気がかり三昧

 私室に貯蔵してあった菓子類を切らしてしまったヒロは、小腹を満たそうと食堂へ向かうことにした。
 その道中。

「……?」

 広間を通りかかった彼は物憂げな表情で椅子に座っているアヤを見つける。普段は会議等に使われている五角形の広い空間は、一人で使うにはスペースが余り過ぎていた。
 アヤは大きな長方形の机に肘をつき、頬に手を当て思案に沈んでいる。何かあったのを察したヒロは、とりあえず軽い調子で彼女へ話しかけた。

「どうした? 食いすぎ?」

 その音で彼の存在に気付いたのか、アヤはハッとした顔でヒロの方へ視線を上げる。そして彼の台詞の意味を理解すると見慣れた苦笑い顔になって言い返した。

「今日は違うわよ」

「そりゃあ何より」

 それに合わせてヒロも皮肉気な笑顔を浮かべて見せる。
 この程度の冗談で空気が和んだということは大したトラブルではないのだろう。内心安堵し、彼はアヤの隣の椅子へ無造作に腰かける。

「でも、何もないってわけじゃないんだろ?」

 あくまで世間話の一環としてヒロは彼女へ問いかけた。面倒事が嫌いな彼だが、仲間の悩みを聞くくらいの気遣いは出来る。

「…………」

 しばしアヤは無言でいたが、そう長くは沈黙せず、ゆっくりとした仕草で玄関を指さし口を開いた。

「……あれ」

 示された位置へヒロが視線を向ける。外への出入り口としての役目を担う木製の扉は、今日も変わらず仕事を果たしていた。
 玄関に異常はない。ということは、彼女が注目をうながしているのは別の、玄関周辺の部分。

「荷物がどうかしたか?」

 ヒロはアヤへ尋ねる。玄関の近くで目を引くのは、乱雑に放置されている荷物くらいしかなかったのだ。
 外から届く荷物類は、よほどの緊急でない限り赤烏により玄関付近に到着することになっている。

「荷物じゃなくて、イサよ」

 彼女からの補足にヒロは「あぁ」と短く声を上げた。
 玄関に集められた荷物を仕分け、各部屋へ持っていくのはイサの役目だ。荷物が溜まっているということは、彼が職務を放棄していることに他ならない。
 ヒロは意外そうに呟く。

「仕事サボってんのか。珍しいな」

 イサの仕事態度と言えば、良く言えば真面目、悪く言えば頑固。そんな彼が役割を放り出してしまうのは非常に稀だった。単にたまたま忘れていた、というケースは今までもあったが、荷物の蓄積具合からみて、うっかりでは済まされない期間イサは仕分け作業をしていないようだ。
 しかし、イサだってダラダラしたい時期はあるだろう。その程度に感じたヒロは事態を重くは見なかったが、対するアヤは違うらしい。

「ただのサボりなら良いんだけど……」

 妙に深刻そうな彼女を見てヒロは不可解そうな顔になる。どうやらアヤはイサの異変に心当たりがあるようだ。
 そういえば、なぜアヤは広間でボンヤリしているのか。ここでアレコレ考えているくらいなら、直接イサの部屋へ行って彼の様子を確かめた方が話は早い。

 頭の中に疑問符を浮かべたヒロはイサの部屋を見上げる。広間の上は吹き抜けになっているため、二階の光景はよく見えた。二階の廊下に並ぶ五つの扉の内、白色の扉がイサの部屋へ続いている。
 なんとなく見上げていたヒロだったが、視界の中の扉が突然荒々しく開け放たれたため身体をビクリと震わせた。白色の扉の中から出てきたのは、なぜか部屋主ではない。

「ダメでーす」

 手で大きなバツマークを作って現れたのはヨモ。彼女は開けた時と同じように荒々しく扉を閉めると、大声で面白くなさそうな声を上げる。

「ダメダメー。全っ然、出てこない。ありゃあ重傷だね」

「そう……」

 それへアヤが小さく答えた。どうやら二人はヒロが来るより前にイサの動向をうかがっていたようだ。そして反応を見るに、芳しい成果は出なかったのだろう。
 ヨモはブツブツ言いながら廊下と吹き抜け部分を隔てる手すりを乗り越え、そのまま何もない空間へ身を躍らせる。当然彼女は一階へ落下したが、少女型ロボットは容易く床へ着地して見せた。
 強引な方法で広間へ到着したヨモは、アヤの隣にいるヒロを見つけると軽く手を振って挨拶する。

