悩ましき影
ひょんなことから世界の破滅を企む組織の存在を知った主人公は、それを阻止せんと陰謀に立ち向かっていく。
最初は疑いの目を向ける警察も、徐々に浮き彫りになる異常事態に現実を受け入れざるを得なくなる。動きの怠慢な上層部に呆れた正義感の強い軍人が味方になり、かと思えば突如主人公の前に現れる謎のセクシー美女。お約束のように現れる化け物と空から飛来するUFO。
主人公の活躍により事件は解決し、不仲だった家族とも仲直り。
「……期待してたほどじゃねぇな」
今見ていたのは、そんなありがちな映画だった。
ヒロがダルそうにリモコンを操作すると、画面に映っていたスタッフロールが消えタイトルへ戻った。映像特典があるようだが見る気にならず、そのまま電源を切る。パッケージの裏を眺めると数年前の映画なのが知れた。賞をいくつか受賞しているようだが、そのどれもが馴染みのない物だ。昔は話題作として知れていたのだからまともな賞なのかもしれないが。
時間の無駄だったかと言われればそんなことはない。でも探してまで続編を見たいとは思わない。彼が抱いた感想はその程度のものだ。
ここはヒロの私室である。
彼の部屋は大量の本棚が立ち並ぶ巨大な図書館に似た作りになっており、DVDからカセットテープ、本といった無数の記録媒体が保存されていた。資料、物語、音楽。ジャンル問わず、情報が記録されている物を収集するのは彼の仕事の一つだ。様々な国から集めたそれらの数がいくつあるのか、既に部屋の主ですら分からなくなっている。ちなみに、集めているだけで全ての内容を把握しているわけではない。
彼がいるのは、いわば図書館の一室。大きなモニターが鎮座する閲覧室のような場所だった。
数人掛けのソファと、それに挟まれる格好でテーブルがある。部屋の中にも本棚があり、そこに仕舞われているのはヒロお気に入りの記録達だった。
部屋の隅には小さな冷蔵庫が備え付けられ、いつでもお菓子やジュース類が取り出せるようになっている。普通の図書館であれば飲食禁止だが、この空間はヒロのもの。つまり彼が法律だ。ここでダラダラと情報を閲覧しながら過ごすのがヒロの普段の生活である。
彼がパッケージをテーブルへ放り投げると、スライドして下に落ちた。舌打ちが出る。後で拾おうと脳裏でふんわり思いつつ、ヒロはソファの隣を見た。
「面白かったか?」
視線の先にいたのは黒い影。輪郭からドレスを着た小柄な女なのが分かる。大きなツインテールが良く目立っていた。影なのだからそれを作り出す人物がいるはずだが、そこには誰もいない。ただ影だけが染み付くようにソファに腰掛けている。
影の女は無言のまま、白い瞳で床に落ちたパッケージを見つめていた。声をかけられたのに気づいているのかいないのか、ヒロを見もしない。その表情ははっきり分からなかったが、困ったような不機嫌なような、そんな顔をしている、ように見える。
影が話さないため会話が途切れた。いつもの流れにヒロがウンザリした溜め息をつく。
影女は話したことがなかった。いつの間にか近くにいて、無言のままついて来て、知らぬ間にいなくなる。何が目的なのか、というか誰なのか。彼女についての情報をヒロは何一つ知らなかった。いつからいたのかすら曖昧である。気がついたら既にいたのだ。今では側にいるのが当たり前になっているが、正体不明の存在に付きまとわれるのは当然居心地が悪い。
追い払いたいが文句を言っても聞こえぬ風であったし、実力行使に出ようにも触れられない。お手上げだった。
そんな存在が居ついて困っている、という話を仲間の四人にした。
今日はたまたま全員そろっての食事だった。仕事絡み以外で五人全員が集まるのは珍しく、会わない場合は一週間以上顔を見ないこともある。別に余所余所しい間柄というわけではなく、各自が自分のペースを大切にしている結果だ。
「何それ……大丈夫なの?」
アヤが不気味そうに言う。言われてみれば、知らない人物といつの間にか一緒に住んでいるという状況は怖い。すっかり麻痺していた自分の感覚にヒロは呆れてしまう。
