向かいの男
電車内。とある横座席にて、一人の男が向かいの席の男へ銃を突き付けていた。
「荷物を寄越せ」
銃を持った男は低い声で指示する。
対して、脅された側は眉間にシワを作って不快感を表現した。しかし抵抗する気はないらしく、無言のまま自身の鞄を渡す。妙に落ち着き払っている彼へ苛立ち、脅している側は乱暴に鞄を奪った。
銃口を相手へ向けたまま男は荷物を漁る。まず最初に探したのは切符。そして、金が入っている財布を見つけニヤリとする。だが次に出てきた物が何かを知ると、瞬時に表情は強張った。
「……お前、三足教の信者か」
睨みつける視線を相手へ向け、鞄の中からそれを取り出して見せる。手の中にあったのは、三本の足を生やした鳥が刻まれた銀色のバッジだった。
正面の人物は未だ平然とした顔つきで沈黙している。金色の瞳が特徴的な、どことなくトカゲに似た男だった。
答えを返さず、冷静な態度も崩さない。その行動は的確に脅迫者の苛立ちを刺激した。銃を持った男はわざとらしく得物を持ち上げて見せたが、それでも相手の表情に変化はない。
すっかり機嫌を損ねたらしい男は、感情が赴くままバッジを窓から投げ捨てる。それは一瞬だけ光を反射し煌めくと、後方へ流れゆく草木の中へ消えてしまった。
「罰当たりなことを……」
やっとトカゲ似の男が口を開く。怒りと呆れが混じった声を聞き、少しだけ脅迫者の鬱憤は晴れたらしかった。
「俺は三足教が嫌いなんだよ」
不機嫌さを継続させたまま男は答える。
「お前がこんな目に合ってるのも、三足教が悪いんだ」
「憎まれたものですね」
対面の男は溜息交じりに応じた。余裕のある口調は聞く者の神経を逆なでする。
「ああ、憎いね。あんなクソ宗教、この世から無くなってしまえば良い」
銃を持った男が挑発してやると、途端に金色の瞳が鋭くなった。
「私を殺すつもりですか」
怯えた様子もなく彼は淡々と尋ねる。冷静な物腰と飛び出した物騒な単語に、問われた側は僅かにたじろいだ。
「……殺したいが、ここじゃあ目立つな」
見くびられるわけにはいかないが、現実的でない肯定をするわけにもいかない。脅迫者の返しはなんとも中途半端なものになってしまった。
出来の悪い答えを聞いた側は鼻で笑って見せる。
「それは残念」
「……何?」
動揺しているところへ更に思いがけない台詞を向けられ、銃を持った男は呆気にとられた声を出してしまった。
トカゲ似の男は薄っすらと笑みを浮かべる。
「銃で撃たれても、私は死にませんよ。三足鳥の加護がありますから」
彼は男から視線を外すと窓を眺めた。猛スピードで横切っていく山の風景の中に目を引くようなものはない。
「奇跡を目の当たりにすれば、貴方も三足鳥の力を信じるでしょうけど……殺すつもりがないのではねぇ」
独り言のように呟き、再び溜息をつく。過ぎ去る景色を見つめる表情は、正に他人事といった雰囲気だった。
しばし両者は無言になっていたが、やがて銃を持った男が我に返る。自身が馬鹿にされたのを理解すると下がっていた銃口を相手へ向けた。
「……そんなに殺されたいのかよ」
対面の男は何も言わなかったが、口の端が歪んでいるのを見れば心情を察するのは容易だ。
「なら、お望み通り殺してやる」
むしゃくしゃするまま脅迫者は言い放ったが、墓穴を掘ったのは明白だった。
「どこで? 今、ここでですか?」
相変わらずの涼しい顔で殺害宣告された側が問う。二人が乗っている車両に他の客はいない。しかし、さすがに発砲すれば隣の車両まで銃声が聞こえる。
誰にも妨害されず男を殺すことはできるに違いない。が、その後は快適な電車の旅とはいかないだろう。
冷静な態度を保ったままトカゲ似の男が尋ねる。
「……その様子からすると、貴方は電車に乗るのは初めてではないですか?」
尋ねられた側は図星をつかれた表情になった。次いで、男は金色の視線を自身の物だった鞄へ向ける。
「しかも、無賃乗車らしい」
「黙れ」
動揺した男は銃を見せつけたが、追及は止まらない。
「何か理由が?」
「…………」
答えないまま銃口を向け続ける男。武器を持っていないにも関わらず余裕を崩さない男。
「どうせ私は貴方に殺されるんですから、冥土の土産に聞かせてください」
視線を交差させたまま、彼は再度問いかける。
「三足教が嫌いなことに関係あるんですか?」
続いていく言葉。
銃を持った男は険しい顔つきで睨みつけていたが、やがて緊張を継続させたまま口を開いた。
「……聞きたいなら、聞かせてやるよ」
変に力んでしまっているのか、彼の声はかすれている。
「俺の村で、三足教が、何をしたかを」
上手く動かない自身の身体に辟易するように、男は唾を飲み込んだ。
男が育ったのは山奥にある小さな村だった。その村では三足教が信仰され、皆当たり前のように三足鳥を崇めていた。
村にいつから三足教が入り込んでいたのかは知らない。少なくとも、彼が子供の頃には既に根付き、身近な存在となっていた。だから当たり前のように三足教を信じていたし、そういうものだと思って育ってきた。
そこそこ大きくなるまで信じ込んでいたのは、特別扱いされていたせいというのもある。生まれた頃から彼は神の子と呼ばれ、三足教から大切に育てられていたのだ。両親のことは名前も顔も知らなかったが、三足鳥に仕える偉大な人物だと聞かされていた。
しかし成長するに連れ、自分が過ごしている環境がおかしな状態なのに気づき始める。書物などで断片的に得られる知識との矛盾や、村人が時折見せる怯えた態度が気になったのだ。
