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アセンション

いつかはそういう星の回りだったというお話。

私は、中学3年生の高校受験期に精神疾患を発症しました。
自分で言うのもあれですが、母校の学年で一番内申や偏差値が高かったと自負していました。
(中1〜発症まで内申オール5、塾の模試では偏差値70越えが普通だった。)
学校でも、塾でも県内の公立トップ校合格をかなり期待されていた節があります。
学校では、学級委員と吹奏楽部部長を兼任していました。部活が終わると、急いで家に帰り、塾に自転車を飛ばして(危ない)行っていた記憶があります。
でも、心を許せる友達も何人かいて、まさか自分が精神を病むなんて思いもしませんでした。
ただ、体は悲鳴をあげていたようで、
夜しっかり寝たはずなのに、学校の授業中急に意識が落ちるように眠ってしまったりしていたのも覚えています。

そんな生活をしていたら今思えば案の定、前期中間テストが終わり、塾の5月模試を控えていた手前で、朝急に体が動かなくなりました。急に泣きたくなったり、自傷行為も始まりました。
学校にも、部活にも、塾にも行けなくなりました。
そんな自分を責める日々でした。
学校の先生に勧められた心療内科で、うつ病と診断されました。

そこからは勉強量が減ったし、授業も受けられなくなったので成績は落ちたり、判定不能の羅列でした。
塾の模試も、怖くて受けられなくなりました。
結局、トップ校とは程遠い中堅の高校を受け、受かったものの入学直後に入院して、休学の末に通信制高校に転校しました。
そこは、進学よりも、就職、専門学校を進路に選ぶ人が多いところでした。

私の昔の将来の夢は外科医、小児科医でした。
亡くなった父方の祖父は、将来ずいに診てもらうんだ、と親戚が集うお酒の席で語っていました。
結局、それは叶わず、癌で亡くなりました。私は何もできませんでした。

10代の頃はそんな過去ばかり見ていました。
もし、もう一踏ん張りできていたら。
部活で最後まですごい先輩であれたら。
塾で講師の期待を叶えていたら。
中学、高校で楽しい日々を送れていたら。
大学で医学を学べていたら。
なんで自分はこうなってしまったのだろう。こんな命なら無くなってしまえばいいのに。消えてしまえばよかったのに。
と。

でも、今はそうは思わなくなりました。
たとえ、その時ではなくたって、私には私の生まれた星があって、地球に生を受けて、星の回りに従うしかなかったのだと。
だから、この試練も、いつかはやってくるもので、それがその時にやってきたに過ぎないのだと。

もしかしたら、行きたい高校に受かったとしても、晴れて医者になったとしても、いつかこの時はやってきたのだと今は思います。

そういう試練が必要だったのです。
自己を、地球を高次元にレベルアップさせるための。

そして、今は福祉と医療、そしてそのことに気づかせてくれた恋人、友達、家族のおかげで、幸せです。
大学に進学して、心理学を学びたいという新たな夢もできました。

私には、そういう星の回りが合っていたのかもしれません。
大きな流れに逆らわず、その時その時の試練を、無理なく、周りの人たちと一緒に乗り越えていこう。
今はそう思います。

そしてそのきっかけを作ってくれた、頑張り過ぎてきた私も愛おしく思うのです。

今日も、私は幸せだよ。
いつか、愛の伝道師として身近な人たちに幸せを分け与えたいなとも思います。

おしまい。長々とありがとうございました。

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