「おう、ヒロじゃん。いたの」

 ヒロもひらひら手を振ったものの、すぐそこに階段あるんだから使えよと、心の中でツッコミを入れた。ツッコミを口に出すのを控えたのは、それどころではない違和感を抱えていたからだ。

「……イサ、どうかしたのか?」

 緊張を含んだ声でヒロは問いかけ、ヨモとアヤを交互に見る。ヨモはイサが「出てこない」「重傷」と言っていた。つまり彼の身に何かが起こり、その結果仕事をしていないということだ。今回のイサの態度が異様なのをやっとヒロは理解した。
 質問を受けたヨモはジロリとした視線で彼を見る。

「どうかしたってぇ?」

 戸惑う表情になったヒロに対し、彼女はビシリと指を向けた。

「ヒロが原因じゃん! あんたのせいでイサが引きこもっちゃったんでしょー!?」

「えぇ!?」

 突然の糾弾にヒロは困惑する。「あんたのせい」と言われても、まったく心当たりがなかったのだ。イサが仕事を中断するよう仕向けた覚えもなければ、やる気を無くしてしまうほど傷つけた覚えもない。

「ヒロのせいとは言い切れないわ」

 困り顔になったアヤがヨモをたしなめるが、その言い方からは彼女もヒロが原因の一端だと考えているのが滲み出ていた。気分で行動するヨモはまだしも、常識人のアヤがこんな態度をとるということは、彼が何かをやらかしたという明解な根拠があるのだろう。

「俺、なんかした……?」

 おずおずと尋ねたヒロの声は自然と小さくなってしまった。
 不貞腐れた顔でヨモが力強く頷く。

「したー」

「……したのは、間違いないわね」

 少々目を迷わせつつ、アヤもぎこちなく頷く。
 二人の反応を見たヒロの灰色の顔は一瞬で青ざめた。


 ヒロが広間を訪れる少し前。アヤとヨモは玄関に放置されたままの荷物を見つけ、イサの異変に気が付いた。イサの部屋を訪れた二人だったが、彼の居住スペースへ行っても部屋主は姿を見せなかったという。
 ちなみにイサの居住スペースとは、台座に浮遊する巨大な作り物のオウムガイの中だ。部屋へ入ってすぐ目に入るソレこそ、イサの私室、というかベッドのようなもの。正体がスライム状の軟体である彼は、作り物の巻貝の隙間から内部へ入り込み、まどろんでいることが多々ある。
 今回も普段通りイサは貝の中にいたのだが、そこから先はまったく普段通りではなかった。アヤとヨモの呼びかけに対し、彼は僅かに触手を覗かせ応じたが、それ以上の反応は返さなかったのだ。
 しつこく二人が話しかけ続けた結果、やっとイサから得られた情報は一つ。ウナテに振られてしまった、という言葉だった。


「……失恋して引きこもったってのか?」

 二人の回想を聞き終えたヒロは唖然とした顔になる。イサがそこまでウナテに執着していたとは思ってもみなかったのだ。
 確か数日前、イサはウナテを伴って外出し、帰宅したはず。以降イサは部屋に閉じこもったままだったらしい。

