彦根城って解るかな?

ちょっと早めに帰ってきましたが、皆さんで最後の彦根城を…   ということでしたので参加致します

本日、京都以東は遅れが出ているかもです
関東は雪が舞っていましたね
まだ2月ですものね
とは言え、季語は春ですから😀

彦根城と言わずに彦根とわからせる方法として「ひこにゃん」のお出ましがありますが、それも使わずして彦根を解らせるもの…
ありました*(^o^)/*
ではではお城巡り最後の地、彦根城を一句

赤備え井伊の奇襲や夜の梅あかぞなえいいのきしゅうやよるのうめ

彦根城の城主は井伊家である
赤備えとは

武田氏滅亡後、本能寺の変による武田遺領争奪戦(天正壬午の乱)を経て甲斐は徳川家康によって平定されるが、その折に武田遺臣を配属されたのが徳川四天王にも数えられる井伊直政である。武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達も直政に付けられ、これにあやかって直政も自分の部隊を赤備えとして編成している。井伊の赤備えは小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられた。以後幕末に至るまで井伊家が治めた彦根藩の軍装は足軽まで赤備えをもって基本とされた。
大坂の陣の折、家康が軍装の煌びやかな井伊直孝隊を見て平和な時代で堕落した赤備えを嘆いた。その中で使い古された具足を身に付けている者達を発見し、「あの者らは甲州からの家臣団であろう」と言い、確認が取れると「あれこそが本来の赤備え」と言ったという。

云々(端折る)m(_ _)m  庵

なお、上述の初代彦根藩主・井伊直政と、安政の大獄と桜田門外の変で有名な15代彦根藩主・大老井伊直弼は、赤備えにちなみ「井伊の赤鬼」と呼ばれた。また、滋賀県彦根市のマスコットキャラクターひこにゃんの兜は「井伊の赤備え」伝来品をモデルとしており、その兜の様式(天衝脇立)は彦根藩主のものと同じとされる。

ウィキより

夜の梅って…羊羹か?‪🤣‬

西日本のお城を楽しませていただき誠にありがとうございましたm(_ _)m
次の機会には通しで参加したいと思います
皆様お疲れさまでした
またお会いしませう👋✨

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