揺らめく人魚は死の虜

【任務内容】
行方不明者の捜査

【終了条件】
事態の解決



 現在地は、とある孤島の入り江。規則的に揺れ動く海面は綺麗な青い色を放っていた。汚れのない透明度の高い海水が、岩場に生える色とりどりの珊瑚を明瞭に映し出している。その間を泳ぐ魚達も皆鮮やかな色をまとっており、風光明媚な景色をより引き立てていた。

「よし、ここに工場作って工業排水垂れ流しにしよう」

 そんな美しい景観を文字通りぶち壊しにする台詞を発したのはヨモ。

「できるもんならやってみなさいよォ!」

 甲高い声で威勢よく応戦しているのはマーメイド。

「「「やってみなさいよォ~!」」」

 まるで山彦のように続いたのは、彼女の取り巻きらしい三人のマーメイドだった。

「……ヨモ、話が進まない」

 そんな大騒ぎへ淡々としたイサの声が混じるが、その程度の戒めで彼女達が鎮まることはない。ぎゃあぎゃあ続いていく口汚い言い争いに、ただイサはポツンと立つ尽くすばかりだ。
 情報収集しようとマーメイドの元を訪れたヨモとイサだったが、自分本位なヨモと気ままなマーメイドの会話はさっぱり噛み合っていなかった。

 今日、二人が海へやってきたのは、近辺で頻発している行方不明事件の捜査のためだ。
 ここはマーメイドが住む美しい海として名を馳せる観光地で、毎年沢山の人々が訪れる。特に夏の今は足の踏み場もないほど観光客でごった返しており、ヨモとイサがいる入り江からもひっきりなしに観光船が往来しているのが見えた。

 そんな大人気スポットで、今、ひっそりと怪事件が発生している。海で遊んでいた観光客が忽然と姿を消してしまうのだ。溺れたのかと捜索しても身体の一部も見つからない。波は穏やかで人を襲う生き物もいないのに、人々は何の痕跡も残さず姿を消してしまっていた。
 慌てたのは観光業を生業とする地元の人々だ。犯人は人なのか、生き物なのか、それ以外の何かなのか、見当もつかなかった。なんとかするべきだが、事態を公にして大々的に捜査すれば観光地としての評判が落ちるのは必至。
 悩んだ末に三足鳥にすがることを思いつき、そして三足教からヨモとイサが派遣された、というのが今回の仕事のあらましだった。

 どうすれば話が進むか分からなくなったイサは、なんとなく自分のいる孤島を見回す。
 孤島は関係者以外立ち入り禁止になっているため観光客はおらず、客の相手に飽きたマーメイド達の休憩ポイントとなっていた。ちなみに、二人はちゃんと正規の手続きを得て上陸している。

 観光業を生業とする人々とマーメイドは共存関係にあった。人は環境を守り美しい海を保つ。美しい海にしか住めないマーメイド達は住処を保証される代わりに、観光客の相手をする。
 相手をする、といっても遠くから手を振ったり声をかけたりするくらいなのだが、そこそこ近距離で安全に妖と交流できる物珍しさから観光客には好評らしい。マーメイド側も可愛いやら綺麗やら歓声を上げられるのはまんざらでもないようで、今のところ、奇妙な協力関係は円満に保たれている。

 海に住む妖であるマーメイドが人に対して友好的なら、今回の事件に関して有益な情報を得られるかもしれない。そう判断して孤島へやってきた二人だったが、彼女達の性格を考慮するのをすっかり忘れていた。
 確かにマーメイドは人へ協力しているが、それは別に親切心からではない。彼女達は彼女達なりの損得勘定で動いているのだから、人に素直に従う義理などないのだ。

 妖に詳しいシノがいれば、もう少しスムーズに会話ができるのだろうか。いや、他人嫌いな彼のことだから、マーメイドと会うという案自体を却下するのかもしれない。
 この場にいない仲間のことを考えつつ、この場にいる仲間に対しイサは低い声で話しかける。

「……煽るのは良くない」

 しかし、そんなやんわりとした制止で収まるヨモではなかった。

「あのブス魚どもが先に煽って来たんだっつーの!」

 キーキー喚く彼女だが、マーメイド達も負けてはいない。

「ブスじゃないんですけどォ!?」

「「「ブスじゃないんですけどォ~!?」」」

「うぜぇー!!」

 残念ながら、今回も言い争いの仲裁は失敗したようだ。
 現実逃避気味の思考になってしまったイサは、耳に残るヨモの大声を思い返してボソリと呟く。

「……マーメイドは美しいものだと聞いているが」

 美しいものの収集癖がある彼はマーメイドに興味を持っていた。
 海に住む妖のマーメイドは、上半身は美女で下半身は魚という外見をしている。人ならざる存在でありながら彼女達の虜となる者は多く、その容姿や歌声を称える逸話は数多く知られていた。なのにヨモはマーメイドをブスと罵ったため、それがイサは引っかかったのだ。
 彼の声を耳ざとく聞きつけたマーメイド達は、わざとらしく身体をくねらせ嫌がる素振りをして見せた。

