プロローグ

 五角形の部屋には五つの人影があった。彼らは中央に置かれた横長のテーブルに集まっていたが、現在話しているのは一人だけだ。
 ボソボソした声と、読み上げられる紙の揺れる音だけが空間に漂う。室内が薄暗く感じられるのは窓が一つもないのが原因だろう。蛍光灯が放つ光は陰気な雰囲気に飲まれていた。
 装飾品のない部屋で目を引くのは、両開きの扉くらいのものだ。通常のものより大きめだが、それだけの木製の扉。備え付けられている銀色の呼び鈴が、その扉が玄関で、来訪者が訪れる可能性があるのを示していた。下部にある郵便受けは空である。

 連絡事項を告げていた男が紙から顔を上げた。

「……報告は以上。他、発言のある者」

 素っ気無い声。それは目の前の四人へ意見を聞く言葉だが、端から発言がないのを知っている形式的なものだった。
 当の四人はというと、目の前の紙を眺めていたり肘をつきダルそうにしていたり。共通しているのは男の方を見ていない点だ。話を聞いているかすら怪しい。

 それでも男は一人一人、確認するように視線を動かす。案の定、誰も言葉を発しないのを確認し、小さく頷いた。

「では、次の指示まで」

 解散。という、いつもの台詞が繋がる前に。

「ちょっと待て」

 一つの影が手を上げた。
 全員の視線が彼に集まる。不思議そうな目。好奇の目。さっさと終わらせてほしいと言いたげな目。何を考えているか分からない目。

 急にそれぞれの視線が集まり、手を上げた男は居心地悪そうな顔をした。

「……いや、今回の件とは関係ないんだけどさ」

「なんだ」

 最初に話していた男が発言をうながす。相変わらず人に何も聞いていないような、淡々とした言葉だった。

「あのー……変なこと聞くけど」

 言おうか迷っているのが誰にでも分かる歯切れの悪さ。泳ぐ視線は他の四人を捕らえず、無意味にテーブルの角を行ったり来たりしていた。
 当然、部屋へ流れる沈黙。それに耐えられなくなり、やっと彼は言葉を切り出した。

「俺達……なんでここにいるんだっけ?」

 疑問を口にした男はヒロという。
 彼は虫に似ていた。灰色の肌に、節のある間接。今は困った顔を作り上げるパーツの一つになっている三白眼は大きく、普段であれば柄の悪そうな人相なのが知れた。適当に整えられた青い髪は前髪だけがピンと立っている。

 ヒロに問われた四人は呆気にとられた表情をして顔を見合わせたが、やがてこの素っ頓狂な質問をうながしてしまった男が口を開く。

「三足鳥の啓示に応えるため」

 頭を軽く傾げながら答えた男はイサという。
 彼は人に似ていた。ウサギを模した黄緑の被り物の下からは薄橙色の首が覗く。黒いスーツを身にまとった姿は真面目な印象があったが、感情のこもらない単調な声と合わさると、むしろ機械的で不気味だった。

「そういう意味じゃなくて」

 ヒロが軽く頭を振る。

「なんで俺達が、三足鳥に従ってるかってことだよ!」

 こんな根本的な疑問になぜ思い当たらなかったのか。苛立つヒロの声はだんだん大きくなった。

 彼ら五人は、三足鳥と呼ばれる者のために存在しているといっても過言ではない状態にある。
 まず、指示には絶対服従。どんなに理不尽に思える内容であっても拒否権はない。これだけでも異様だったが、最も奇怪なのは三足鳥が何者か誰も知らないという点に尽きる。指示は全て手紙などの媒体によって届けられ、姿はもちろん、肉声すら誰も聞いたことがない。

「……なにキレてんの?」

 不思議そうに彼へ声をかけた女はヨモという。
 彼女は機械に似ていた。白色の肌をし、顔には桃色の瞳だけで鼻も口もない。大きなポニーテールが目立つのは、余計なパーツが無いからだろう。

「三足鳥が寄越すのは世界を守るための啓示なんだよ? やるに決まってんじゃん」

 ヒロは何か言おうと口を開くが、それは言葉にならず、呼吸に似た意味の無い微かな音となって宙に消えた。

「誰かがやらなければ世界が終わってしまうかもしれない。そんな重要な仕事を私達に任せてくれるんです。これほど名誉なことはありませんよ?」

 いぶかしげな声で話に割って入った男はシノという。
 彼はトカゲに似ていた。茶色の肌に金色の瞳と髪が映える。大きな口と縦長の黒目は恐ろしげで、初対面の者を落ち着かない気分にさせるのは造作もない。

