失せて消えず

 予定時刻ピッタリに診察室へ現れた人物を見て、アヤは笑顔で声をかける。

「ヨモが病院に来るって変な感じね」

「たまにはいいじゃん」

 病気とは無縁な機械少女も、白い顔に愉快そうな感情を張り付けて返事をした。
 二人がいるのは三足教の関連施設である病院。ここでは定期的にアヤが医療業務を行っているのだが、今日は珍しくヨモから予約の連絡が入っていた。もちろん、診察の対象は彼女自身ではない。

「で、具合の悪い人は? どんな症状なの?」

 アヤがヨモへ尋ねる。アヤが彼女から聞いていたのは「面倒な患者を連れて行くから時間を空けておいてくれ」という話だけで、具体的な内容は聞かされていなかった。
 ちなみに現在は診療受付時間を過ぎているため、「面倒な患者」とやらが凄まじく面倒でも他の患者へ迷惑をかけることはない。

「具合が悪いっつーかねぇ……」

 問われたヨモは難し気な表情になって言葉を濁す。いつも単刀直入な彼女にしては曖昧な態度に、アヤは不思議そうに首を傾げた。
 ヨモは小さく息をつくと、今しがた自分が通って来たばかりの待合室へ声をかける。

「おーい。大丈夫だから入って来なー」

 彼女が呼びかけると、小柄な影が診察室の中へギクシャクと入って来た。

「…………」

 現れたのは暗い色のローブをまとった人物。深くフードを被っているため顔はうかがい知れないが、中で光る黄色い瞳はおどおどした気持ちを表すように揺れていた。
 なかなか風変わりな人物が登場したが、様々な患者を診てきたアヤが平静を崩すことはなかった。

「……子供?」

 彼女は小声で呟く。ローブの人物の身長はせいぜい一メートルほどで、どう見ても大人には見えなかった。
 ヨモは自分の隣へ歩いてきた同行者を見ると、アヤを指差して次の行動をうながす。

「ほら、怖くないから。アヤに挨拶して」

「こ、こんにちは……」

 指示された側はぎこちない動きで頭を下げる。その声を聞いたことで、アヤは目の前の人物が少年であるのを知った。
 彼女は表情を和らげると、少年へ向かって穏やかに話しかける。

「こんにちは。私はアヤ。ヨモの友達よ。あなたの名前は?」

「……スクナ」

 ローブの少年ことスクナは、緊張したように視線を下げて返事をした。二人のやりとりを眺めていたヨモは短く補足を付け足す。

「暫定的に、だけどね」

「暫定的?」

 その妙な言い回しに、アヤは不可解そうな視線を彼女へ向けた。見られた側は渋い顔つきになって台詞を続ける。

「この子、記憶を無くしててさ」

「えっ」

 アヤは驚いてスクナを見下ろす。

「…………」

 小さな少年は心細そうにうつむいたままでいた。

「あー……話せば長いんだけど」

 ヨモは大儀そうに腕を組むと、やれやれと言いたげに軽く首を振って見せる。

「アヤならスクナのことが何か分かるんじゃないかと思って、連れてきたわけよ」


 時間は一年ほど前まで遡る。
 遺物を求めて廃墟と化した町を訪れていたヨモとオシオは、目には見えない透明な「何か」、としか言い表せない奇怪な物を発見した。
 高濃度の混沌を放つそれを危険だと判断したオシオは、とりあえず旭塔会へ「何か」を持ち帰り解析を開始。様々な調査を行った結果、そう時間はかからず「何か」の正体を突き止めた。
 オシオがたどり着いた結論。それは、「何か」は肉体を失った子供、というものだった。


 端折りつつのヨモの話を聞き終えたアヤは、改めて目の前の少年へ視線を向けた。

「つまり……その「何か」が、スクナ君?」

「うん。そう」

 ヨモは軽い調子で返事をしたが、当のスクナはうつむいたまま無言でいる。
 現在、訪問者の二人は椅子に腰かけており、医者であるアヤと対面する格好になっていた。

「あ、ちなみに混沌対策はバッチリよ? この、私が開発した特製ローブを着せることにより、内側からの混沌をシャットアウトしております。周囲の環境への悪影響はございません」

 わざとらしい口調になったヨモが隣のスクナを手で示して解説を続ける。

「なんと、このローブは身体の代用になっているのです。身動き一つできず、つーか肉体がなさすぎてマジ何もできない状態だったスクナ君ですが、これを着ることで、まぁそこそこ人らしい動きが可能に!」