「ヒロがイサにデートしろっつったからこうなったんじゃーん!」

 拳を振り上げヨモが非難するが、彼は慌てて反論する。

「いや! 言ったけどさっ、俺のせいとは違くないか!?」

 確かにヒロは、イサからウナテと仲良くなりたいという相談を受けた際、一緒に出掛けてみてはどうかと提案した。しかし、こうなるとは予想できるはずもない。

「そうよ。ヒロは悪くないわ」

 アヤがヒロを庇うが、ヨモは納得できなそうに膨れっ面を作る。

「イサにデートは早かったんだよっ。ヒロだって、イサの性格は分かってんだろ!?」

「そりゃあ……知ってるけどさ……」

 声を弱々しくさせたヒロは、なんとなく視線を下へ向けてしまう。倫理観が未熟なイサに恋愛の真似事はハードルが高かったのかもしれない。

「……俺に恋愛のアドバイスなんて出来るわけねぇじゃん」

 彼は肩で溜息を吐き出し、台詞を続けた。

「それに、まさか告白までするなんて思ってなかったしよぉ」

 ヒロの言葉を聞いたアヤが不思議そうな顔になる。

「……ヒロはデートの話だけしたの?」

「おうよ」

 彼女の問いに、ヒロはイサから相談を受けた時のやり取りを思い出して答えた。

「まぁデートっつーか、一緒に外に出て買い物でもしてきたらどうだって感じの話だったんだけどな」

 それを聞いたアヤは不可解そうな表情になる。

「……どうしてイサは告白までしたのかしら」

「そりゃあウナテが好きだからだろ?」

 首を傾げてヒロが返すが、彼女の引っ掛かりは解決しなかったらしい。アヤは改めてヒロを見据えると、落ち着いた口調で彼を問い詰める。

「……ヒロ? 本当に、イサにデートの話しかしてない?」

「ん……うん……?」

 彼女の様子を察したヒロが口ごもった。アヤは更に問う。

「なんか、他にもアドバイスしなかった?」

 不器用なイサは自分で考えて行動するのが苦手だ。そんな彼が自主的に告白を思いつき実行に移したということに、彼女は違和感を覚えたらしかった。
 アヤの指摘とヒロの反応で事実に勘付いたヨモは、乱暴にヒロの襟首を掴み上げる。

「さっさと吐いて楽になっちまえよぉ!?」

「痛っ! ちょっ! やめろ!」

 反射的に彼はヨモの小さな手を払おうとしたが、無機質な機械の拘束からは逃れられなかった。

「さぁ早く言えー! アヤが慈悲をかける前に言えー!」

 彼女はヒロの首を締めるように持つと、自分より大きな彼の身体を左右に揺すりだす。

「アヤ! 助けて!」

 早々にギブアップし救いを求めるヒロだが、当のアヤは申し訳なさそうな顔で首を横に振った。

「もうちょっとしたらね」

 優しいアヤだが、誰かのせいで誰かが傷ついたなら加害者側には手厳しくなる。加害者が聞き取りに応じないなら尚更だ。
 暴力的な調査に許しを得たと判断したのか、ヨモの行動は更にエスカレートしていく。

「どんどんスピードが上がんぞー!」

「んあぁあぁっ!!」

 言うなり腕の動きが激しくなり、揺すられる側は悲鳴交じりの呻き声を上げた。

「うりうりうりーっ!!」

 合わせてヨモのテンションも上がっていく。怒っているのか面白がっているのか、それとも両方か。
 しばしそんな光景が続いていたが、アヤがハラハラしだした頃、やっとヒロが音を上げる。

「分かった! 言う! 言うからぁ!」

「それでよーし!」

 降参の声を合図にヨモは彼を解放した。すっかりくたびれてしまったヒロは床に尻もちをつく。文句の一つも言い出しそうな表情になったが、ヨモとアヤが厳しい顔で見下ろしているのを見ると言葉を飲み込んだ。
 そのまま、彼は気まずげに己の喉をさする。やがて調子が戻ったのを確認すると、言い辛そうに口を動かした。

