館の七不思議

図書室

 七不思議を探してみよう。本の最後は、そんな言葉で締めくくられていた。

(七不思議かぁ……)

 自室のベッドにて、今日も楽しく読書を終えたリンは満足げに本を閉じる。
 少女が読んでいた本の表紙には、学校の七不思議というタイトルが無機質なフォントで表記されていた。一緒に描かれている少年少女のイラストは冷汗を垂らしており、内容が決して穏やかでないのを表している。
 タイトルが示す通り、本のジャンルは子供向けの怪談物で、学校周辺で起きたホラー体験が適度な緊張感でまとめられていた。学校に馴染みのないリンにはピンと来ない話もあったが、それでも同年代の子供達が遭遇する様々な怪現象の描写はとても興味深かった。といっても、悪霊に囲まれ日常生活を送っている少女へ恐怖を与えるには力不足だったが。

 リンは本を枕元へ置くと、ベッドに転がったまま天井を眺めた。ぼんやり本の内容を思い返し、ドキドキしながら空想の余韻に浸る。
 数度の反芻の後、最後に辿り着いたのは「七不思議を探してみよう」の文字。本の世界を楽しむ内、少女は七不思議の虜になってしまっていた。探してみようと言うのなら、ぜひとも探しに行きたい。

 七不思議とは特定の場所を舞台にした七つの怪談のことだ。今回読んだ本は、タイトルの通り学校を舞台にした話が書かれている。学校のトイレには女の子の幽霊が出るとか、校庭の石像が夜中に走るとか、そういう感じだ。
 しかし、リンは学校に行ったことがない。だから七不思議を探すなら、学校以外の場所を舞台にする必要がある。

(この館にも七不思議ってあるのかな?)

 ふと、そんな疑問を抱く。少女が住んでいる館はとても広いため、探そうと思えば不思議なことの一つ二つある気がしたのだ。
 いや、一般的な視点から見れば不思議なことしかないのだが、物心がついた頃から館に住んでいるリンはあまり意識していない。そもそも彼女の周辺は悪霊だらけなのだから、怪談話など両手で数えきれないほどある。

「……よしっ」

 だが、それに考えが及ばないリンは元気よく上半身を起こした。読んだばかりの本を手に取ると、ワクワクが抑えられないまま部屋を飛び出す。
 好奇心旺盛で冒険好きな少女は、すっかり七不思議の探求に心を奪われていた。


 リンがやってきたのはヒロの部屋。物知りなヒロなら、七不思議の一つくらい知っているのではないかと思ったのだ。
 まずは借りていた本を図書室へ返し、それからヒロの私室へ向かう。扉を開けるとゲームのものらしい騒々しい音がもれ出し、室内が無人でないのが知れた。

「こんにちはー……」

 邪魔じゃないだろうか。ちょっと気を使いつつリンが部屋へ足を踏み入れると、少女の存在を察知したらしいゲームプレイヤーが身動ぎした気配があった。

「やぁ、リン」

 が、返事をした声はヒロのものではない。
 リンが声の聞こえたソファを覗き込むと、そこにはコントローラーを握った小柄な子供の姿があった。部屋主ではないが意外でもない人物へ、少女は礼儀正しく挨拶する。

「こんにちは、スクナ」

 それへスクナは「んー」という返事のような唸り声を返した。少年の視線はテレビ画面に釘付けになっており、現在手が離せない状態であるのを全身で表現している。

 部屋にテレビがないスクナは、勝手にヒロの私室でゲームをしていることが度々あった。
 ヒロとスクナは友達同士だ。ヒロがテレビとゲーム機を貸す代わりに、スクナがゲームソフトを用意するのだと、いつだったかリンは聞いたことがある。

「……ヒロはいないの?」

 キョロキョロ部屋を見渡してリンが問うと、視線を動かさないままスクナは答えた。

「いないよ。でも今日は休みって言ってたはずだから、すぐ戻ってくるかもしれないけど」

「そっかぁ……」

 少女はガッカリしてしまったが、前もって約束していたわけではないのだから仕方ない。ヒロに限らず、想定外に保護者達が外出してしまい会えなかった、という事態は今までも経験している。

