠城りょうと、目の前を歩くメガネをかけたオフのたまきちが結びつかなくて不思議な気持ちだった。

お芝居の終盤、♪新しい、人生への曲を聞きながら、珠城りょうに思いを馳せた。今まさに大劇場とお別れした珠城さんと、最後の舞台に立つ同期の贔屓を思うと胸がいっぱいになった。たまきちはこの曲を聞いてどんな事考えてるのかな?この世界で肩肘張って頑張って来た14年間、お互いに肩の力が抜けて「女の子同士」に戻った時、時間を気にせずカフェで仲良く語らっていたらいいのにね。

この日ちょっと落ち込む事があったけど、そう言えばそんな時に見た月組さんに珠城りょうさんに救われて今があるよね。たまきちも贔屓も居なくなるけど、宝塚があればきっと人生大丈夫。そんな事を思いながら帰路に着いた。

某日。

このお芝居はどう言う事を考えてるんだろう?どんな意図があるのかな?こだわりはどこにあるのかな?こう言う情報をお茶会がない今はなかなか分からない。想像でしかない。お手紙にこうですか?ああですか?とは書くが、今はお返事が返ってくる事は無い。コロナ禍前なら運が良ければそれとなく語ってくれたりもしたのにな。

計画の失敗に激昂する、計画の進捗状況をやたらと気にする、早く始末して欲しいと焦る。同期3人のキャラクターが反映された役柄。本当はそこん所しっかり聞きたいけど「同期3人が3人らしい役にハマった」事だけを楽しむしかない。”法外な利子を付けて来た借金取りを殺す”って借金した方が悪いやん!ってなるけど、あのお坊ちゃん風情はそもそも「借金には利子が付く」と言う常識を知らないか「闇金ってそう言うもの」と言う事を理解出来ないのかな(笑)

某日。

2階からの風景が大好きだった。貸切公演は積極的に2階席を取るようにしていた。2階席からは沢山の愛のシャワーが舞台に向かって注がれているように見える。退団者に向かって注がれる愛のシャワー。その愛情をたっぷりと浴びてキラキラ輝く退団者達が愛しかった。これが宝塚の美しい餞なのだ。

愛のシャワーの1粒になれる。こんな風に感じられる自分が愛しかった。

某日。

贔屓の視線が忙しい。あの丸い澄んだ瞳があっちこっちに向くのを見ているのをオペラグラスで追いかけていた。退団公演ともなると、普段はなかなか足を運ばないけど多くのご縁のある人たちが集まるであろう事は容易に想像出来る。毎日、この客席の何処かに「お世話になった人」「成長を見守ってくれた人」が居るのだろうか。昔、宝塚ファンの大先輩に「宝塚ってね表にはファンには見えない所で生徒さん達を支えている人達が沢山いるんだよ」と教えていただいた事を思い出した。

律儀な贔屓の事だから、自分のファンだけじゃない「宝塚のファンにありがとう!」を言いたくてキョロキョロしているんだろうなと思うと贔屓らしいよねぇと思った。

某日。

変な夢を見た。贔屓がシャーロック・ホームズばりの変装をしている。背を丸め大きなカバンを抱えて夏なのに冬のコートを着ていた。夜逃げのような風貌だった。そんな贔屓が「ありがとう」と告げに来てくれた。変な夢だったけれども、目覚めた時は幸せな気持ちだった。贔屓に出会わせてくれた人達にお礼が言いたくて「出会ってくれてありがとう」と夢の顛末をLINEした。あの夢は贔屓にもみんなにもありがとうが言いたい私の願望そのものだったのだろう。

某日。

大劇場公演の千秋楽で忘れられない風景がある。

ショーのアップテンポな畳みかける曲に合わせて、ペンライトを持って銀橋に並ぶ。銀橋の立ち位置の向かい側・真正面に、千秋楽名物の白いウェアに包まれたファン達が座っていた。贔屓からすると銀橋の定位置に付き視線をあげた瞬間に「ファンの人達」が見える形になっていたと思う。

目線を上げた瞬間の贔屓、絶対嬉しかっただろうな。幸せだっただろうな。ペンライトを振りながら幸せだ~~~!!と叫んでいるようにさえ見えた。私だって嬉しかったよ。目線を上げた贔屓が満面の笑みになったんだもん。それを対角線上に見られたんだもん。こんなに嬉しい事は無い。

