棺は走る

【任務内容】
装甲機関車が町へ到着する前に操縦者を発見する

【終了条件】
操縦者の確認
場合により殺害



 壊すのをためらってしまう静かな砂漠の闇。それを切り裂く無粋な光が一本。
 白い道をたどるのは、黒いイモムシに似た装甲機関車だった。地を震わす轟音と共に砂を巻き上げ、迷いなく一直線に突き進む場違いな鉄の塊。車体は錆びつき、落石を受けたように全体がひしゃげていた。それでも無理やり走ろうとするため、悲鳴にも似た凄まじい金属音を響かせ、火花を飛び散らせる。もはや巨大な姿に威厳は無く、壊れる寸前となっても酷使される苦しみに満ちていた。
 その巨体を観察するように、少し離れて移動する小さな二つの影。それがヒロとヨモだった。

『酷いねぇ』

 この有様が確認できたのだろう。上空を飛んでいるヨモの言葉が通信となってヒロの耳へ届く。
 薄汚れた車両を眺めていたヒロは呆れたように呟いた。

「こいつ、放っといても途中で止まるんじゃねぇの?」

 現在、二人は二手に分かれて装甲機関車を追跡している。
 飛行機のような白い翼を広げて空から全体を観察しているヨモと、バイクで機関車と並んで走っているヒロ。バイクは浮遊が可能な物で、おかげで砂に車輪をとられない走行を可能にしていた。

 ヒロが装着中のゴーグルを片手で操作する。暗視モードになっている視界の中、伸びているのは真っ直ぐな線路。今は確認できないが、先を辿ればやがて町へ到達する。
 冷たく強い向かい風に晒されながら、ヒロはヨモを探して視線を上へ向けた。

「まだ繋がらねぇのか?」

『うーん……無理みたい。全然反応ないわ』

 彼の耳へはめられた小型通信機からは諦めの色が濃いヨモの声が聞こえた。
 機械に関する技能を持つ彼女は装甲機関車内部への接触を試みている。このレベルのネットワークであれば、ヨモがアクセスすることなど造作も無いはずだ。何者かが彼女の呼びかけを妨害しているのか、壊れたせいで外部からの接触を受け付けない状態になっているのか。

『そっちは何か見つけた?』

「近づけねーし何も見えねーし。さっぱりだ」

 ヒロの声は苦々しい。
 彼は装甲機関車へ接近できず、一定の距離を保つに留まっていた。この状態では車体のシルエットくらいしか見ることが叶わない。横から見ると山のように曲線を描いたボディをしているのが分かり、この機関車が長いダンゴムシに似た形をしているのが確認できた。ダンゴムシであれば足が生えている位置から管が伸び、そこから絶えず煙が排出されている。

 近づけない理由は機関車から噴出している異常なガスだった。
 砂煙とともに車両を覆っている黒い気体は、触れれば悪寒の走る嫌悪を与え、少しでも吸い込めば頭痛と吐き気が襲ってくるという不快極まりない物。ここまでガスを有害たらしめる原因は、装甲機関車を汚染している混沌である。
 混沌とは思念の塊のようなもので、目には見えないが生物が体内に取り込むと体調不良を引き起こす。また、有機物無機物関係なく同化し、悪影響を与えるという特性もあった。今回は機関車と同化した結果、吹き出るガスに混沌が混ざってしまい、ガスが外敵から身を守るための障壁と化してしまっているのだ。

 ここまで装甲機関車が混沌に汚染されてしまった原因は、機関車が使用されていた環境にある。
 元々装甲機関車は、砂漠の奥地にある岩山の採掘作業に使われていた。貴重な資源が豊富に採れる洞窟を探し当てれば巨万の富も夢ではなく、企業が躍起になって開発していったという。そして人ある所にまた人が集まり、最盛期は町にも劣らぬほど家々が立ち並び、岩山の周りはどんどん栄えた。
 しかし、無計画な採掘が祟ったのだろう。一つの洞窟の崩落をきっかけに落盤が相次ぎ、あっという間に当時作られていた洞窟の半分が崩壊。それに続き洞窟の奥から突如混沌が発生し、多くの人々が犠牲になった。この事件により岩山へは広範囲で近づけなくなり、死者達を弔うこともできず放置せざるを得なる。
 以降、自然に混沌が薄まるのを待っている状態だが、そう都合良くいかず十年が経とうとしていた。