「ん……ちょっと待ってて……」

 しょんぼりしたリンに気付いたらしいスクナが彼女へ声をかけた。特に立ち去る理由もなかったリンは大人しく指示に従う。

 テレビの中ではスクナが操っているらしいキャラクターが走り回っていた。武器を振る度に画面の中に蛍光色が巻き散らされ、フィールドを染めていく。
 ゲームをやらないリンは内容がよく分からなかったが、なんだか忙しそうだなという感想を抱いていた。目は画面を見ているのに、手元のコントローラーの動きに迷いはない。ゲームで遊ぶというのは相当な練習が必要なのだろう。

 感心しているリンの視界の中で、突然画面の動きが止まる。楽し気なBGMが鳴ったと同時に場面が切り替わり、プレイヤー側の勝利が告げられた。

「っしゃ!」

 スクナは小さくガッツポーズする。
 リンも拍手して勝利を祝福すると、少年は照れ臭そうにフードの位置を直した。

「で……なんかヒロに用事? 伝言しとこうか?」

 やっとコントローラーを手放したスクナは黄色い瞳を少女へ向ける。

「ううん。大したことじゃないんだけど……」

 用事というほどでもないが別に伏せる必要もない。世間話の一環として、リンは自分が読んだ本の内容を少年へ話して聞かせた。

「……七不思議ぃ?」

 妙なことを言い出したものだとでも言うようにスクナは首を傾げて見せる。彼は七不思議という言葉は知っているらしいが、あまり関心はないようだ。
 対して、まだ熱の冷めていないリンは意気込んで頷いた。

「スクナは知らない? 不思議なこと」

「えー……」

 期待で輝く少女の瞳を見て、スクナは戸惑った声を上げる。リンよりスクナの方が館での生活は長いが、外出の多い彼は館の事情には疎いのだ。
 スクナは腕を組み考える仕草をした。しばし天井を見たりテレビ画面を見たりしていたが、やがて苦し紛れに思い付きを呟く。

「……図書室の閉まってる扉の先には何があるのかなぁって、ちょっと思ってる」

 図書室の閉ざされた扉はリンも知っていた。部屋の奥の方にポツンと存在している古びた鉄製の扉で、しっかり鍵がかけられ開けられないようになっている。
 しかし、七不思議に数えるには謎が弱いと言わざるを得ない。

「あそこは昔の資料がしまってあるだけだって、ヒロが言ってたよ」

 リンの回答はスクナも承知の上だったのか、大袈裟にがくりと身体を傾けて見せた。

「……不思議じゃないか」

 うーんと唸ると、そのままの体勢で彼は今までの生活を振り返る。

「……広間の食堂の料理って不思議じゃない?」

 次に提案された謎はリンにも頷けるもので、少女は楽しそうな笑顔を浮かべた。

「あ、そうだね。不思議!」

 広間の食堂の仕組みは不思議の一言に尽きる。メニューの内容が書かれた箱を電子レンジのような機械に入れると、なぜか料理が出てくるのだ。
 あの箱は何なのか、電子レンジの仕組みはどうなっているのか、さっぱり分からない。しかし常備されている料理はどれも美味しく、食べるとお腹も心も満たされた気持ちになってくるため、リンは大好きだった。ああいうのをおふくろの味というのだと、彼女は勝手に解釈している。

 しかし、これは七不思議と呼べるのか。

「でも七不思議って、ただ不思議なだけじゃなくて……ちょっと怖い話だと思う」

 難し気な表情になったリンが条件を訂正する。
 七不思議とは怪談話のことだ。料理が出てきて美味しい、では怪異と呼べない気がする。

「怖い、かぁ」

 姿勢を正したスクナが改めて腕を組み直した。が、その手はゆっくりと彼自身を抱きしめる格好になる。

「……そういえば、図書室の幽霊ってまだ出るのかな。最近ヒロ、あの話ししなくなったけど」

 どうやらスクナは自身がいる部屋の不吉な噂話を思い出してしまったらしい。
 図書室の幽霊とは、一時期ヒロが話題にしていた影のような女のこと。しかし少年の言う通り、近頃彼は女の話をしなくなっていたのだ。
 以前はリンも図書室へ来る度に探していたが、さっぱり出会えないため興味を失っていた。たぶん気のせいだったか、成仏したかしたのだろう。

