彼女の告白

 シノの部屋に広がる自然区域。その一角には、最近畑のエリアが出来た。決して広くない五畳ほどの畑には、未だ実を付けていないプチトマトの苗が均等な間隔で植えられている。
 それへ水をやっているのは、イサ。園芸をするには不似合いな黒いコートを揺らしつつ、彼は畑の周りをうろついていた。黒い手袋をした手には緑のジョウロを掴んでおり、それを不器用に動かし水を降らせている。

 伸びた葉に当たった水滴が光を反射して砕け散り、地面を濡らしていく。実に平穏で爽やかな光景だったが、イサの心は陰鬱としたままだ。
 彼は背中に目玉を一つ移動させ、こっそり背後を覗き見る。視界の中にいたのは、車椅子に座ったウナテだった。木陰にいる彼女は何も話さず、ただ黙ってイサの方を見ているような気がした。気がした、というのはウナテは顔の大半が目隠しで覆われているため、その視線の行く先を知ることができないからだ。といっても、目隠しの奥にあるのは瞳ではなく穴なのだから、そもそも彼女に視線などないのだが。
 何か考えているのかもしれないし、何も考えていないかもしれない。もしかしたら居眠りでもしている可能性すらある。そんなウナテの動向を探りつつ、イサはプチトマトへ水を与え続けていた。水は既に与えすぎの域に達しているのだが、植物の知識が乏しい彼はまったく気が付いていない。

 数日前、イサはウナテとデートをして、告白して、振られた。ショックを受けた彼はしばらく部屋に引きこもっていたが、仲間の気遣いもあり徐々に普段の状態へ戻ることができた。
 そして今日、振られてから初めて、イサはウナテと会っている。正直なところ、彼女と再び会うのはかなり迷いがあった。ウナテは自分のことが嫌いなのかもしれない。そして、自分はそんなウナテが嫌いなのかもしれない。互いに嫌い合っているのなら、会う必要などない。頭の中ではそう思っているのに、なぜかイサは彼女に会わなければいけない気がした。
 ここまで執着している理由は、よく分からない。感情というものに疎い彼は、時として自分の気持ちすら整理できなくなる。

 色々考えイサが導き出した答えは、振られた原因が理解できていないから気になっているのではないか、というものだ。
 告白して振られた際、あまりに衝撃が大きすぎて彼はウナテに理由を聞けなかった。引きこもっていた期間、モヤモヤした頭の中にあったのが、どうしてこうなってしまったのだろうという疑問。この疑問を解決できれば彼女への執着が薄れるのではないかと考え、イサはウナテとの再会を希望したのだ。シノからは無理をするなと言われたが、このままモヤモヤし続けたら、それこそ元の自分に戻れない気がした。

 水やりを終えたイサは、ぎこちない動きでウナテの元へ歩いて行く。

「……終わった」

 声をかけられた側は僅かに顔を上げ、イサを見上げる仕草をした。

「……ありがとーございます」

 返事が以前より冷たく聞こえる気がする。常日頃から鈍い彼にも、今の状況が大変気まずいというのが理解できた。これ以上何を言えば良いか分からなくなり、イサは自然と黙ってしまう。
 次の行動を決めかねたまま、彼はウナテの車椅子の隣に並び、なんとなく自身が世話していた畑の方へ視線を向けた。ウサギを模した頭部のヘルメットに濃い緑色が映り込む。

 プチトマトの苗を植えたのはシノだった。イサがデートで苗を買い、直後に部屋へ引きこもったため、そのまま苗は放置されてしまっていたのだ。心配したシノのおかげで苗達は畑へ植え付けられたが、放置が続けば枯れていただろう。
 水のやりすぎでびちゃびちゃになった畑では、プチトマト達が一生懸命生き延びようとしている。その景色を眺めていたイサの心に、ふと、いったい自分は何をしているのだろうという思いが過った。植物を育ててどうしようというのだろう。嫌な気持ちになってまでウナテと関わって、なんの意味があるのだろう。

 考え出すと苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。自分の行いが無意味に思えてきて、イサの心には暴力的な感情が生まれつつあった。畑も、隣にいる女も、全て破壊し尽くしてしまえば、何もかも解決する気がする。面倒ごとを目の前から消し去ってしまえば、それで悩みは終わるのではないだろうか。
 彼はウナテを見下ろした。整えられた髪と、その隙間から覗く青白い首が見える。彼女はイサの衝動に気付かない様子で、沈黙したまま畑の方へ顔を向けていた。何も見えていないのに、なぜウナテは畑を眺める仕草をするのか、イサにはまったく理解できない。