「イサに……雑誌を、渡した」

「雑誌ぃ?」

 不審げなヨモの声に、若干怯えた様子になってヒロは付け足す。

「でっ、デートスポットとか載ってるヤツだよ!」

「カップル向けってこと?」

 続けて尋ねてきたアヤに彼は頷いた。

「イサがウナテをどこに連れてけば良いか分かんねーって言ったから、そういう感じのヤツ探して買ってきてやったんだ」

 その言い方にアヤは眉をひそめる。

「そういう感じって……中身は読んだの?」

「お……おう」

 ぎこちなくヒロが返事をしたが、彼の嘘は明らかだった。ヨモは遠慮なく切り込んでいく。

「んじゃあ何が書いてあったんだ? あぁ?」

 ヒロは視線を泳がせて答えた。

「四葉のクローバーを見つけると森のウサギさん達のニンジンパーティに参加できるとかなんとか」

「読んでないわね?」

「はい」

 少し怒った口調でアヤに問われ、彼は小さくなって負けを認める。

「読んでないもんを渡すなぁ!」

 大声でヨモがツッコむが、すぐさまヒロも大声を返した。

「あんな忌々しいもの読めるかぁ!」

 彼は勢いよく立ち上がると逆切れ気味に自身の主張を展開する。

「最初の数ページで幸せそうなカップルの写真とハートマークとキラキラした模様のパノラマなんだよ! まともに読んだら俺の心が自害を選ぶ!」

 ヒロは乱暴に椅子へ腰を下ろし、大袈裟な身振りで己の頭を抱え込む。

「こうするしか……なかったんだ……っ」

 芝居じみた苦し気な声で言い捨て、崩れるように机に突っ伏してしまった。幸せな他人を見るのが嫌いなヒロには、カップル向け雑誌はハードルが高かったらしい。

「…………」

「…………」

 惨めな彼の姿を女性二人は可愛そうなものを見る目で眺める。
 少々間を置き、アヤは一つ溜息を吐き出すと、場の流れを本題へ戻した。

「えーと……イサは雑誌の内容に感化されたってことかしら」

「だろうねぇ。恋愛脳大回転みたいなんが書いてあったんでしょ」

 雑に同意したヨモは深々と頷く。恐らく雑誌内には、男女の組み合わせは付き合って当然、のような内容が書いてあったのだろう。馬鹿正直なイサが鵜呑みにしてもおかしくない。

「つーわけで、ヒロのせいで決定ー」

 軽いノリでヨモは今回の件の犯人を指名した。

「判決、死刑」

 彼女の不吉な発言を聞いたヒロは慌てて顔を上げる。

「雑誌渡したくらいで死刑ってなんだよ!?」

「仲間にいかがわしい雑誌を渡した罪で火あぶりでーす」

「蛮族かよぉ!?」

 ロボットらしからぬ野蛮な罰し方に、ヒロは引きつった表情になった。
 ヨモはジリジリと彼へ近づいていく。

「まぁ良いじゃん。イサが閉じこもってる貝の前でヒロが火だるまになったら、さすがにイサも出てくるだろうし」

「他にも出す方法あんだろ!!」

 ヒロもジリジリと後退しようとするが、椅子に座ったままのため上手くいっていない。
 彼が椅子から転げ落ちそうになりかけたのを見て、やっとアヤが助け舟を出した。

「ヨモ、そのくらいにしてあげなさい」

「へーい」

 それへ素直に返事をしたヨモは、ヒロに伸ばしかけていた腕を下ろす。

「…………」

 対してヒロは不貞腐れた表情になり椅子へ座り直した。冗談だと分かっているが、つい反応してしまうのが小心な彼の悪いところだ。それを面白がってヨモがからかっているのは理解しているが、臆病さというのは自然と出てしまうものなのだからどうしようもない。


 再びアヤが話題を本筋へ戻した。

「にしても、雑誌の影響にせよ告白するなんて。イサは本当にウナテが好き……ってことよね?」

「私、ロボットだから分っかんなーい」

 返したのは機械の少女。ヨモは白い頬に指を当て謎の可愛いアピールをしてみせたが、すぐさま桃色の瞳を歪ませ真面目な顔つきになる。

「しかーし、これだけは言える」

 頬から指を離すと、腕を組むポーズになって重々しく続けた。

「ウナテには、イサを好きになる理由がない」

「…………」

 彼女の言葉を聞いたアヤは難しい表情になる。
 イサはウナテの顔に存在する虹を切っ掛けに彼女へ接触したが、一方でウナテはイサに何かを求めているわけではなかった。イサに対して深い関心を持っていない可能性は大いにある。
 一応、イサはシノに次いでウナテと会っているが、だからといって親密になれるほど人同士の関係は単純ではない。特にイサは気遣いが出来ない部分があるため、積み重なり続けた問題点が二人の間に立ちはだかっていてもおかしくなかった。
 感慨深げにヨモが呟く。

「イサの告白は、成功しない運命だったのかもしれんね」

 それを聞いたヒロが机をバンッと叩き、勢いよく指摘した。

「ほらー! 俺のせいじゃないー!」

「うっさいなぁ。本当に火ぃつけるぞ」

 ブスッとした顔になってヨモが返す。
 ぎゃあぎゃあ言い合う二人を余所に、アヤは額に手を当て考え込んでいた。

「ウナテは……イサに対して、悪い感情は持ってない感じがしてたんだけど……」

 アヤはウナテと面識があり、その際に彼女の思念を読み取っていた。ウナテのイサに対する感情は、恋ではないにせよ特別な執着が垣間見えている、とアヤは判断していたのだ。

「ウナテは、どうしてイサの告白を断ったのかしら」

 彼女の口からこぼれ出た疑問にヒロが嫌そうな表情で答える。

「あくまで友人として好きで、異性としては意識してないってヤツなんじゃねーの?」

 なんかよく分からんけど、とブツクサ付け足した。そのまま三人は黙り込んでしまい、広間には久々の静寂が訪れる。
 三者三様に様々な原因を考えていたが、言い辛そうに口を開いたのは疑問を提示したアヤだった。