「ちょっとォ! ヤラシイ目で見ないでよねっ!」

「「「いやァ~ん!」」」

「…………」

 困惑したイサは固まってしまう。決して彼は下心があって言ったわけではないのだが、それを上手く説明できるほど口達者ではない。
 何の反応も返さないイサを面白味がないと感じたのか、マーメイドは大袈裟につまらなそうな態度をとって見せる。

「どォんな頼もしい勇者様が来るかと思ったら、動く人形とウサ耳ヘルメットの変質者なんて! ほォんと三足教にはがっかりィ!」

「「「がっかりィ~!」」」

 当然、その発言に動く人形ことヨモは突っかかっていく。

「はあぁ!? ここ埋め立ててゴミ捨て場にしてやろうか!?」

 一方、ウサ耳ヘルメットの変質者ことイサは無言だったが、内心ではすっかり動揺していた。愚鈍だが素直な彼は、マーメイド達にヤラシイだの変質者だのと言われ静かにショックを受けていたのだ。精神的ダメージを表すように、イサが被っているウサギを模したヘルメットの耳は垂れ下がっている。
 彼は沈黙したまま喧騒へ背を向け、力ない足取りで入り江から出ていこうとした。

「ちょっ……イサ……?」

 彼の行動に気付いたヨモが驚いた声を上げる。マーメイド達もイサの様子に気付き、慌てたように呼び掛けた。

「な、何よォ! 男のクセにいじけてンじゃないわよォ!?」

「「「落ち込まないでェ~!」」」

「…………」

 再三制止を求められ、とりあえず彼は足を止める。基本的にイサは馬鹿正直だった。
 駆け寄ってきたヨモが彼の顔を見上げる。

「どした? 怒った? お腹痛い?」

 長身のイサと小柄なヨモは身長差が顕著で、まるで子供が大人に話しかけているようだ。しかしヨモの言葉遣いは子供の調子をうかがっている保護者にも似ていて、その光景はより一層歪なものとなっている。

「…………」

 彼女の問いかけにイサは答えなかった。
 イサは不機嫌だったが、その感情は怒りではなく拗ねているというところが正しい。それを説明せず無言でいるのは、イサ自身が自分の感情を理解できていないからだ。彼が今自覚しているのは、ここにいたくないという気持ちだけだった。
 一方、マーメイドはイサが怒ったと思っているらしく、しおらしい態度になって彼へ話しかける。

「……からかったのは謝るから、帰ンないでよォ」

「「「アタシ達もォ~……困ってるゥ~のォ~……」」」

 取り巻きのマーメイド達も、一転して悲しげな顔になって歌うような声を上げた。
 それを見たヨモが鬱陶しそうな顔でボヤく。

「……最初から素直にそうしてりゃ良いんだよ」

 どうやら彼女達はまともに話をする気になったらしい。少しだけヨモは桃色の瞳でマーメイドを睨んだが、視線はすぐにイサへ戻される。

「イサ、大丈夫? いけそう?」

 気遣わし気に話しかけるが、対する彼は相変わらず沈黙していた。
 イサは自身を見上げている仲間を見て、入り江にいるマーメイド達を見る。皆不思議そうな、困ったような顔をしていた。そうしていると自分がわがままを言っている気分になってきて、なんだか彼は居心地が悪くなってくる。

「……ああ」

 ぎこちなくイサは頷いた。マーメイド達も大人しくなったようだし、いけるかいけないかと聞かれればいける気がしてきたのだ。

「よし、偉い偉い」

 返事を聞いたヨモは満足げに彼の腹をポンポン叩く。
 なぜ腹を叩かれたのかイサには分からなかったが、とりあえず褒められたため嬉しくなった。ヘルメットの耳も平常時の位置へ持ち上がる。

 気を持ち直した彼を引き連れヨモが入り江へ戻ると、さっそくマーメイドがくねくねしながら話しかけてきた。

「ごめんねェ。苛々してたのよォ」

「そんなお前らのせいで私は苛々したんですがね」

 ボソリと呟いたヨモの声を聞き、イサは自分がするべき行動に思い当たる。

「苛々とは」

 このまま彼女に任せては再びさっきの光景に逆戻りだろう。やっとそれに気づいたイサは、ヨモの発言を遮るようにマーメイド達へ話しかけた。
 彼の問いにマーメイドは暗い表情になって返す。