横で聞いていたシノが不可解そうに首を傾げた。
「まさか侵入者? でもどうやって……」
この館へ入れるのは三足鳥から許可が下りた存在だけのため、外部からの侵入者というのは前例がない。
ヒロは馴れた手つきで持っていた箱を電子レンジに似た機械へ放り込み、難し気な表情で呟く。
「おかしいだろ? どうすりゃ良いかなぁ」
彼等の食事は館に常備されている。メニューの内容が表示されている箱を電子レンジもどきに入れ、一定時間経つと出来立てが出てくるというお手軽な物だ。メニューは沢山用意されていたが日によって無い物もあった。今日、ヒロが選んだ料理はビーフカレーだ。
椅子に座って食事をしていたイサが、いつも通り淡々と告げる。
「正体を見極め、三足鳥へ報告するべき」
イサの前に置かれていた大きステーキは、あっという間に触手に飲まれて消えた。普段口が見当たらない彼だが、今は触手が口の役割を担っているらしい。
ちなみに、ヒロがビーフカレーを選んだのはイサのステーキが美味しそうだったためだ。
同じく椅子に座り、ドリンクを飲んでいたヨモが楽し気に提案した。
「じゃ、食べ終わったら皆で見に行こうよ。敵かどうか確認しよう」
ロボットである彼女も口が無いが、首筋から伸びたチューブで食事をとるためイサよりは上品な食事風景に見える。
彼女の言葉に仲間達は了解を出し合ったが、言い出しっぺのヒロは納得いかなそうな顔をしていた。
「敵ではないと思うんだけどなぁ……」
「敵ならヒロが一人の時点で襲ってるだろうし、そんな危ないモンではないのかしら?」
出来上がったカレーを取り出そうとしている彼を見ながらのアヤの声。彼女は既に食事を終え、食後のデザートを何にするか選んでいる所だ。
アヤの憶測に答える形でシノが返した。
「でも敵じゃないなら何者でしょう」
シノは自分のパスタにフォークを突き立てていたが、そのまま食べるでもなく麺を眺めるに留まっている。疑問が空腹を上回ってしまったらしい。
「行くぞ」
酒を瓶ごと丸呑みにしたイサが椅子から立ち上がる。
「えっ、ちょっと待ってください!」
「消化してないから動きたくなーい」
「アイス食べたいんだけど」
「俺まだ食ってねーよ!」
他四名から口々に文句が噴出し、仕方なく彼は座った。
結局、五人がヒロの部屋へ向かったのは一時間経ってからだった。念のため戦闘になった場合のシミュレーションをしていた結果であり、全員でアイスクリームの食べ比べをしていたせいではない。
腹をさすって歩くヒロは景気が悪そうにボヤく。
「アイス食った後に動くと腹壊しそうで嫌だな」
「だいじょーぶ。別腹だもの」
「そうです。別腹は壊れません」
根拠の無い安心感を提供しているのはアヤ。それに同調しているのはシノだった。
腹病みと無縁のヨモとイサはさっさと部屋の前に到着している。扉の前ではせっかちなヨモが喚いていた。
「ちゃっちゃと歩けー」
隣ではイサが大人しく棒立ちになっていたが、ヒロがのそのそ歩いてくると淡白に命じる。
「開けろ」
「はいはい」
急かしているわりに苛立つでもない、いつも通りのイサの声を後ろで受けつつ、ヒロは自分の部屋の扉を開けた。
空間が繋がり、最初に目に入るのはやはり本棚。そして右手にあるカウンターだった。本来の図書館であれば貸し出しの受付をする場所だが、ここでは保管されている物の検索が出来るパソコンがメインだ。もちろん誰もいないはずなのだが、今は違う。何も映っていないパソコンの画面を眺めるように、影が椅子に座っていた。
「ほらな、アイツだよ」
ヒロがカウンターを指差し四人へ振り返る。が、その反応は彼の期待を斜めに裏切るものだった。
「……え? どこ?」
ヨモが部屋を覗き込む。他の仲間達も似たような反応で、指されたカウンターの方を眺めてはいるが、どこを見れば良いか分からず困った表情になっていた。
「どこって……」
聞かれたヒロも困った顔になる。
