愛する人は泥だらけ

泥まみれの村

【任務内容】
ゴーレム暴走の原因を解明

【終了条件】
事件の解決



「この沼、今は濁ってますよね? でも十年に一度、とっても綺麗になるらしいんです」

 目の前に広がる沼を指さした少女は、快活な笑顔を浮かべて隣の男へ話しかける。

「ほう」

 解説を聞いていたイサは短く返事をした。なんだか素っ気ない反応だが、別に彼女の話に関心がないわけではない。むしろ美しいものの収集癖があるイサとしては、綺麗になる沼というのは興味深かった。もちろん、沼を持って帰ることはできないが。

 現在地は沼のほとり。山を背にする格好で存在している沼は広大なもので、イサと少女の視界一杯に満ちている。
 が、残念ながら風光明媚な光景とはいえない。何せ沼も山も異様なほど泥にまみれており、見渡す限り土由来の茶色に支配されていたのだ。木々はまばらで背の低い植物が目立ち、少々寂し気な雰囲気がある。この一帯は昔からこんな有様で、泥だらけな風景は自然によって作り出されたものなのだという。

 イサは今回、アヤと共に山中の集落を訪れていた。もちろん要件は三足鳥の啓示について。なのになぜ子供から観光案内されているのかというと、早い話が子守りを頼まれたからである。
 事件のあらましを聞くため村長宅を訪れたアヤとイサだったが、正直なところ聞き込みはアヤだけで十分だ。暇を持て余したイサは一人ぼんやりしていたのだが、そんな彼に話しかけてくる者がいた。それが今現在、観光案内をしてくれている少女だ。村長の孫娘である彼女は「沼へ行きたいが、一人で行くと大人に怒られる」という理由でイサに同行を求めてきた。戸惑ったイサだったがアヤと村長の勧めもあり、今こうして少女と共に沼を訪れている、というわけだ。

 沼に興味がなかったイサは最初こそつまらなく感じていたが、少女から沼に関する逸話を聞く内、段々と好奇心を抱きつつあった。村の周囲が昔から泥だらけなこと。山から流れ出る泥で沼が酷く濁っていること。そして、その沼が十年に一度綺麗になること。
 それらの情報を頭の中で整理したイサは、不思議に感じて沼を見渡した。水に大量の泥が混じっているせいで沼の底はまったく視認できない。こんな水が綺麗に澄むなど、彼には信じ難かった。

「お前は、綺麗になった沼を見たことがあるのか」

 イサが不愛想に尋ねると、少女はハキハキと答えた。

「未だありません。前回の時、私は生まれていませんでしたから」

 彼女は考えつつ言葉を続ける。

「でも、そろそろ綺麗になるんじゃないかってお父様が言ってました! その時は私、絶対見るって決めてるんですっ」

 固い決意を表明する少女。一方、イサは首を傾げて沼を見つめていた。

「……こんな沼が美しくなるのか」

 ポツリと疑問を口にしたイサに向かって、少女は大きく頷く。

「美しくなるのです! なんと底まで見えるそうですよ」

 まだ納得できないイサは沼のギリギリまで近寄っていった。

「底は、今は見えないな」

 濁った水に彼の影が映る。ウサギ型のヘルメットを被った特徴的なシルエットが、小さな波と共に揺らめいていた。
 少女はイサを見上げて楽し気に話す。

「この沼の底には色鮮やかな石がたくさん沈んでるらしいのです。なので水が澄むと、まるで沼の水が美しい虹色になったように見えると聞きました」

「虹……」

 イサは少女の言葉を繰り返した。彼女の言う鮮やかな石とやらは、現時点ではまったく確認できない。しかし、美しいと聞いたからには見てみたくなるのがイサだ。
 彼は何も言わずに、いきなり沼の中へ足を踏み入れた。驚いたのは少女である。

「わっ、危ないですよ!? 行ってはなりません!」

 彼女は慌ててイサの黒いコートを掴んで引き留めた。一瞬イサは振り払おうとしたが、子供相手に暴力を振るうのは悪いことだという常識を瞬時に思い出し、行動を留める。
 しかし当然、この状態では潜水できない。彼は仕方なく眼球の一つを靴の先へ移動させ、出来る限り底を覗こうとした。