 やっと怪談らしい不思議を見つけられた。だが幽霊の話が出たことで、リンは先ほどから感じていた疑問を無視できなくなる。

「……幽霊って不思議なの?」

 きょとんと問いかけてきた少女を見て、スクナは呆れたように返事をした。

「リンは慣れてるかもしんないけど、幽霊ってのは不思議で怖いものなんだよ……」

 彼の言葉を聞いても未だ納得できないリンは少しだけ困った顔になる。
 悪霊だらけの病院で過ごしている少女の価値観は、すっかり狂ってしまっていた。先ほど読んだ七不思議の本にも幽霊が出てくる話が多数あったが、それらの登場人物達が訴えてくる恐怖の感情に、リンは最後まで同調することができなかったのだ。
 絵に描かれた人物の表情が変わるとか、人体模型が動くとかは不思議だと思う。でもトイレに子供の幽霊がいるとか、下半身のない幽霊が廊下を走るとか言われても、そっとしておいてあげれば良いと感じるだけだった。
 幽霊だって色々事情があってそうしているのだろうし、上手く住み分ければきっと共存できたはずだ。だから無暗に怖がるのはちょっと違うと思うし、わざわざ幽霊を挑発するような行為をした話には不快感すら覚えた。そんなの、幽霊だって怒るに決まっている。不思議がっている場合ではない。

 つまり、リンが求めている不思議に幽霊は含まれないのだ。またもや条件が追加されたスクナは、最大限に悩んでいるのをアピールするようにガクリと首を後ろへ傾け、天井を仰ぎ見る。

「幽霊以外で、不思議で怖いヤツとなると……イサの部屋に飾ってる絵でさ、薄気味悪い絵があるじゃん。あれっていわく付きってヤツじゃないかな」

 不気味な絵の話題は七不思議の本にも出てきた話だ。

「どんな絵?」

 興味津々に尋ねたリンへ、スクナはイサの部屋の間取りを思い浮かべて解説する。

「あの、部屋に入ってすぐのとこにある、湖と小屋が描いてあるヤツだよ」

 その絵ならリンにも心当たりがあった。霧に包まれた湖の近くにポツンと小屋が建っている絵で、なんだか寂し気だったのを覚えている。
 しかし、怖さは感じていなかった少女は素直な感想を告げた。

「私は神秘的な絵だと思ったけど……」

 確かに暗い雰囲気だったが、おどろおどろしいというより神聖な印象があったのだ。絵になるくらいなのだから、どこかの聖地を描いたものだったのかもしれない。
 自身の感性を否定されたスクナは不貞腐れたようにリンを茶化す。

「リンってさ、感覚ズレてるよね」

「えへへ……」

 どう反応すればいいか分からなかった少女はなんとなく笑った。
 考えが尽きてきたスクナは首の位置を戻すと、彼女の方へ顔を向けて問いかける。

「……で? リンはなんか思いついたの?」

「え……」

 問われた側は固まってしまった。もちろんリンも考えてはいたのだが、七不思議といえるようなものは何一つ浮かんでいなかったのだ。
 今一番不思議なことといえば古城の地下の扉だったが、あの発見は自分の胸だけに秘めておこうと決めているため、スクナには伝えられない。彼を信用していないわけではなかったが、何かの拍子にブニャとの交流がシノへ知られたらと思うと、軽はずみに秘密を明かす気分にはなれなかった。

「……なんも思いついてない」

 気まずい表情で答えた少女をスクナは意地悪な口調で野次る。

「なんだよー、文句ばっか言ってるクセにー」

「ご、ごめん……」

 批判されたリンはしょんぼりしてしまう。

「冗談だよっ」

 気弱な反応を返された少年はすぐさま自身の態度を改めた。
 が、すっかり気落ちした少女はしょぼくれたまま呟く。

「ここには七不思議なんてないのかなぁ……」

「いや、不思議なことばっかだと思うけど……」

 沈んでしまったリンの台詞にスクナはツッコミを入れた。しかし、未だ立ち直れない少女は視線を落として溜息をつく。

「そうかなぁ」

「身近にありすぎて気づいてないだけだよ」

「んー……」

 ピンと来ていないリンは床を見つめたままだ。
 しばしスクナは困ったように少女を眺めていたが、やがて名案を思い付くと明るい声で話しかけた。

「じゃあさ……こんな不思議は知ってる?」

 彼の言葉を聞いたリンは顔を上げる。スクナはフードの中にある自身の顔へ両手を伸ばし、ゴソゴソと触っているところだった。
 何をしているのだろうと見つめる少女の視界の中で、すぐさま異変が起こる。カコンという軽い音が響き、スクナの腕がフードの中から引き抜かれた時、