 今追跡中の装甲機関車は、崩落に巻き込まれたまま置き去りにされた車両の一つらしい。十年も混沌に浸かり続けた機関車は芯まで汚染され、近づくのすら困難なほどの瘴気を放っている。
 どうやって回収し、誰が操縦しているのか。なぜ町へ向かっているのか。何も分かっていない。分かるのは、この混沌の塊ともいえる機関車が町へ到着してしまえば被害が拡大するということ。そして岩山のように、町には十年単位で住めなくなるということだった。

 既に人々の避難は始まっているが、とても全員を安全な場所へ移動させる時間は無い。そこで町の代表者が三足鳥へ助力を求めた。というのが、今回の任務である。
 乗っている人物ごと機関車を破壊するのは可能だ。装甲に守られているとはいえ、激しく劣化した鉄の板などヨモの装備で簡単に吹き飛ばせる。だが、それを町に住んでいる住人達が拒んだ。
 十年前に見捨てられた犠牲者の亡霊が機関車を操作しているのだ。これは復讐だ。そんな声が人々から上がっていた。
 そして、犠牲者の霊が復讐のためにやってきたのなら、その思いを受け入れるというのだ。死者に直接裁かれるような明確な罰を求めるほどに、人々は罪の意識に苛まれていた。

 ただし、もし操縦しているのが頭のおかしな犯罪者だった場合、容赦なく殺してくれという。
 任務の終了条件は機関車の停止ではなく、あくまで操縦者の確認。頼まれた側は面倒臭くてたまらなかった。

 タイムリミットは夜明けまで。この速度で行けば天の光が差す頃、丁度町へ到着してしまう。
 止める場合は出来るだけ町から距離が離れていた方が良い。三足鳥からの加護があるため二人は機関車へ近づいても平気だが、通常ならこの位置で高濃度の混沌を浴びては失神は免れないだろう。
 それに、車両が移動すればするほど混沌を周囲へ撒き散らすことになる。時間にして一瞬とはいえ、どんな影響が出るとも限らない。

「……どーするよ?」

 不安げなヒロの問いに、のんびりした調子でヨモが答える。

『こうなったら、直接中に入るしかないだろうねぇ』

 聞いた彼は嫌そうな顔で黒い煙の塊を眺めた。
 決断は早い方が良い。外部から接触できないなら、なんとか入れそうな場所を探して侵入するしかない。

「……それしかねぇか」

 ヒロは嫌々決断を下した。彼の答えを聞いたヨモは高度を落とし、目視できる位置に現れる。

『よっしゃ。じゃ、さっそく先頭車両に行こうか。操縦席はあそこにあるはずだよ』

 彼女は機関車の先頭を指さすと、意気揚々と速度を上げていく。
 ヒロも改めて先頭車両を見据えたが、自身の目的地を認識すると慌てて声を上げた。

「ま、待て待て! 先頭って、あの油汚れみたいになってるところか!?」

『うん。あのギトギトしてるところ』

 ヨモの涼しい声が通信機を通して彼の耳へ伝わる。
 二人の目指す地点は一際黒い靄に覆われており、まるで油でも塗ったかのように不気味な虹色の照りを返していたのだ。

「無理だって! あんな場所に行ったら死ぬ!」

 ヒロは悲鳴交じりに作戦の中断を提案する。対して、ヨモは馬鹿にしたような口調で返した。

『死にゃしないよ。なんのための三足鳥の加護だっつーの。大袈裟だなぁ』

「……ったく、お前はロボットだから平気なんだろうけどよぉ」

 ヒロは溜息交じりに批難を返す。

「俺は生身なんだから、あんな混沌の塊に突っ込んだらタダじゃ済まねぇんだよ」

 混沌とは感情の塊であり、その害悪の由来は生き物の精神へ歪な影響を与える点にある。つまり精神を持たないヨモは影響が少ないのだ。もちろん汚染され続ければ目の前の機関車のような姿になってしまうかもしれないが、短時間であればほぼ無害だと言って良い。

『ちょっと具合悪くなるくらいだろ。気合入れろ』

 混沌を恐れる必要のない機械少女は無責任な台詞を上空から降らせている。

『いつまでも機関車と並走してたってラチ明かないじゃん』

「あー……まぁ、そうなんだけどさぁ……」

 一理ある指摘にヒロは呻く。彼は数秒ほど黙り込んだが、やがて覚悟を決めると代案を出した。

「……じゃあ、気合入れて、後ろから行くってのは?」

 ヒロが後部の車両へ視線を向ける。機関車の後方は煙が少なく、塗装の剥げた赤茶のボディが露出しているのが見えた。先頭とくらべれば混沌の濃度は低いだろう。

『しゃーないなー』

 ヨモは不服そうだったが、それ以上文句を言うでもなく提案を受け入れる。なんだかんだ言っても、彼女はヒロの体調には配慮するつもりらしかった。しかし残念ながら、それはヨモの心に慈悲の気持ちがあるからではない。機関車の中へ安全に侵入するには、彼の能力が必要だからだ。