 テンションが上がっていくヨモだったが、そんな彼女へ当のスクナが口を挟んだ。

「でもこれ、動き辛いよ」

 少年は手袋をした手を前にかざし、不慣れな動きで握ったり開いたりして見せる。それへヨモはブスっとした顔で答えた。

「無いよりマシだろ。慣れろ」

 やり取りを見ていると、どうやら二人はそれなりに仲が良いらしいのを察することができる。
 アヤは難し気な顔になって状況を整理した。

「これは……ずいぶん、特殊なケースみたいね……」

 ヨモが言葉を濁していたのは、どこから話せば良いか彼女自身にも分からなかったからだろう。

「こういうのってアヤの方が分かるかと思ってさぁ」

 ヨモも作り物の顔に困ったような表情を浮かべると、スクナへ桃色の瞳を向けた。

「じゃあ、スクナ。アヤに顔見せても良い?」

「……うん」

 少年は短く返す。緊張しているらしかったが、そんな様子にヨモは気づかう素振りもない。彼女は遠慮なくスクナのフードの中へ手を突っ込むと、奥から黒い仮面のようなものを引き抜く。そしてアヤが「何それ」と問うより先に、スクナのフードを上げた。

「!」

 目に飛び込んできた光景には、さすがのアヤも驚いてしまう。

「……ね? 身体ないっしょ?」

 ヨモから問われ、彼女は目を丸くしたまま頷いた。

「……ない、わね」

 目の前に座っている少年の、頭部が存在しているであろう箇所。そこには何もなかった。遮る物のない空間の先には、当たり前のように診察室の白い壁が見える。

「ってことはだよ? スクナは幽霊みたいなもんってことじゃん? だったらアヤが何か分かるかなーって」

 ヨモは自分が来た理由を説明しつつ、素早くスクナのフードを戻し、仮面を顔の中へはめ込んだ。何もなかったはずの場所にフードが被せられ、頭の形を作り出すというのは、見ていてとても不思議な光景だった。
 しばしアヤは呆気にとられてしまったが、少年が不安そうな顔になっているのを見て我に返る。彼女は気持ちを落ち着かせると、一つ呼吸してからスクナに話しかけた。

「それじゃあ……診てみるから、ちょっと触らせてもらっても良い?」

「う、うん」

 詰まりながらもスクナは頷く。少年の動きがぎこちないのは緊張しているせいもあるだろうが、肉体が偽りのものであるというのも大きいのだろう。普通に歩いたり話したりすることすら、今の彼には難儀なのかもしれない。
 アヤはスクナの手に自身の手を重ねると浅く息を吐いて目を閉じた。

「…………」

 手袋をしているように見える小さな手だが、これは少年の手そのものの役割を担っている。不思議なことに手袋は仄かに暖かく、微かな鼓動すら感じられた。まるで本物の血肉で出来上がっているようだ。
 なんだか、この触り心地には覚えがあるような。そんな疑問を感じたアヤだったが、今は余計な詮索をしている場合ではないと意識を集中させる。

「俺……死んでるん、ですか?」

 スクナが小さな声を上げたのは、アヤが彼の手に触れてから数分が経った頃だった。
 問われた側は柔らかな笑みを浮かべて少年の手を離す。

「大丈夫。ちゃんと生きてるわ」

 その答えを聞いたヨモが意外そうに目を丸くした。

「え、幽霊じゃないってこと? 見えないのに?」

 彼女からの指摘にアヤは言葉を迷わせる。

「……表現が難しいんだけど、スクナ君から感じる思念の流れは幽霊のものとは別ね。魂だけで存在してるってわけではないみたい」

 生物と幽霊の共通点は魂を有していること。そして両者の決定的な違いは、肉体を備えているか否だ。
 思念は魂から生み出される。そのため生物も幽霊も思念を放っているのだが、肉体という殻をまとっている生物の方が外部へ漏れる思念は弱い。よって、思念の強弱を感じる技能があれば対象が生物か幽霊かを判別できるのだ。

「……?」

 が、彼女の台詞の意味が分からないスクナは首を傾げた。
 アヤは表情を明るいものに切り替えると、分かりやすい言葉で自身の考えを言い直す。

「えぇと……スクナ君は身体が透明な以外、普通の人と変わらないってこと」

「……そうなの?」

 彼女の答えを聞いた少年の声には少し元気が戻っていた。もう一度、アヤは安心させるように言い聞かせる。

「そう。ちょっと違うってだけよ」

 本当は「ちょっと違う」どころの異変ではない。思念の流れが人と似通っているのは真実だが、肉体が視認できないのだから生物とも言い難かった。
 もしかしたら、スクナは人ですらないのかもしれない。しかし、怯えている子供を追い詰めるような真似をアヤができるはずもなかった。

「ちょっと、ねぇ……」

 ヨモはいぶかし気な表情になって何か言いたそうにしている。彼女が余計なことを言うより先に、アヤはスクナを眺めて疑問を口にした。

「それにしても、どうして身体が透明なのかしら」

 思念が人と同じなのだから、スクナには肉体があるのだろう。しかし無いように見えるということは、肉体が『見えない』という表現が正しいはずだ。
 混乱してきたアヤの眉間には自然とシワが出来上がっていた。一方、ヨモは軽い口調で自分の考えを告げる。