 彼はウナテに話しかけようとして、やめ、彼女の頭部に手を伸ばそうとして、それもやめた。ウナテをどうにかしたいのだが、どうにかする方法が分からないし、なぜどうにかしたいのかも、具体的にどうしたいのかも分からなかった。
 生来考えるのが苦手なイサはすっかり苛立ちに飲まれてしまい、人の姿すら保てなくなってしまっている。彼の下半身はグズグズに崩れ、無数に伸びるタコに似た触手が地面を引っ掻いていた。
 なぜウナテを殺せないのだろうと、イサは無言で考える。人殺しは悪いことだから。ウナテはシノが管理している資料だから。頭部の中の虹が欲しいから。色々な答えが出てくるが、どうも自分の心の穴にぴったり収まらない。

 次に思い浮かんだのが仲間の言葉。ウナテに対しての接し方を説いたシノ。ウナテとの関係を応援すると言ったヨモ。自分には答えられなかったウナテの疑問に快く応じたアヤ。ウナテとの外出を提案したヒロ。そのどれもが、なんだかイサには引っ掛かっていた。
 ウナテと自分の関係について仲間達が語っている時、その表情に嬉しそうな感情が滲んでいるのをイサは辛うじて感じ取っていた。たぶん仲間達は、ウナテとの関係を通して自分へ何かを期待している。そして、もしここでウナテを殺したら、仲間達の期待を裏切る結果になる。そんな漠然とした不安がイサにはあった。
 仲間達は自分より賢い。賢い彼らが、ウナテとの関係に期待を持っている。だからウナテを生かすのは意味があることなのだ。
 そしてウナテも自分より賢い。賢い彼女が、自分を拒絶した。これもきっと意味があることなのだろう。

 自分の周囲にいる賢い者達が、皆で意味を示している。それを理解できない自分は、いったい何なのか。
 見えない正解を探る内、イサはすっかり自己嫌悪の闇に沈んでいた。仲間達は自分へ何を期待し、ウナテはなぜ自分を拒絶したのだろう。自分は、どうすればいいのだろう。

「イサさん……泣いてます?」

 静かな口調でウナテが尋ねてきた。急に話しかけられたイサは驚いてしまう。
 そして、質問の内容を遅れて理解し再び驚いた。そんな問いかけをされたのは初めてだったのだ。
 内心動揺しながら、彼は歪な声で問いに返した。

「泣いてはいない」

 泣くとは、涙を流す行為を示す。イサはどんなに痛い目にあっても、辛い思いをしても、涙が出てこなかった。それはイサの肉体が普通の生物と違うという事実を示し、彼が人ならざる者である証明だ。
 だから今、イサは泣いていない。泣いてはいないが、もし彼が生物と同じ身体の作りをしていたなら、きっと泣いていただろう。

「……でも、悲しい」

 なので、イサはそう表現した。混乱する思考の中、求める答えが見つけられない彼だったが、自身を支配していた苛立ちが悲しみの感情に上書きされたのには気づいている。
 その返事を聞いたウナテは彼を見上げ、再度問いかけた。

「それは、私のせーですか?」

 彼女の顔を見られないままイサは短く告げる。

「たぶん……そうだ」

「…………」

 彼の答えを聞いたウナテは何も言わず、顔を正面へ向け直した。
 怒ったのだろうか。それとも困っているのだろうか。もしくは、なんとも思っていないのか。イサは彼女の様子を見たかったが、今はそれすら怖く感じている。見て、その反応の意味が分からなかったら、彼は今度こそウナテの頭を握り潰してしまう気がした。
 イサが迷っている間、ウナテは一人で何やら身動ぎしていた。どうしたのだろうと彼が違和感を覚えた頃、隣からパチンという金属音がする。それに反応する形でイサが彼女を見たのと、ウナテが彼を再度見上げたのは同時だった。

「イサさん、見て下さい」

 その顔が目に入った瞬間、イサは彼女の仕草の意味を理解する。

「……何をしている」

 またもや彼は驚いたが、口から出た声は普段と変わらず平坦なものだった。
 ウナテは、目隠しを外していた。彼女の顔面に存在するのは大きな黒い穴。穴の中心には、虹色の光が煌めいている。
 真っ先にイサが感じたのは、ウナテは自力で目隠しを外せたのかという衝撃。次に考えたのが、どうして彼女は目隠しを外したのだろうという疑問だった。
 イサの視線の先で虹色の光が輝く。穴の吸収能力が発動し、引き込もうとする力の流れが彼の身体へ加えられた。それは普通の生き物であれば抗いようがない威力だったが、普通ではないイサにとっては、意識してさえいれば耐えられる程度のものだ。