「私達は必要とされているんです」

 なぜそんなことを言い出したのか、心底不思議だというようなシノの言葉。
 この時点でヒロは言い返すのも忘れ、唖然とした顔で他の四人を眺めていた。

「つまり、プレッシャーを感じてるってこと?」

 困った顔で問いかけた女はアヤという。
 彼女は死体に似ていた。赤い髪を顔の半分が隠れるように伸ばし、その隙間から紫色の肌が見える。首を始め、身体のあちこちに包帯を巻いていた。

「そうじゃなくて……」

 もはやヒロの苛立ちは消えている。変わりに抱いている感情は、困惑。
 当然共感してくれるだろうと思った疑問が、こうも否定されるとは考えていなかったのだ。自由がないのも、正体不明の存在も、誰も不思議に思っていない。自分以外は。

 彼は全員を見渡す。
 共に過ごし、何度も仕事をこなしてきた見知った仲間。顔を見れば誰か分かる。良いこと、悪いこと、たくさんの記憶が甦る。知っていると思っていた。

 彼は、一番恐れていた質問を呟いた。

「……お前ら、誰なんだよ」

 仲間達との記憶はチームを組んでいる場面から始まっていた。どう出会い、どう親しくなって今の関係に至ったのか。その部分はすっぽりと抜け落ちている。
 なぜ気づかなかったのだろう。ヒロは仲間達の過去を知らなかった。彼が知っているのは、全てこの館にいた時点での四人。

 そして自身の過去も同様だった。なぜ自分がここにいるのか、分からない。
 ヒロはそれに得体の知れない恐怖を感じていた。もしかして仲間達も同じなのではないか。自分自身のことを何も知らない。しかし、なぜかそれに気づかない。

「そんなのどーでもいいじゃん」

 何を騒ぐ必要があるのか。そう言わんばかりのヨモの答え。

 ヒロへまとわりつく四つの視線。困った目。観察する目。飽きたとでも言いたげな目。何を考えているか分からない目。
 本当に理解できないのだ。この異常さが。いや、まさか自分がおかしいのか。狂ってしまった者は己が狂ったと認識できるはずもない。それは仲間達に当てはまるが、自身にも当てはまる。
 手のひらが汗ばむ。

「……そうか」

 やっと口から出た言葉。
 何を理解したのか。それはヒロにも分からない。

 ふらふらと自分の部屋へ戻ってしまったヒロを見送り、アヤが不思議そうに呟く。

「どうしたのかしら」

「また不安定になっちゃったのかな?」

 どこか楽しげなヨモ。
 そんな二人を無言で眺めていたイサは、シノが眉間にシワを寄せて考え込んでいるのに気づいた。

「どうした」

 声をかけられ、弾かれたように彼はイサの方を向く。

「あ、いえ……」

 そして、少し困った顔になった。

「ヒロの言ったことで何か……思い出したんですが……何だったか忘れてしまって」

 とても気になることだったのですが、と独り言のように言う。
 その傍らでは、なぜかヨモがワクワクした様子になっていた。

「ちょっと見学してこようかなー」

「ダメよ。ヒロ、なんだか調子悪そうだったし、そっとしといてあげましょう」

 そんな彼女をアヤがやんわり止める。しかしヨモは愉快そうな態度を継続させた。

「別に好奇心で言ってるワケじゃないよ。ただ悩んだ末に良からぬ結果にならないか心配なだけで」

 言いながらヨモは歩き出そうとしたが、まだ会議中だったのに思い至る。

「もう行って良いの?」

 彼女は振り返ってイサに尋ねた。
 声をかけられた男は一度テーブルへ視線を落とし何か考える仕草をしたが、すぐに頷いて了解の意を示す。その反応にアヤとシノも椅子から立ち上がる。

 帰り際、シノはイサへ尋ねた。

「ヒロの言っていたこと、イサはどう思います?」

 尋ねられた側は素っ気無く答える。

「明日になれば忘れている」


 誰もいなくなった部屋。
 室内で一番目立つ両開きの扉。その郵便受けに手紙の落ちる音が響く。
 世界を守るための重要な手紙には、三本足の鳥がデザインされた赤い刻印。それは誰かが自分に気づくのを、ただ静かに待っていた。

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