「……何も見えないな」

 成果の上がらなかったイサは不満をこぼす。少女は困った顔になって沼の状態を補足した。

「泥山から流れてきた泥がたくさん溶けてますからね。この沼は山の神様のものだから入っちゃ駄目って、お母様が言ってました」

「ふぅむ……」

 イサは仕方なく沼から上がる。すっかり濡れてしまった足首からはボタボタと水が滴っていたが、彼がそれを気にする素振りは無かった。
 代わりに、イサが口にしたのは沼への疑問。

「こんな沼を洗浄するのは大変だろう。どうするんだ」

 少女は気がかりそうに彼の足を見つめていたが、その問いを受けて慌てて返事をした。

「あ、村の人達が掃除をするわけじゃありません。自然と綺麗になるらしいです」

「自然と」

 またもや言葉を繰り返すイサ。頷いた少女は説明を付け加えた。

「なんでも、山の神様が綺麗にしてくれるらしいです。沼に落ちた泥を自分のところに呼び戻すから、沼から泥が消えるという言い伝えなのです」

 そこまで言うと、彼女は視線を沼の向こう側にある山へ向ける。

「沼が綺麗になる時は女性の呼び声が山から聞こえるから、山の神様は女性だと言われています」

 なかなか奇妙な現象を聞かされ、イサも不可解そうに山を眺めた。

「ほう、どんな声が聞こえるんだ」

 少女は難し気な顔つきになって回答を選ぶ。

「うーん……なんでも、大きな叫び声というか……そんな感じらしいです。言葉ではないとのことですが……」

 声を聞いたことのない彼女は説明し辛そうだった。しかし、やがて表情を明るくさせると再び力強く宣言する。

「私、その声も是非お聞きしてみたいのです! だから毎日ここに来て、沼が綺麗になる前兆がないか確認してるんです」

「なるほど」

 少女が沼へ来たがっていた理由に納得したイサは小さく頷いた。
 それと同時に、毎日一人でここへ来られていた彼女が、今日は大人を同行させなければならなかった原因にも思い当たり、不便そうだなと感じてしまう。

 その原因こそ、イサ達が村へやってきた本来の案件。村で奇妙な事件が起こり、人が一人死んだのだ。
 事件のせいで村人達は神経を尖らせており、それは少女の両親も例外ではない。村から沼まで時間にして徒歩十分ほどの距離しか離れていないのだが、その距離でも子供を一人にさせるのに抵抗があったらしい。

 少女が気軽に沼へ来られるようにするためには、自分達が事件を解決する必要がある。その結論に至ったイサはちょっとした責任感を抱いた。美しいものに関心のあるイサは少女の好奇心を理解できる。もし綺麗になった沼を見られなければ、彼女がとてもガッカリするのは鈍いイサでも想像できた。
 いつ沼が綺麗になるか分からないため、事件は早めに解決したいところだ。そろそろアヤの情報収集は終わっただろうか。
 そんなことを考え始めたイサだったが、件の少女がじっと自分を見上げているのに気づき思考を切り替える。

「……どうした」

 短く彼が問うと、問われた側は不思議そうにイサの頭を指さした。

「あの……お耳が、チカチカ光ってますよ?」

「ぬ」

 まったく気付いていなかったイサは己の耳へ視線を向ける。確かに少女の言う通り、ウサギを模した長い耳の先端は白い光を放っていた。

「……アヤからの通信だ」

 彼はポツリと呟くとヘルメットを内側から操作し、通話モードに切り替える。正体が軟体であるイサならではの仕組みだ。
 切り替えると同時に、ノイズ交じりの音声でアヤの声が聞こえてきた。