「……ちょっと思ったんだけど」

 当然ヒロとヨモの視線は彼女へ集中する。それに居心地の悪さを感じつつ、アヤはゆっくりと呼吸し、台詞を繋げた。

「もしかして、ウナテ……シノが好きなんじゃ」

「「ないないないない!!」」

「そんなにない!?」

 二人から勢いよく否定された彼女は面食らった顔になる。
 皮肉気な苦笑いを浮かべてヒロがぼやく。

「シノは俺達には良い奴だけど、俺達以外には悪い奴だからなぁ……」

 ヨモは素面のまま事実を告げた。

「シノってウナテに結構酷いことしてるから、好かれてる可能性はないよ」

「そ、そう……」

 二人の言葉を聞いたアヤは呆気にとられたまま意見を引っ込める。
 だが、彼女の発想によりヒロの推理は進んだらしかった。

「……でも、シノが原因で断ったってのは有り得そうだな」

 彼は片腕で頬杖をつき、ウナテとシノの関係を整理する。ウナテの保護者であるシノは彼女に対しての影響力が非常に強い。
 空いている椅子に腰かけヨモは彼に同意した。

「シノはイサとウナテが恋人同士になるの嫌がってたもんねぇ」

 仲間へ依存するシノは、仲間のイサと仲間ではないウナテが親密になるのに否定的だ。
 アヤは悲し気にヒロへ尋ねる。

「シノはウナテに、イサの告白を断るように言ったってこと?」

 彼は眉間にシワを作って少し考えたが、そう時間を置かず自身の予想を答えた。

「……言ってはないだろうけど、そういう空気は出すだろうな」

 更にヨモが予想を補足する。

「で、ウナテはシノの空気にビビって、イサの告白断っちゃった、と」

「あー……ありそう……」

 アヤは困った顔になった。
 仲間を第一に考えるシノが、イサが傷つくのを知りながら自身の意思を押し通すとは思えない。しかしシノも人である以上、己の感情を常に偽ることはできないだろう。彼の言動の一端から、ウナテが保護者の意向を読み取っていてもおかしくない。

「……これ、言うかどうか迷ってたんだけどさー」

 椅子の背もたれにダラリと身体を預けたヨモが、シノの部屋へ続く扉を眺めて発言する。

「ウナテをシノと一緒にさせとくの、良くないと思うんですよ」

 彼女の言葉を聞いたヒロとアヤも、なんとなく視線を黄色い扉へ向けた。
 静かな口調でアヤが同意する。

「……確かに、ウナテには結構負担がかかってるわね」

 人ならざる肉体を持つウナテを調査するため、シノは人体実験を繰り返していた。もちろん適切な療養期間を設け彼女の健康には気を使っているが、それでもウナテの気が休まらないのは容易に想像できる。
 ウナテは調査対象として館へ連れて来られた。だから実験台扱いは当然なのだが、人としての道徳があるなら、この環境に心苦しさを感じるのは当然だ。

「珍しいな。お前が他人を気遣うなんて」

 ヒロは三白眼を丸くさせ、ヨモにからかう台詞を投げかけた。

「ウナテのためじゃねーよ。イサのためだよ」

 機械の少女は机の上に腕を重ねた格好になり、今度はイサの部屋へ続く扉を眺める。
 アヤは彼女につられて白色の扉を見上げて尋ねた。

「そろそろイサの部屋にウナテを引越しさせようってこと?」

「そうソレ。時は来たれりじゃね?」

 ヨモは深く頷く。動きに合わせて黒いポニーテールが大きく揺れた。
 ウナテを保護した当初からイサは彼女を自分の部屋へ連れて行きたがり、シノも将来的にはそうするつもりで、自分の世話は自分で出来るようウナテを教育している。いずれ、と考えていた方針だが、その時期がついに現実味を帯びてきたのだ。
 ウナテをシノの部屋以外に移しても彼女の扱いは変わらないが、四六時中シノの近くにいるよりは気分が楽になるに違いない。ウナテの精神衛生面を考えると、引越しは彼女にとってプラスになるはずだ。