 イサの質問に答えないまま、ウナテは自身の顔を指で示した。

「イサさんは、これが好きなんでしょー?」

 どうやら彼女は虹を見せてイサを元気づけようとしているようだ。

「…………」

 一方で、呆気にとられた状態のイサは満足に返事もできない。

「これが欲しーんですか?」

 彼の回答を待たずウナテは問いを重ねる。
 今までもイサは、彼女の見舞いの度に虹を眺めてきた。ウナテの顔面に浮かぶ光はとても綺麗で、未だに彼の心を惹きつけて止まない。ウナテと初めて出会った時も、イサは彼女の虹が欲しくてたまらず、仲間達へ無茶なワガママを言って困らせたことすらある。
 そして今も、彼は目の前で煌めく虹色の光を美しいと感じていた。だから、欲しいかと聞かれれば欲しいと答えるべきだし、普段のイサなら素直に答えていただろう。なのに彼が正直になれないのは、今自分が欲しいのは虹ではない気がしたからだ。
 では、いったい何が欲しいのだろう。しばし間を置き、イサはボソリと言葉を発した。

「……違う」

 ウナテは首を傾げる。

「何が違うんですか?」

「私が欲しいのは……虹では、ない」

「では、何が欲しーんですか?」

「…………」

 イサは何も答えられなかった。ウナテは彼の台詞を待っていたが、いつまで経っても返事が返ってくる気配はない。
 しばらく二人は沈黙していたが、やがてウナテは静かな口調で尋ねた。

「イサさんは、私の虹が欲しーから告白したじゃないんですか」

 彼女の雰囲気が変わった気がしてイサは若干気圧された気持ちになる。

「……そうだ」

 彼がぎこちなく頷くと、すぐさまウナテは次の質問を続けた。

「なのに、今は欲しくないんですか」

「…………」

 やはりイサは何も答えられない。

「……どーして」

 しかしウナテは、今度は無言を許さなかった。顔の穴を正面の男へ向けている様は、まるで真っ直ぐ見つめているかのようだ。
 なんだか彼女に睨まれている気分になってきてイサは居心地が悪い。

「それは……ウナテが……」

 淡々とした声でしどろもどろに言葉を迷わせるが、その返事が答えとしての形を成すことはなかった。何せ彼自身にも自分の心が分からないのだから、答えろと言われても答えようがない。
 かなりの時間、イサは一人でモゴモゴと脈絡のない台詞を呟いていた。彼のヘルメットには口を閉ざしたままのウナテが映っていたが、そんな彼女の何気ない表情にすらイサは責めの感情を感じてしまっている。

 数分の時間が過ぎた頃、結局イサは答えを探すのを諦めてしまった。考えすぎた彼は、もはや自分が何を考えていたのかすら分からなくなったのだ。
 混乱の果て、頭の中に最後まで残っていたのは、ずっとウナテへ尋ねたかった疑問。

「……ウナテは、どうして私の告白を断ったんだ」

 ここへ来た目的である台詞を、やっとイサは告げることができた。

「花が気に入らなかったのか、指輪が気に入らなかったのか」

 一度口にしてしまうと疑問は止まらず、彼は思いつく限りの憶測を彼女へぶつける。その口調に攻撃的なものが含まれているのは、今イサはウナテに叱られているような気分になっているから。そして同時に、彼女の回答を恐れているからでもあった。
 息継ぎすら忘れて、イサはたくさんの理由らしきものを並べ立てる。話している間はウナテの答えを聞かなくて済むのだと、彼は無意識に考えていた。
 だが、それも長くは続かない。やがて並べるものがなくなったイサは発言を区切ると、最後にポツリと、最も恐れている憶測を彼女へ尋ねた。

「ウナテは……私が嫌いか」

 その言葉は非常に歪だったため、もしかしたらウナテへ正確に伝わっていなかったかもしれない。
 イサは話し続ける内、己でも気づかぬ間に肉体を大きく変化させていた。今の彼の姿は、無数の黒い触手が絡み合って出来上がった人型の化け物のようだ。ウナテの回答に恐怖心を抱くあまり、イサは自然と彼女を威嚇しようとしていた。


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