『あ、イサ? 今大丈夫だった?』

 なんだか久し振りに聞いた気がする彼女からの問いかけへイサは応じる。

「あぁ、こちらは問題ない」

『あのさ、村長さんとの話が終わったから、そろそろ合流したいなって思ってるんだけど……来れそう?』

「分かった。今から行く」

『じゃあ被害者の家までの地図を送るから、そっちで会いましょう』

 その台詞が聞こえると同時にアヤからデータが転送されてくる。イサがヘルメット内部でデータを確認すると、彼女の言う通りそこには村の地図が記されていた。村の外れの一軒家に赤い丸印が書き加えられており、そこが目的であるのが分かる。
 現在地と目的地までの繋がりをおおよそ把握したイサはさっそく沼へ背を向けた。任務の内容で頭が一杯になっていた彼だが、数歩歩いたところで同行者の存在を思い出す。
 もう村へ戻ることを少女へ伝えなければならない。イサは面倒に感じながら彼女の姿を探す。しかし、件の少女が口をポカンと開けて固まっているのを見つけて反射的に動揺した。

「…………」

 彼女は何も言わず、目を丸くしたままイサを見つめている。それは信じられない光景を目撃した時にする、驚愕の表情だ。

「……なんだ」

 ぎこちなくイサは尋ねた。彼は人から驚いた顔をされるのが苦手なのだ。
 人ならざる存在であるイサは、その奇怪な生態故に人から驚かれたり恐れられたりすることが多々あった。そんな反応を見る度に、人でありたい彼はひっそり落ち込んでいる。
 だから目の前の少女が驚いた顔をしているのにも戸惑っていた。自分の振舞に不自然なところがあっただろうかとイサは一生懸命思い出す。確かに地図を確認する間、彼は無言のまま棒立ちでいた。しかし、そのくらいでこれほど驚かれるはずはないのだが。
 内心オロオロしていたイサだったが、そんな混乱を知る由もない少女は驚いた顔を継続させたまま口を動かした。

「そっ……その被り物は電話だったのですね!」

「……でん、わ」

 想定外の台詞をぶつけられたイサは、彼女の視線の先にある自身のヘルメットを無意味に撫でる。
 少女はキラキラした瞳で彼を見つめていた。

「私、てっきり防具の類かと! 千年使徒様は平時であっても油断をなさらないのだなと思ってましたが、まさか電話とは……!」

 しきりに感心している。どうやら彼女の驚愕の原因はイサが危惧した点とは別のところにあったらしい。

「むう……」

 安堵したイサは低く溜息をつく。その反応を不穏に感じたのか、少女は慌てたように補足した。

「あっ、申し訳ありません! もしかして私、変なことを言ってしまいましたか……?」

 しょんぼりした態度になると、上目遣いで彼の顔、というかヘルメットを見る。

「私、村から出たことが無くて、外の流行はよく知らないんです……その電話は一般的なものなのでしょうか……?」

「いや……一般的では、ないな」

 イサはボソリと答えた。
 正確には、彼のヘルメットは電話ではない。しかし、「では何なのか」と聞かれてもイサには上手く答えられないため、彼は自主的に説明しようとはしなかった。


 幸い、少女は沼から離れることを快諾してくれた。戻る道中でも異常はなく、二人はすんなり村へ戻ることができた。こうもあっさりしていると子守りなど必要なかったのではとイサは感じてしまう。
 守られている側の少女はというと、知らない大人と出歩けたのが楽しかったのか終始ニコニコしていた。口下手なイサは立っているだけで子供から怖がられることもあるのだが、人懐っこい性格の彼女は平気らしい。
 少女は隣に並んでいるイサを見上げ、次の予定を確認する。

「イサ様は、これからアヤ様のところへ行かれるのですよね?」

「ああ」

 彼の返事は素っ気ない。外見からは分からないが、イサはヘルメットの中に地図を表示させて目的地を再確認していた。現在地の村の入り口からだと、事件現場である家までは少々歩くことになりそうだ。
 一方、彼の隣にいる少女は心配そうな顔になって足元を見つめている。視線の先にあるのはイサの靴、およびズボンの裾。沼に浸かってしまったそれらは未だに水を含んでおり、地面へ点々とした水滴を落としている。