 ヒロが速度を調整しつつバイクを機関車の後方へ寄せていく。

「この辺で良いか?」

 声をかけたヒロへ、ヨモが了解を示すように手を振る。

「よし、じゃあ入り口作るぞ」

 それを確認し、ヒロは装甲機関車へ銃を向けた。ピュンという水鉄砲のような気の抜けた音と同時に、弾が当たった位置に綺麗な丸い穴が開く。ヨモが素早く翼を収納して飛び込んだ。

「どーだ?」

 ヒロの問いかけに、しばしの静寂。

『んー……敵はいないみたい』

 安全を知らせるヨモの言葉。
 その声を聞いたヒロは気合を入れるように深く呼吸すると、一気にバイクから機関車へ飛び移った。
 バイクは乗り手を失ったにも関わらず、倒れもせずにゆっくりと速度を落とし遠ざかっていく。自動操縦になっているため、あとは自力で指定されている地点へ戻っていけるだろう。

 ヒロが穴へ手をかけ覗き込むが、暗くて何があるか分かったものではない。見える範囲に異常がないのを確認し、自身も侵入する。

「うわっ」

 思わず彼は声を上げた。
 確かに敵はいない。しかし、真っ先に目に入った物は声を上げるのに十分な存在だった。
 そこにあったのは複数の白骨化した死体。壁際へ折り重なるように集まっており、正確な人数は分からない。おそらく装甲機関車が落盤により停止した際、乗っていた作業員が後方の壁へ叩きつけられたのだ。
 すぐ近くには電灯機能を起動させたヨモが立っており、そこだけ闇が切り抜かれたようだった。決して強力な明かりではなかったが、こちらは忍び込む側なのだから仕方ない。

 彼女は腕の物らしき骨を一つ持って眺めていたが、ヒロを見て首を振った。

「混沌が染み付いてる。まだここから帰れないね」

 そっと元の位置へ戻す。
 こんな場所にいては、故郷の地へ戻れる日は遠いだろう。

 驚きで心拍数が上がった心臓を落ち着かせつつ、ヒロは先ほど落ちてきた頭上の穴が閉まるのを確認する。
 あの穴は壁を壊して作ったのではなく、一時的に通り抜けるための空間を開けたにすぎない。これは彼の技能である空間操作能力の応用で、機関車を壊すなと言われたための配慮だ。こんなに古びているのだから、何がきっかけとなって崩壊するとも分からない。

「んじゃ、操縦室にしゅっぱーつ」

 軽い口調でヨモが拳を掲げ、さっさと歩き出した。慌ててヒロも続く。

 事故が起こった当時そのままの状態のため中は滅茶苦茶だったが、幸い立ち往生するほどの障害物に当たることなく順調に進んでいけた。基本一本道で迷いようが無かったのも時間短縮に繋がる。
 さすがに扉は開かなかったが、そこはヒロの能力で簡単に突破できた。たまに魔物が現れたが小型の個体ばかりで、それらはヨモの一撃で呆気なく消え去っていく。混沌が濃い場所には魔物が住み着いているものだが、移動中の機関車に好んで乗車する魔物は少数派らしい。

 機関車の進路が真っ直ぐなため横揺れは少ないが、時折障害物を無理やり乗り越えているらしい大きな衝撃が車内に伝わる。
 操縦している人物は侵入者に気づいているのだろうか。車内には轟音と金属音が響くため、二人の気配を感じ取るのは非常に困難なはずだ。セキリュティ機能も死んでいる。ここまで来て何の妨害もないのだから、この暴走は単独犯のものと考えて良いだろう。

