宝塚大橋の向こうから眺めている③

あの日以来…

いっそ、このまま嫌いになれたら良かったのに。

何度も何度もそう思った。

でも、やっぱり嫌いになれない。

宙組公演の再開が決まって、応援している生徒さんが出演するのならば見届けたいと言う気持ちと、観に行ってもいいのだろうか?と言う戸惑いと、無事に開催出来るだろうかと言う心配があった。

まず、いち宙組ファンの感情としては、カンパニーに起こった痛ましい出来事を乗り越えて、それでも舞台に立ちたい生徒さん達の気持ちを尊重したい。下級生の中でも特に109期の生徒さん達は、殆ど舞台に立つ経験がないまま時が過ぎた。宙組に配属されたが故の不運ではないけれども、他組の同期が舞台に立つ日々を見て不安や焦りがあるだろう。

企業とご遺族との間で合意締結もなされた。内容は色々モヤモヤするものではあったが、これを一つの区切りとして、下級生達の為にも、舞台に立ちたいと望む人達の為にも、次のステップが必要だとも思う。

これだけ世間を騒がせた事件。自分達の愛して信じて進んで来た道を世の中から批判される。どんなに辛かっただろうか。その上で宙組の舞台に立つ。いばらの道を進む事が分かっていても舞台に立つと決めたのだ。その覚悟を応援したい。

その反面で、それでいいの?と思う方達の気持ちもよく分かる。

恐らく、モヤモヤされている方の大半の思いは該当者に対する処遇についてだろう。世間一般の常識とは違う独特の世界で生きてきた人達に「全ては劇団の責任」「教えて来なかった」とするが、彼女達は未成年者ではない。その彼女たちも舞台に立つのか?と疑問に思う人達も居て当たり前だと思うし、嫌悪感を抱いたり、観に行かないと決めた人達も否定できない。私個人としても「社会人としての相応の禊」を求める気持ちと「もう充分に社会的制裁は受けた」「これ以上傷つけて欲しくない」と言う気持ち、両方持ち合わせている。

下級生達の事を思えば、観劇して応援したい。頑張っている・応援している生徒さん達には応援している事をお伝えしたい。批判の目に晒されてほしくないし、ガラガラの空席でパフォーマンスをする辛さを味わってほしくない。でも、やっぱりあんな事があっても客席は埋まるんだ!ファンは来るんだって劇団に思われる事もなんか癪だ。

こんな風に葛藤しているのは、私だけじゃないだろう。

いっそ、嫌いになればいい。関心を持たなくなればいい。

そんな事を、何十回何百回と思った。宝塚歌劇だけが世の中のエンターテイメントではないし、私の人生の全てでもない。現に、あの日から毎月下手したら数日おきに通っていたあの場所に足を運ばなくなっても、スカイステージを解約しても、宝塚歌劇団と言うキーワードを意図的に避けても、特に何も起きなかった。夜勤明けでも馳せ参じる程の宝塚漬けだった生活。無ければ無いなりに普通に生きていける。

けれども、宝塚歌劇からでないと得られないものの大きさも知った。

やっぱり、私の人生で大きな出会いだったし、宙組を応援してきた月日は否定出来ない。歴々のOGさんたちを嫌いになれないし、世間では悪者のように言われているあの人たちとの思い出も沢山ある。あの件で、ファン仲間の中でも価値観の違いや容認できない発言も目にした。何度もお会いした人だったからとても悲しかった。宝塚ファン仲間と会う回数も減った。それでも、繋がっている人とは繋がっている。

劇団に対しては、引き続き厳しい目を向けている。生徒さんやスタッフの労働環境の改善を最優先とした上で、様々な価値観のアップデートを望む。今の時代に合ったものを模索して作り上げて欲しいと願ってやまない。我々ファンの方もだ。暗黙の了解、とか、宝塚歌劇団はこうだから、と言う固定概念から少しずつ柔軟になっていくべきタイミングが来ている気がする。