「お洋服が汚れてしまいましたね……私、家に戻ってタオルを持ってきますっ」

 少女の声が聞こえたイサは一拍の間を置いてから返事をした。

「このくらいは平気だ」

 未だ彼の意識は地図へ向けられているのだが、そんな不器用さにはお構いなしに少女は続ける。

「いえいえ冷たいでしょう! 遠慮なさらず!」

 言うなり彼女は家の方へ駆け出してしまった。

「先に行っててくださーい! 私、お届けしますのでー!」

 遠ざかっていく声を聞いていたイサはポツリと呟く。

「……平気なんだが」

 もちろん、既に遠くにいる少女に聞こえるはずもない。
 そんなに気になるだろうかとイサは自分の足元を眺める。自身の痛みに鈍い彼は、当然冷たさにも鈍かった。一応、イサは足を振って滴を飛ばしてみる。動かす度に脚部を形作る触手の束が揺らめき、ざわざわとした微かな音を立てた。


 ある程度の水を払ったイサは、改めて目的地までの道を進んでいた。木製の質素な家々を横目に見ながら、彼は足元に気を付けつつ歩いていく。なにせ村の地面までも泥だらけで、油断すると滑りそうになってしまうのだ。慣れている村人達は涼しい顔で歩いているが、初めてやって来たイサにしてみれば難儀という他ない。もう飛んでしまおうかという考えがチラリと彼の頭を過ったが、今のところは楽をしたい気持ちより、人前で正体を現すことへの羞恥心のほうが勝っている。
 もたもた歩いているイサへ村人達は心配そうな視線を向けていた。余所者がやってくるのは村長から村人達へ事前に知らされているため、特に警戒されてはない。そもそも、この村は移住者が多いのだから余所者に対する拒絶感も無いに等しいが。

 イサはヘルメット越しに村の風景を眺めた。山奥の村というのは老人ばかりで寂れている場所が大半だが、ここでは老若男女様々な年代の住人がいる。しかし活気に溢れているわけではなく、行きかう人々は誰もが表情に影を落としていた。村全体が陰鬱としている、というほどでもないが、なんだか必要以上に静かだ。これは事件が原因ではなく、この村特有の事情によるものだった。
 それに由来するのが、人々に紛れ、さも当然のように動き回っている、ある物。

「…………」

 ソレが視界を横切っていく度、イサはなんとも落ちつかない気分になってしまう。ゆっくりした動作で歩いているのは、泥で出来た人型の存在。ゴーレムと呼ばれる妖の一種だった。
 ゴーレムとは、人が作った泥人形に心が宿って生まれる妖。基本的に自我は薄く、しかも人の命令に従う性質を持っているため、人には無害な妖として知られる。
 この村のゴーレム達も例にもれず、各々が村人達の手伝いをしていた。人に近づけた作りになっているため遠くから見ていると村人と勘違いしそうになる。彼らがいるおかげで村の人口密度は実際よりも高く感じられた。

 見慣れない光景に、自然とイサの瞳はゴーレム達へ向けられる。泥製の人型達は荷物を運んだり畑仕事をしたりと真面目に働いていた。しかし人形故の仕様なのか、その動作は実にのんびりしている。疲れないため休みなく働けるとはいえ、なんともおっとりした仕事風景だ。
 そんなゴーレムを、それぞれの所有者である村人達はどこか優し気な表情で眺めていた。仕事が進まない苛立ちなど一切感じていない、まるで自分の子供を見守るような顔つきになっている。

「…………」

 その理由をイサは知っていた。知っているからこそ、この光景をじろじろ見るのは失礼なのではないかと察し、顔を正面へ向け直した。
 人に近い背格好になっているゴーレム達だが、そのデザインにはモデルがいる。それは、各所有者に近しい人であり、既に亡くなっている人物だ。
 この村には移住者が多い。移住してくるのは、親しい者を亡くし、その事実を受け入れられない人々。彼らはゴーレム作りを生業とするこの村で、亡くなった人物に似せた泥人形を作ってもらい、その人形と共に過ごして心を慰めているのだ。

 こんなことをして何の意味があるのだろうとイサは考える。大切な人に似ているとはいえ、しょせんは泥人形だ。移住者達はそれを理解しているはずなのに、どうしてゴーレムへ暖かな感情を向けられるのか。
 イサは再度、チラリと視線を周囲へ向けた。視界の中に縁側でゴーレムと一緒に過ごしている男が映り込む。女性を模したゴーレムの隣に座る男は、穏やかな顔で空を眺め、何も言わずにお茶をすすっていた。


ここから先は

69,901字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?