「今後もウナテが何かする度にイサが引きこもってたら面倒くさくてしゃーない。さっさと同居してもらって強引にでもくっつけようって魂胆よ」

 乱暴な主張を持ち出したヨモを、呆れ顔になったヒロがいさめた。

「同居すればくっつくってわけじゃねーだろ」

「そうなん?」

 本気なのか分からない態度で彼女は首を傾げて見せる。
 対して、常識人なアヤは真っ当な意見を出した。

「……一番大事なのはイサとウナテの気持ちだし、シノの判断も聞かなきゃいけないから、今ここでは決められないわ」

 現段階でイサがウナテをどう思っているのか、ウナテは自分の現状を、そしてイサをどう思っているのか。それが分からないのだから周りの独断で話を進めるわけにはいかない。ウナテが人知を超えた力を持っている以上、調査をしているシノの意見も必要不可欠だ。
 机の上で手を組んだアヤは、それを見つめて呟いた。

「でも、もう話し合っても良い時期よね。どうするべきか、どうしたいのか」

 ウナテの介助ができないという理由でイサが彼女と一緒に暮らすのに難色を示していたアヤだが、今までのイサの成長を見てきたことで考えを変化させつつある。それにアヤ自身としても、イサの気持ちを応援してやりたい思いはあった。

「そうと決まれば話し合おうぜ! イサとシノを呼んで作戦会議だっ!」

 言うなりヨモは勢いよく椅子から立ち上がる。
 その発言にアヤは苦笑いを浮かべ、彼女の行動を制止した。

「まだイサはそっとしておいてあげた方が良いわ」

 やる気なさげにヒロも付け加える。

「シノ、今日は外出してんぞ」

「なーんだよっ、気が利かねーな!」

 ヨモはお門違いな怒り方をした。短気な彼女はさっさと事態の改善を図りたいらしいが、人の心が関わる以上、あえて時間を経過させることも必要だ。
 膨れっ面になっているヨモを見てアヤは少し笑い、今回の結論をまとめる。

「イサが出てきて、シノが帰ってきたら話し合いましょう」

「ふぇーい」

「うぇーい」

 ヨモとヒロが軽い調子で返事をした。

「…………」

 対して、アヤの顔には若干の陰りがある。
 案外この一件はこじれるかもしれないと、アヤは内心不安を感じていた。最初は部屋にウナテを飾りたいと言っていたイサが、ここまで彼女へ執着し続け、考え方と接し方を改めた。イサの成長は喜ばしいが、この変化は彼を苦しめているように思えたのだ。
 イサは人とは違う。人ではない者が、どれほど人に同調できるのか。そしてその苦労がどれほどのものになるのか、彼女には想像もつかなかった。

 無言で考え込むアヤ。一方、事態を楽観視しているヒロとヨモは玄関へ移動していた。

「……これ、どうする?」

 面倒そうな顔で疑問を口にしたのはヒロ。彼の前には外から届いた荷物の山が積み重ねられている。
 その問いで我に返ったアヤが、思考を切り替え椅子から立ち上がった。

「イサが立ち直るまでは自分達でやらなきゃね」

 このまま荷物が溜まり続ければ広間にまで入り込むのだから、放置するわけにはいかない。

「仕っ方ねーなぁ」

 ヨモは肩をすくめ、躊躇なく荷物の山へ分け入っていく。せっかちな彼女のことだからアヤに言われなくとも自力で持っていくつもりだったのだろう。
 小さな腕一杯に自分宛の荷物を抱えると、ヨモは力強く床を蹴り上げ跳躍した。同時に背中から白い翼が素早く広がり、風を切る音と共に彼女の小柄な身体を二階まで移動させる。

「シノとイサのは私が持ってくわ」

 言って、大量の荷物を持ち上げているのはアヤ。呪術により自身の身体能力を向上させられる彼女は、このくらいの重量なら簡単に持ち運べる。
 女性二人の逞しい運搬振りを眺めていたヒロは、渋い表情になってアヤへ声をかけた。

「俺のも持ってって」

「嫌よ」

 彼女は爽やかに拒否すると、荷物を持ったまま一気にジャンプし二階へ行ってしまう。
 予想通りの回答にヒロは溜息をついた。彼の能力といえば空間移動だが、館内では規制されている上、そもそも大きな荷物は持ち運べない。

 仕方なくヒロは自分宛の荷物をまとめ、よたよたと歩いていった。普通に階段を使って二階へ上がり、自身の部屋の前まで到着した頃には、すっかり疲れ果てている。周囲を見渡してみればヨモもアヤも荷物を運び終えており、ガランとした廊下には彼だけが残されていた。
 大変な目にあったものだと考えながらヒロは自分の部屋へ入る。どうして自分が広間を通ったのかを彼が思い出したのは、荷物を片付け終え、一息つくかと菓子類を探そうとした時だった。

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