 先頭へ近づくにつれヒロは気分が悪くなり、ウンザリすると同時に操縦室が近いのを実感した。生者でも亡霊でも良い。さっさと確認して帰りたい気持ちで一杯になっていく。

「ねぇ」

 前方を歩くヨモが唐突に声をかけてきた。機械である少女は相変わらず平然として見える。

「なんだよ」

 ヒロは投げやりに返事をした。
 ヨモ少しだけ振り向き、彼へ視線を向ける。

「さっきから言おうと思ってたんだけど、ここに人はいないみたい。少なくとも、私のセンサーには反応してない」

 つまり、この機関車を操作しているのは生きている者ではない。

「……マジかよ」

 焦りを隠そうともせず、ヒロは生唾を飲み込んだ。
 ヨモに感知できない存在となると、何が出るか予想できないのだ。もし本当に幽霊が操縦しているのなら、この二人では対処できない。


 ヒロとヨモが同時に立ち止まる。今までとなんら変わらない、固く閉ざされた鉄の扉。その上部に操縦室という文字を見つけたためだった。
 顔を見合わせた両者は何も言わずに頷く。ヨモが腕を構えたのを横目で見て、ヒロは銃を抜いた。ヒロの銃が発射されると同時に、先ほどと同じく人が一人通れるほどの穴が開く。いつでも攻撃できる体勢でヨモが部屋へ入った。
 何が出るか、と思ったが。

「…………」

 数秒の沈黙後、二人とも無言で武器を下ろす。

「どういうこった……?」

 ヒロが呟く。
 操縦室は無人だった。動く物が何もない部屋で、コントロールパネルだけが見る者のいない数列をぼんやり表示させている。その画面も大半が壊れており、見ている間に増減する数字は正常な情報かどうか疑わしい。混沌の濃度が高いせいか空気が淀んでおり、機械の所々に油汚れに似た輝きがうごめいている。

「遠隔操作かな? そんな機能ないはずなんだけど」

 不思議そうに首を傾げ、ヨモがパネルに触れる。
 その隣の操縦席に当たる場所には一つの亡骸が横たわっていた。この部屋は頑丈に出来ていたのか、他の車両にあった死体よりも綺麗な状態だ。機関車の責任者だったのかもしれない。
 事故の衝撃で息絶えたのだと思うが、操縦中にそのまま死んだかのような体勢は嫌な想像を掻き立てられた。もし事故後も生きていたとしたら、真っ暗で何も見えず、脱出不可能な密室で、じわじわと混沌に蝕まれていったことになる。その様子を頭に浮かべてしまい、思わずヒロは身震いした。

「お、おい……なんか分かったか?」

 彼からの問いかけに、コントロールパネルの下の方を覗いていたヨモが顔を上げる。桃色の瞳が淡く光っていた。

「んー……外部から操作されてる形跡はないんだよねー……この部屋も、人が入った形跡がないし」

 考えるように腕を組むと彼女は天井を見上げる。電気が通っていた頃は煌々と灯っていたであろう電灯が、割れた状態で寂しくぶら下がっていた。
 ヒロは改めて周囲を見回す。ヨモの電灯から放たれている柔らかな光に照らされ、荒れ果てた操縦室が浮かび上がっていた。

「じゃあ、幽霊……?」

 気味悪そうにヒロが言う。顔色が悪いのは混沌の濃度が高いせいであり、決して怖いからではない。いや、それもあるのかもしれないが。

 無機質なヨモの顔がパネルを眺めた。
 画面には町までの地図が表示され、今は装甲機関車の現在位置を示すアイコンだけが静かに点滅している。到着の距離を知らせる機能は壊れているらしく、数字は変色したまま固まっていた。
 彼女は画面に映る地図を指でなぞる。

「多分……この機関車、自分で走ってる」

 機関車のアイコンは、じわりじわりと町へ近づいているように見えた。

「自動操縦ってことか?」

 ヒロもコントロールパネルの前に立ってみるが、どれが何の機能かさっぱり分からない。
 彼の問いにヨモは首を横に振る。

「ううん。この機関車にそんな機能ないよ。自分で考えて、町へ行きたいから向かってる」

 物が意思を持つ。これだけ混沌が濃いのだから、有り得ない話ではなかった。
 混沌の影響で意思を持った物質や突然変異を起こした生物を彼等は何度か相手にしてきている。今回のヨモの判断は、そういう経験から導き出された答えだ。

 薄気味悪そうにヒロが疑問を口にする。

「……なんで町に?」

 自分達が乗っている機関車は、勝手に動いている。そう思うと居心地が悪い。
 少し首を傾げてヨモが予想する。

「帰りたいんじゃないかな。死んだ人達が残した思念の影響もあるかもしれない。複雑な思考は持ってないはずだから、自分を見捨てた恨みとかじゃないと思う」

 組んでいた腕を下ろし、彼女はヒロを見た。

「どうしよう?」

 機関車を壊すか、このまま走らせるか。
 誰も乗っていないケースは想定外だったため判断に迷う。ある意味亡霊と言えるが、これは混沌が機関車へ植えつけた偽りだ。死者達の帰りたいという思いが混ざっているにしても、歪んで増殖された願いは叶えるべき物なのか。
 町へ連絡し、返事を待つ時間は無い。この場で決断しなければならない。