某日。

大劇場千秋楽はお祭りのように過ぎ去ったが、東京公演が始まるのを目前に「いよいよ終わるカウントダウンだ」と言う恐怖感もあった。

某日。

贔屓の瞳が大好きだった。

「男役のメイクに苦労するんですよ」と語る丸くて少し垂れ目気味の瞳。思い返せば贔屓に恋する前からあの瞳が好きだった。研10で大帝国の将軍を演じた時も真っ直ぐと国家を背負う瞳に惹き付けられたっけ。お茶会で目を細めたり大きく見開きながら語ってくれたエピソード。エピソードよりその目の動きばっかり見ていたっけな。

お芝居の中での焦りや罪悪感が瞳からも感じられた。ニッコリ微笑んでいるようで目が笑っていない。アルバイトで出演している群舞、ホームズの幻想の中の一人。モリアーティの不穏な空気に飲み込まれていく様。真っ直ぐとホームズを見つめる瞳が不気味だった。ぎゅっと握った握りこぶしのニュアンスなど贔屓の芝居のディテールはいつだって細かいけどやっぱり瞳で語る人だったな。

ショーの捌け際にさり気なく飛ばしてくれる不意打ちのウインクも、あの瞳に見つめられた後に飛ばしてくれる濃厚なウインクも。ペンライトを振りながらニコニコしている瞳も見ているだけで幸せだったし、マスク越しの妖艶な目線を感じた時は鳥肌が立った。2階席で「みんな~見てるよ!」と語りかけてくれるキラキラした瞳も、笑ってくしゃくしゃと細くなる瞳だって大好きだ。

某日。

贔屓、最後の最後まで「男役に恋をさせてくれた」人だった。

東京の千秋楽間際、最後の1回1回を慈しむように観劇していた。

貸切公演で、宝塚の地でこれ以上に近い場所で見る事は無いと言う席で見た。中詰めの銀橋でかっこよく踊る贔屓を見て雷が落ちたかのように全身が痺れた。途端に呼吸が浅くなった。心臓がドクンドクンと波打つ。熱くなる身体に包まれながら「大好きだ、本当に大好きだ」と反芻した。初めて味わった感覚だった。贔屓のファンになって、ときめいたりキャー!ってなった事は何度もあるけど、こんなに熱い気持ちになったのは初めてかもしれない。男役に恋をするって言う感覚は、別に中の人個人と親しくなりたいとか繋がりたいと言う訳じゃない。「恋に恋をする」そんな感じだろうか。

前楽の日。全国各地から贔屓のファンが集まっているであろう。この日が最後の人も多くいるかもしれない。そんな状況の中でさり気なく2度も目線を送ってくれた。今日こそキョロキョロするだろうと思ったし、今日こそ多くのファンに視線を送りたい日であろう。それにも関わらずだった。「最後まで律儀だねぇ」と笑ってしまったがとても嬉しかった。あの贔屓の真っ直ぐした瞳を何度も思い返した。

最後の日。

朝からムラ組のファン仲間から「いってらっしゃい!」「よき一日を」のLINEを頂く。沢山の人の思いを背に気合の入った白い服で会場に向かう。

あいさつ代わりに「いよいよだね」と言葉を交わす。すれ違い会釈しただけの人も一緒にお茶した人も。終演後に会いに来てくれた人もいた。いよいよだねーと語り合う人達、一緒に並んで観劇した皆さん。贔屓を通じて色んな人と知り合ったものだ。私がこうやって宝塚ファンでいて楽しめて、そして多くの人達と繋がっていられたのは贔屓と出会って「贔屓のファンです」と言えた数年間があったから。

舞台上で見る最後の贔屓は最後まで男役だったけれども、少しずつ男役の魔法が解けていくように見えた。14年間背負って来た男役の鎧はどんなに重かったのだろうか。美しく磨き上げて来た男役の鎧を今この瞬間少しずつ脱ぎ捨てていくように見えた。1つ1つに「ありがとう」を込めながら、丁寧に鎧が外されていく様を見て不思議と悲しいと思わなかった。

男役の贔屓にどれだけの幸せを貰った数年間だったかを思うと胸がいっぱいだった。14年間の中の短い数年間だったけれども贔屓に関われた事。贔屓が巡り合わせてくれた沢山の幸せ。贔屓の14年間の中の小さなパズルの1ピースだったかもしれないけど、私だって贔屓の何処かには生きていたのだと思う。それだけで満たされた気持ちになれる。

もう宝塚の場でその名前を見る事はない。

その寂しさだってもちろんあるけど、それ以上にこれからはいち女性として自分らしく幸せに生きて欲しい。こんなにも沢山の幸せを貰ったんだもの、これからの人生に幸多い事を願わずにいられない。