全員でカウンターへ近づくが、やはり四人は見当違いな方向を見ては不思議そうな顔になるだけだった。一方ヒロの目には、彼自身を見ている影女の姿がはっきりと見えている。
「えっ……えぇ!? マジで? 見えない?」
ヒロが目を見開く。変な汗が背中を流れた。
「えーと……どこにいるの?」
首を傾げたアヤに向かって、もう一度彼は椅子に腰掛けた影を指差す。
「だから、ここだよ」
全員の視線が影へ集まるが、この内見えているのは一人だけだ。
再度確認した後、ヒロ以外の四人が顔を見合わせて頷く。しばし沈黙の後、イサが口を開いた。
「ヒロ、少し休暇をとれ」
「いやいや違うっ! 幻覚じゃない!!」
素っ気無く突き放されたヒロは慌てて否定した。
だが、もう問題は解決したと言わんばかりにイサは部屋から出て行こうとする。
「三足鳥には私から連絡しておく。しばらくゆっくりしろ」
アヤはヒロへ暖かい笑顔を向けた。
「これからはもっと皆で会話する時間をとりましょう。ね?」
「やめろー! 優しい言葉をかけるなぁ!!」
それを拒絶するヒロ。
諸行無常を噛み締めるように、ヨモはやり取りを眺めている。
「寂しさからくる妄想かな。心って脆いね」
そんな大騒ぎへ、シノの静かな声が割って入った。
「……あの、ちょっと待ってください」
他の四人が彼を見る。シノは影が座っている椅子に手を置き、考え込むように難しい顔をしていた。
足を止めたイサが彼へ問いかける。
「どうした」
なんでもいいから同意してほしいヒロがシノの元へ駆け寄った。
「なんかいるだろ!? なっ!?」
「いる……かは分からないんですが、何かあるのは感じます」
シノは椅子から手を離すと、アヤへ向かって手招きする。
「アヤも確認してもらえませんか?」
「え? どれどれ……」
呼ばれた彼女は椅子へ近寄り、シノと同じように椅子へ向けて手をかざした。しばらく捉えどころを探すように角度や高さを変えていたが、やがて気になる場所を見つけたのか一定の位置で止まる。そこは影女の額に当たる部分だったが、もちろんヒロにしか分からない。
「……あー……なんかある……気がする……?」
アヤは目を細めて低く呟く。曖昧な表現ではあるが、これで何かいるのを分かってくれたのは二人となった。
やっと味方が現れ、ヒロはホッとしたように悪態をつく。
「やっぱいるんじゃねーか! あぁビックリした……」
一方、椅子を凝視していたヨモは不満そうな顔で首を横に振る。
「私は何も感じないよ?」
イサも椅子を撫でていたが、同じく何も分からなかったらしく直ぐに調べるのを止めてしまった。
「シノとアヤが気配を感じるということは、概念的な存在か」
彼が尋ねると、シノとアヤは顔を見合わせる。
まず答えたのは自然の元素を感じ取ることが出来るシノ。
「おそらくそうでしょう。しかし、これだけ僅かな量では見えるワケがありません。ヒロにだけはっきり見えているのが妙です」
次いで、生物の思念を感じ取れるアヤが続ける。
「幽霊ではないっぽいのよねー……感情を感じないのよ。なんなのかしら?」
二人は揃って不可解そうな顔つきなっていた。
五つそれぞれの困惑の視線を受けながら、影の少女は沈黙したままヒロを見つめ続けている。
結局、放置することになった。
この程度なら、放っておけば消滅するだろうというのがシノとアヤの見解だ。見えない上に力が弱いのであれば三足鳥への報告も必要ないということになり、しばらく様子を見るという先送りの方針となった。実害といえばヒロへの付きまとい行為だけなのだから、他四人の他人事っぷりといったら薄情なものだ。
部屋に取り残されたヒロが影を見る。真っ黒で表情は良く分からないが、近くで見ると眉間にシワを作って悩んでいるかのように見えた。
「なんでお前が困ってんだよ……」
思わず呟いたヒロの言葉。その返事は、当然無かった。
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