「記憶が戻れば何か分かるかもしんないけどねぇ。記憶喪失なのは身体がないのが原因かな?」

 尋ねられたアヤは瞳を細めて頷いた。

「その可能性はあるわね。脳と魂の繋がりが薄くなってるのかも」

「そもそも脳味噌なくね?」

 言うなり、ヨモはスクナの頭をグリグリ触る。

「あ、あるよぉ!」

 慌てて少年は頭を庇った。

「……あるん、ですよね?」

 スクナはフードを抑える腕の隙間からアヤへ問いかける。
 二人のじゃれ合いを微笑ましく思いながらアヤは肯定した。

「あるわ。見えないだけよ」

「見えないなら無いも同然だと思うんだけどなぁ」

 ヨモは少年の頭を揉んでブツブツ言う。くしゃくしゃにされているフードの下には何もないのだから、現実主義の彼女からすれば納得できないのも無理はない。
 アヤはヨモをスクナから引きはがすと、改めて彼女の白い顔を見据えた。

「見えなくても存在してるものもあるの」

「ロボットには理解不能ですわ」

 機械の少女は肩をすくめる。
 こういったやり取りは、二人の間で長く繰り返されてきた馴染みのものだった。認識できないものを理解できないヨモにとって、幽霊やら思念やらの話題は今一ピンとこない。
 それでもアヤの話を頭ごなしに否定せずにいるのは、一重に彼女を信頼しているからに尽きる。もし仲間にアヤがいなかったら、ヨモは魂に関する全ての事象を受け入れなかっただろう。

 なんとかヨモの魔の手から逃れたスクナは、自身のフードを直してアヤへ問いかけた。

「あの……俺の身体を元に戻すことって、できないんですか……?」

 その言葉を聞いたアヤは難し気な顔つきになる。

「それは……今の段階では、難しいわね」

「…………」

 彼女の答えは予想できていたのか少年が取り乱すことはなかった、しかし、しょんぼりしたように無言でうつむいてしまう。
 意気消沈したスクナを眺めてアヤは台詞を続けた。

「原因が分からないからね。前例もないし、とにかく調べてみないと」

 ヨモが不思議そうに尋ねる。

「調べるって、身体もないのにどうやって?」

 アヤは少年を見つめたまま答えた。

「身体は調べられないけど、スクナ君の過去なら分かるかも」

 彼女の回答を聞いたスクナが小声で呟く。

「過去……?」

 アヤは少年の顔を覗き込むと、勇気づけるように話しかけた。

「私の力を使ってスクナ君の記憶を覗くの。魂も脳も存在してるなら出来ると思う」

「なーる」

 ヨモは彼女の意図に納得を示したが、当然スクナ自身には伝わっていない。

「えっ、どういうこと? 俺に何かするの?」

 少年は目の前の女性二人を交互に見つめ戸惑った声を上げた。アヤは再度、子供にも分かる言葉で説明する。

「えっとね……スクナ君の記憶が戻れば、身体が透明になった理由が分かるかもしれないでしょ?」

「うん……」

「だからスクナ君に催眠術をかけて、昔のことを思い出してもらおうかなって思ってるの」

「…………」

 突然の提案にスクナは何も言えなくなってしまったらしかった。少年の混乱を感じ取ったアヤは優しく話しかける。

「もちろん、無理にとは言わないわ。もしかしたら嫌な記憶を思い出してしまうかもしれないし……」

 が、隣のヨモはずけずけと自分の意見を告げた。

「やってもらった方が良いと思うけどねー。アヤなら信用できるし。スクナだって、自分が誰かも分からないって気持ち悪いっしょ?」

「……うん」

 スクナは僅かに頷く。その仕草に気付いているのかいないのか、ヨモはどんどん身勝手な発言を続けていった。

「まぁ私としてもスクナが何で透明なのかは気になってるし、そろそろはっきりさせたいんだよねー」

 アヤは呆れた顔になって彼女をたしなめる。

「ちょっとヨモ、これはスクナ君の問題なんだから急かしちゃダメ」

「へーい」

 ヨモは全く凝りていない様子で適当な返事をした。
 一方、当事者であるスクナは二人の会話が耳に入っていないかのように固まっている。しばらく少年は床を見つめていたが、やがてぎこちない動作で顔を上げた。最初に見たのはアヤの顔で、次にヨモの顔を見る。同伴者であるヨモが「言え」というように手を動かすと、やっとスクナはアヤへ向き直り、言葉を発した。

「……痛くない?」

 声には年相応の怯えが混じっている。アヤは力強く頷き、少年に言い聞かせた。

「痛くないわ。私も出来る限りサポートする」

「……本当?」

「本当よ」

 そんな二人のやり取りへヨモの声が割って入る。

「やるなら、あとでジュース買ってあげるけど?」

 呑気にも聞こえる提案に思わずアヤは笑ってしまった。が、スクナからすれば魅力的な話だったようだ。

「……じゃあ、やる」

 ヨモの後押しが功を奏したのか、少年はポツリと了承の意を示す。それを聞いたヨモは嬉しそうな顔になってスクナの頭を再度グリグリ撫でた。

「よーしよしよし。偉いぞー」

「べっ、別にジュースのためじゃないし!」

 少年は抗議したが、この流れでは説得力は皆無だ。
 目の前のじゃれ合いを見つめていたアヤは、なんだか二人は姉と弟のようだなと考えていた。


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