 ヒロが口を開く。

「……俺は、壊して良いと思う。町に突っ込ませたって意味ないだろ」

 正直、彼は最初から今回の依頼の意図が理解できなかった。死者はもういないのだから、彼等の気持ちを身をもって知った所で傷しか残らないに決まっている。

 彼の言いたいことが分かったのか、ヨモは肩をすくめた。

「葬式ってのは無意味なもんだよ。残された人の自己満足なんだし」

「これが葬式、ねぇ」

 呆れたようにヒロが言う。第三者の立場である彼には、もはや蛮行にしか感じられなかった。

「私も壊すのに賛成。じゃ、アヤに連絡して良い?」

 ヨモの確認にヒロが頷く。
 破壊する場合、外で待機しているアヤへ連絡する手筈になっていた。もし中で操縦者と戦闘になった際、機関車の破壊が遅くなる恐れがあったからだ。一秒でも早く機関車を止めるための保険だったが、今回は杞憂に終わった。

「……連絡終了。すぐ止めるって」

 ヨモの言葉を聞き終えた瞬間、機関車が絶叫のような金属音を響かせて大きく揺れる。
 どうやらアヤの攻撃が始まったらしい。一撃は耐えたが、崩れ去るのは時間の問題だろう。進路が力づくで変えられたため車体が振り回される。
 危うく転びそうになったヒロは外にいると思われるアヤへ文句を叫んだ。

「ちょっ、早ぇーよ!」

「ホントすぐだったねぇ」

 対して、ヨモは特に慌てた様子もない。
 彼女は何も映さなくなった画面へ手を伸ばす。機械仕掛けの腕から光線が発射され、容易く大穴が空いた。破壊すると決まった以上、機関車に傷をつけるのを躊躇する必要はない。
 崩壊していく車両から二人は飛び出した。

 線路から外れた機関車は轟音を上げながら砂上を進む。車両は勢いのままに岩へ乗り上げると、最後の力を振り絞るように黒い煙を噴き上げたが、耐えることは叶わずゆっくりと横倒しになる。夜闇に砂煙が巻き上げられ周囲は完全な視界不良に陥った。
 そんな状況の中、線路から離れた位置に一つの人影が佇んでいる。ヒロとヨモとは別行動で機関車を追っていたアヤだった。
 アヤは静かに目を閉じたまま、機関車へ向かって人差し指を伸ばしている。不思議なことに、彼女が指先を動かす度に機関車は大きく軋んでいた。その様は、まるでアヤ自身の指先から見えない糸が伸び、機関車の動きを操っているかのようだ。やがて彼女が力を込めて腕を振り下ろすと、機関車は悲鳴のような金属音を立てて不自然に歪んでいった。


 ヨモがアヤへ声をかける。

「お疲れー」

 鉄塊と化した機関車を見上げていたアヤが手を上げて答えた。

「そっちもお疲れ様ー」

 のん気に疲れを労い合っている二人。その様子を見ていたヒロは不機嫌な顔で文句を言う。

「アヤ……もうちょっとこっちのことも考えてくれよ……」

 結果的に無傷だが、運が悪ければ最初の攻撃で部屋が崩れ、脱出が遅れたかもしれない。
 アヤは困った顔になって反論する。

「早く止めないと危ないじゃない」

「そりゃそうだけど、急ぐ距離でもなかっただろ。俺らが出るまで待ってても良いじゃねーか」

 あー足が痛いなー。首も痛む気がするなー。などと、ヒロは車をぶつけられたチンピラのような台詞をブツクサ言っている。
 アヤは苦笑いを浮かべると、両手を合わせて謝るポーズをした。

「あーもー。ごめんってば。じゃあ、あとでご飯奢るから」

「ご飯、ねぇ……」

 謝られている側は気乗りしなそうな反応をする。
 普段以上にテンションの低いヒロ見て、アヤは不思議そうに問いかけた。

「お腹空いてない? 私ペコペコなんだけど」

「今のところ、食い物のこと考えられる気分じゃねぇかな……」

 ヒロは横目で機関車を見た。短時間とはいえ混沌を含んだそれの内部にいたことで、すっかり彼の気分は悪くなってしまっている。とても楽しく食事をする気持ちにはなれない。
 対して、機関車の外で待機していたアヤは真っ当に空腹を感じているらしかった。