「……えぇ!?」

 反射的にリンの口から驚愕の声がもれた。
 彼の手が握っていたのは、黒くて平たい物体。

「スクナっ……顔……!」

 黄色い目がくっついているソレは、見慣れているスクナの顔面そのもの。つまり彼は、自分の顔を自ら引きはがしたのだ。
 リンは瞳だけで、スクナの剥がれた顔と、顔面があったはずのローブの奥を交互に見る。少年は無言のまま自分の顔をソファの片隅へ置くと、今度はフードへ手をかけた。瞬きを忘れてしまったリンの目の前で、ゆっくりとフードを上げる。

「うわぁ……っ!?」

 信じられない光景を目の当たりにした少女は息が止まりそうになった。スクナの頭部が存在しているであろう場所には、何も無かったのだ。そこにはただ空間があり、異物が存在する気配は欠片も見当たらない。
 目を見開いたまま固まってしまったリンの視線の先で、少年はジャジャーンとでも言うように両手を上へ掲げ万歳してみせる。だが、そんな楽し気なポーズをされても彼女の動揺が収まるはずもない。
 何も言えずにいるリンを余所に、スクナは素早くフードを被り直し、放置していた顔面をフードの奥に入れる。まるで仮面でも被るような動作で顔を装着すると、ふぅと息をついた。
 そして、普段と変わらない仕草でリンへ向き直る。まだ固まっている彼女を見て面白そうに笑うと、悪戯っぽい口調で問いかけた。

「ビックリした?」

 ぶんぶんとリンは頷く。

「び、ビックリした……」

 今まで少女は様々な不思議な現象を経験してきたが、それでも身近な誰かの予想外の、しかも現実離れした一面を見せられれば、驚くに決まっている。
 スクナには、顔が、というか頭が、ない。混乱しながらも、その事実をゆっくり理解したリンは、おずおずと少年へ話しかけた。

「スクナは……幽霊なの?」

 頭がなくても平気な人物となると、リンが真っ先に思い浮かぶのは幽霊や悪霊といった死者達だ。

「違うよ!?」

 慌ててスクナは否定する。幽霊が苦手な彼は、自分が苦手なものの一種にされそうになったのに拒否反応を示したらしかった。

「なんか、身体がどっか行っちゃったみたいで、ずっと透明なんだ」

 些細な落とし物でもしたかのように少年は答える。

「だ、大丈夫なの……?」

 不安げに問いかけるリンを見て、再びスクナは楽し気な様子になった。

「大丈夫だよ」

 答えた少年は自身のフードの位置を再度直す。

「でも顔を外すと目が見えなくなるし、話せなくなるし、フードを外すと頭がぼんやりしてくるから、あんま外したくないんだけどねー」

 スクナは黄色い瞳を細めて笑みを作る。

「今回は、特別」

 そんな彼の態度を、リンは呆気にとられた気持ちで眺めていた。
 リンは、ずっとスクナのことを凄い人だと思っていた。自分と同じくらいの年頃なのに働いていて、外の世界のことをたくさん知っているからだ。
 しかし少女が思っていた以上に、スクナは更に凄くて、強い人だった。もし自分が同じような境遇になったら、こんな風に明るく振る舞えるだろうか。
 スクナへの尊敬の念を改めると同時に、リンは申し訳ない気持ちになる。本当は彼は顔もフードも外したくなかっただろうに、自分を元気づけるために外してくれた。スクナの優しさをありがたく感じる反面、こんなことで彼に気を遣わせたのに心苦しさも感じる。

「ね? 不思議なことなんて、案外近くにあるもんなんだよ」

 なんでもない風を装うスクナの小柄な姿が、いつもより大きく見えた気がした。

「……うん」

 リンの返事は小さかったが、それでも頷く動作はしっかりしている。
 せっかくスクナが応援してくれたのだから落ち込んでいる場合ではない。ここで不思議探しを諦めては、彼の気遣いを無駄にしてしまう。
 気を取り直したリンは柔らかい表情になって礼を言う。

「ありがとう。スクナ」

「どういたしまして」

 少年は照れたのか、ちょっとわざとらしい口調で丁寧に返事を返した。


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