「だからァ、人がいなくなってるアレのヤツでェ……」

 イサの配慮は功を奏し、ようやく会話は情報収集としての形を成した。
 マーメイドがポツポツ話し出したのは、共存関係にある地元の人々とのやりとり。奇怪な行方不明事件が多発するようになった原因を、一部の人々はマーメイドと関連付け始めたのだ。海で遊んでいる観光客を彼女達が溺れさせ、死体を隠しているのではないか、と。

「酷いと思わなァい? アタシ達をバケモノ扱いしてさァ?」

「「「酷過ぎ~るゥ~!」」」

 マーメイド達は悲しみの声を上げると、一塊になって互いの肩を抱き合う格好で泣き始めた。コロコロ変わる彼女達の様子を見てヨモとイサは呆気に取られる。どうやらマーメイドというのは気分が変わりやすい妖らしい。

 事件の犯人がマーメイドなのではないかという噂は二人も耳にしていた。協力し合っているとはいえ、しょせん人と妖は異種同士。些細な切っ掛けがあれば、その信頼には簡単に亀裂が生じる。
 噂は今のところ、ごく一部で囁かれているだけのものだ。しかし事件が長引き人々の心が疲弊すれば感化される者の数も増えるに違いない。何の根拠もない妄言でも、多くの人々に共有されれば歪んだ常識となる。そうなれば、やがて人とマーメイドの関係は破綻するだろう。

 一滴の涙を指で拭い、マーメイドは話を再開する。

「そんな酷いこと言うんだったらさァ、アタシ達、引っ越してやろうかなァって、最近話してたとこなのよねェ」

 この海はマーメイドの生活に適しているが、別にここにしか住めないというわけではない。少々長旅になるだろうが、嫌になったから引っ越しを検討するというのは当然の思考だ。

「アンタ達も、アタシ達がやったと思ってンのォ……?」

 暗い瞳で問いかけられたが、ヨモは呆れたように溜息をついて見せた。

「思ってねぇから安心しろ」

 確かにマーメイドは気まぐれな性格だが、面白半分に生物の命を奪うような危険な妖ではない。今まで人と上手く共存出来ていた点から考えても、犯人が彼女達である可能性は低いだろうというのがヨモの推測だった。そもそも、観光客を殺したところでマーメイド側にメリットは何一つない。
 正直な話、むしろ地元の住人こそ怪しいのではないかとヨモは考えていた。今回の事件の特色は、観光客が何の痕跡もなくいなくなっていること。つまり死体がないのだ。どこにでも人がいる観光地で殺人を繰り返し、その度に人目につかず死体を隠すのは至難の業。土地勘のある者の犯行を疑うのは道理だろう。

「犯人に心当たりはないか」

 イサは一番聞きたかった質問をぶつけたが、今度はマーメイドが呆れたように溜息をつく。

「あったら言ってるわよォ」

 もっともな回答だった。
 肩を落とした彼を尻目に、ヨモは更に質問を重ねていく。

「四六時中海ん中にいるんだから、なんか見てないの? 気になることとかさぁ」

「ん~……」

 彼女の言葉を受け、マーメイドは頬に指を当て考える仕草をした。取り巻きのマーメイド達も仕草を真似、鼻歌のようなリズムで同じ音を繰り返す。

「「「ん~……ん~……」」」

「それやめてくんない?」

 見慣れてきた光景に嫌気が差しているのか、ヨモは剣呑な一言を投げかける。このやり取りはマーメイドの文化なのか、それとも彼女達独自の習慣なのか。

 しばし鼻歌だけが入り江にこだまする。美しい歌を歌うという評判の通り、それは鼻歌にも関わらず綺麗に澄んだ音をしていたが、機械のヨモと鈍いイサにはまったく理解できていなかった。
 リズムを奏でる内に調子が上がって来たのか、段々とマーメイド達は身体を揺する。彼女達は楽し気な顔になって共に同じリズムを刻み、ついには本格的に踊りだしてしまった。

「……これ以上、話を聞いても無駄ではないか」

 歌い踊るマーメイドを眺めたまま、イサはボソボソとヨモへ話しかける。彼女達は考えるのを放棄しているように見え、これ以上ここにいる理由はないと思えたのだ。
 しかし、彼の言葉を聞いたヨモは首を横に振る。