「美味しいラーメン屋さんが町の方にあるらしいわよ。豚骨がお勧めなんですって」

 ニコニコしている彼女だが、やはりヒロは同調する気にはなれない。

「あぁー……今は油っぽいものの話は止めてくれ……」

 機関車の先頭車両を思い出し、ヒロは顔色は更に悪くなった。

「……ヒロって夜中にこってりしたものは食べられないタイプだっけ?」

 アヤはきょとんとして見当違いなことを言っている。
 一方、特に被害を訴えるつもりのないヨモは、小柄な身体を仰け反らせて胸を張って見せた。

「私はご飯の奢りはいらないよ。私は軟弱なヒロと違ってスペシャルな平衡感覚を持ってるからね。あの程度の揺れはトラブルの内に入らんよ」

「ヨモは強いわねぇ」

 自慢交じりの気遣いをアヤは素直に受け取る。自然な流れでけなされたヒロはボソリとツッコミを入れた。

「そもそも、お前は飯食わねぇだろ」

 水を差されたヨモは嫌味ったらしい口調になってヒロへ絡んだ。

「おーやおや。被害者ぶって飯をたかろうとしていた男が何か言ってますな」

「たかってねぇよ!」

「はいはい。喧嘩しない」

 いつも通りのやり取りに、アヤは呆れた表情になって割って入った。そして、二人が何か言い出すよりも早く話題を変える。

「で……これ、自分で動いてたの?」

 これ、のところで自身の目の前に横たわる機関車を見た。尋ねられたヨモは頷く。

「うん。たぶん混沌の影響だと思う」

 三人の視線が機関車の残骸へ集まる。面影は残っているが、数分もあれば原型を失いそうだ。
 短時間でここまで機関車を破壊したのはアヤの力のおかげだった。呪術師である彼女は思念を操る術を使用でき、その超能力は巨大な無機物すらも飴細工のように捻じ曲げられる。
 そして彼女はもう一つ、特殊な力を持っていた。

「なぁアヤ。この機関車、人骨が一杯あったんだけど……幽霊とか大丈夫か? ぶっ壊しちまって、呪われたりしねぇよな?」

 ヒロが薄気味悪そうに機関車を見下ろす。対して、問われたアヤは朗らかな笑みを浮かべた。

「安心して。もう皆、成仏してるわ」

 アヤには優れた霊感がある。死者と交流し、時に冥土への道を示すのが彼女の役割だ。
 今回の任務にアヤが同行したのは「機関車を操っているのは死者ではないか」という噂へ対応するためでもあった。結果として、この点についても杞憂に終わったが。

「機関車が埋まってから十年も経ってるんだもの。もうここには誰もいないわよ」

 アヤは溜息交じりに呟いた。その表情は穏やかだったが、どこか悲しさも帯びている。
 一方、骨も幽霊も怖くないヨモは馬鹿にしたような顔になっていた。

「骨なんかただのカルシウムの塊じゃん? なにビビってんの?」

 すかさずヒロは皮肉を返す。

「いいよなぁ。機械は単純で」

「おぉん? このハイテクロボが単純な作りに見えるんか? 中身見せたろか?」

「はいはい、やめやめ。ヒロは無暗に怯えない。ヨモは頭外そうとしない。砂入るわよ」

 またもや口喧嘩を始めた二人をアヤはたしなめた。そして再び話題を本題へ戻す。

「じゃあ、そんなワケだから、しっかり機関車を壊しておきましょう」

 彼女はパンと手を叩くと仕事の空気に切り替えた。

「魔物になったら面倒だわ。手伝いお願いね」

「あいよぉ」

 それへヨモは頷くと、未だ手の付けられていない後部車両へ向かう。

「もうひと頑張り、いくかぁ」

 不貞腐れながらヒロも後へ続く。機関車が停止しても溢れ出す混沌の力は健在で、まだ彼は気分が悪かった。


 朝日が砂漠を照らしたのは、三人が機関車を壊し終えた後だった。
 砂の海へまばゆい光が差し込み、一夜にして築かれた瓦礫の山を照らす。鉄塊は大きな影を作り出したが、その黒は不気味に蠢いて見える。
 中心に横たわる機関車だった物の車輪。その一つが風に吹かれ、静かに錆びた音を響かせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?