「いやぁ、そんなことはないよ」

「ほう」

 その答えをイサは意外に感じた。彼女はマーメイドが気に入らないようだったし、こんな非協力的な態度を目の当たりにすれば、機嫌を損ねて聞き込みを切り上げるだろうと考えていたのだ。
 どうするつもりだとイサから尋ねられる前に、さっさとヨモは自分の要件に移っていた。

「ねぇ、あんた達」

 ヨモに声をかけられたマーメイドは上機嫌に彼女へ返事をする。

「何よォ?」

 ちょっと来いとヨモに手招きされると大人しく従う。
 先ほどまで言い争っていたのが嘘だったかのような素直さに、そこそこイサは困惑していた。他者に同調できず、故に他者を推し量ろうと努力している彼にとって、気まぐれな人物の行動を理解するのは荷が重い。
 一方、自分の思うがままに展開が進めばそれで良いヨモは、すんなり近寄ってきてくれたマーメイド達を皮肉ることなく本題を告げる。

「あんた達が普段行かない所ってどの辺?」

 問いながら、ヨモは彼女達へ地図を見せた。それはヨモが事前に用意していたもので、観光地となっている陸地を中心に付近の海域が広範囲に網羅されている。
 マーメイド達は地図を眺めきゃあきゃあと話し合っていたが、やがて地図の一か所を細い指で示した。

「……ここか」

 ヨモは位置を確認する。現在地点は陸地の西側だが、マーメイドが指さしたのは真逆の東側だった。

「そこに何かあるのか」

 地図を覗き込んできたイサへ、ヨモは難し気な顔つきで答える。

「多分ね」

 彼女はマーメイドが示した地点をトントンと叩く。

「海で事件が起きてるのに海に住んでるマーメイドが分からないってことは、マーメイドの死角になってる場所がクサいってことよ」

「なるほど」

 実に単純な推理だったがイサは素直に感心した。彼の納得が得られたところで、再びヨモはマーメイド達へ向き直る。

「何でここに近づいてないの?」

「水が冷たくて流れが速いのよォ」

 わざとらしく両手で己の身体を包み込み、マーメイドは渋い顔つきになって答えた。

「「「魔物も住んでるのよォ~」」」

 取り巻き達も嫌そうな表情で続ける。
 一瞬苛ついた顔になったヨモだが、その感情はすぐに冷静な思考に塗りつぶされた。

「魔物……」

 魔物の話は町で聞き込みを行っていた際にも得られていた情報だ。近辺の海には魔物が住んでおり、昔は漁船が襲われ毎年被害が出ていたという。
 観光地となった今は環境保全を理由に漁は禁止されているが、そもそもここは漁業に適さない海といえるだろう。だからこそ、人々は観光を生業とする道を選んだのだ。

「犯人は魔物か」

 感じたままにイサが呟くが、それを聞いたヨモは唸った。

「有り得なくはない、けど……」

 当然だが、観光地として客を呼び込むのだから魔物対策はきちんと講じられている。魔物は沖に住んでいるため、人々は魔物が陸付近の海へ入り込んでこないよう、陸を取り囲む格好で魔物除けの網を張り巡らせていた。網は龍の毛で編まれており、龍を恐れる魔物の習性を利用したものとなっている。
 もし魔物が観光客を襲ったなら、この網が突破されたということだ。しかし龍の毛は自然が綺麗に保たれている場所での設置なら多少のことで千切れる心配はなく、長く海に放置されていても劣化は少ない。実際、行方不明事件が発生した際に網の点検が行われていたが、魔物が抜けられるような不備は確認できなかったという。

 以上の理由から、事件の犯人が魔物だとは断言できなかった。
 しかし行方不明者に共通点がないことから、魔物ではないにしても野生の生き物が無差別に襲っている可能性は否定できない。この海には人を襲うほど大きな肉食生物は住んでいないはずだが、ここ数年で自然環境は大きく変化したため、別の海域から未知の生き物が移動してきてしまった恐れは大いにある。

「確かに、事件は西の海より東の海の方が多めに発生してるんだよね」

 もう一度ヨモは唸った。まだ信頼できる統計がとれるほど被害は出ていないが、現在分かっている状況を見る限り、行方不明者が最後に目撃されたのは東側の海の方が多い。

「行ってみるか」

 尋ねる言い方をしたイサだが既に行く気になっていた。マーメイドとヨモの話を聞くうちに、すっかり彼は原因が東側の海にあると確信してしまったらしい。

「んー……」

 無邪気なイサとは対照的に、まだ少しヨモは引っ掛かりを感じているようだ。無駄を嫌う彼女は確信が持てないまま行動したくないのだろう。
 早々に結論を決めたイサとは違い、しばしヨモは熟考していた。


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