やがて心の中に蓄積された不自然さは無視できないほどになった。
ある日、彼は真実を求め、こっそり教会を抜け出し村人達と接触した。
最初は渋っていた村人達だったが、熱心に頼む彼へ根負けし、ポツポツと話してくれた。三足教が村を支配しているということ。他の地域との交流を遮断し、村人達を奴隷のように扱っているということ。逆らった者や、役立たずと判断された者は殺してしまうこと。とても信じられないような非情な行いが次々に告白された。
彼は大きなショックを受けた。今までの常識が根底から覆った感覚に戸惑い、最初は信じることができなかった。だが調べていく内に、村人達の話こそ真実だと受け入れざるを得なくなったのだ。
村人達に協力し、村を解放する。外部へ村の情報を伝え、協力を求めよう。そう決心するのに時間はかからなかった。村人は厳しく監視されているが、神の子である彼なら監視は緩い。
計画に賛同した人々は、彼へ銃と地図を渡した。金銭は三足教に没収されているため、これが村人達に出来る精一杯の助力だったのだ。
銃は野生動物を追い払う際に必要不可欠。地図も村から一歩も出たことがない彼にとってはありがたかった。地図には村から一番近い駅が記されており、ここまで行けばなんとかなりそうだと思えた。見知らぬ町へ走り去っていく電車の姿は、駅から遠く離れた村からでも良く見えていたのだ。
村から脱出する機会は、それからすぐに訪れた。彼が成人を迎える日に、彼の父親が村を訪問するというのだ。その準備に大忙しになった教会から、隙を見て抜け出すのは簡単だった。
駅までの地図を持ち、銃を携え山道を歩き続け、やがて目的地へたどり着いた。無人駅のため、到着した電車にこっそり乗り込むのは簡単だった。
そして今に至る。
「俺は町へ行って、警察とやらに告発するんだ。三足教が何をしてるのかをな」
そう最後に締めくくられ、話しは終わった。
自らの主張を誇示するように男は皮肉気な笑みを浮かべる。が、話を聞き終えてもなお、正面のトカゲ顔に変化はなかった。
しばし彼は無言だったが、やがて相手へ視線を向けると口を開く。
「……貴方は嘘をついています」
「嘘じゃない!」
いきなりの否定の言葉に男は反射的に大声を上げてしまった。相手が怒気をはらんだにも関わらず、トカゲ似の男は見解を曲げない。
「なら、嘘交じりの真実といったところでしょうか」
「だから、嘘じゃ……っ」
更に否定しようとした言葉を遮り、彼はゆるりとした動作で脅迫者が持つ銃を指さした。
「その銃から燃焼の元素の力を感じます。数時間ほど前に使用されているようです」
「!!」
男は明かな動揺を見せ、放とうとしていた台詞を飲み込んだ。
「どこかで、貴方は発砲したんでしょう。何を撃ったのかは知りませんが……あえて伏せたということは、貴方の話はどこまで信用できたものやら」
「……山を歩いてる時に、クマが出たんだよ」
取り繕う言葉。しかし男は、まるで興味がないように別の違和感も指摘する。
「それに、三足教は唯一神である三足鳥を信仰する宗教ですから、子供を神の子として育てることはありません。普通はね」
「何……?」
この指摘にも男は強い反応を示した。だが先ほどとは違い、顔に浮かんだ感情は困惑。
そんな様子を眺めたトカゲ似の男は、チラリと金色の瞳を車外へ向けた。
「……トンネルです」
「は?」
呑気で場違いな一言に脅迫者は間抜けな声をもらす。電車の進行方向を見れば、確かに彼の言う通り、遠くの山にポッカリとした穴が開き線路を飲み込んでいた。
「貴方は私を殺したいそうですね」
再び声をかけられ、慌てて脅迫者は車内へ視線を戻す。いつの間にか、対面の男は真っすぐに彼を見つめていた。
「三足鳥は天眼の化身ともいわれています。天眼から世界を見守り、平和をもたらすと。もしかしたら、天眼の光が届かない場所なら、三足鳥の加護も薄れるかもしれません」
そこまで言うと、張り付いたような奇妙な笑みを作り上げる。
「例えば、トンネルの中とか」
「…………」
この男は本気で、殺せと言っているらしい。それを理解した側は、銃を構えるのも忘れ呆けた顔になっていた。
「次のトンネルまで、未だ時間がありそうです」
相手の混乱に構わず、一方的にトカゲは話を続ける。
「では私も、嘘交じりの真実を話してみましょうか」
男には息子がいた。訳あって自分では育てず、縁のある村に託していた。
しかし放置していたのではない。定期的に村からの報告を受け、息子の状態を逐一確認していたのだ。
息子は日々大きくなった。しかし、その成長の仕方は喜ばしいものではなかった。まだ幼児の頃から彼は乱暴で、オモチャを壊し、育ての親を執拗に攻撃した。いくら常識の分からない年頃とはいえ、その行動はあまりに狂暴すぎていた。
外出できるようになってからは更に悪化し、被害は近所の家にまで及んだ。時は過ぎ、ついに村の動物を殺してしまった頃には、村人達の彼への見解は一致していた。あの子は生まれついての悪だ、と。
成長に従い行動はエスカレートした。恐喝に窃盗。小さな村の唯一の悪人は、平気で嘘をつき、都合が悪いと誰かのせいにした。
善人ばかりの村人達は彼を見捨てなかった。なぜそんなことをするのかと首を傾げつつ、それでも良い方向へ進むよう努力を惜しまなかったのだ。だが、その気持ちは報われず、成人間近になっても彼は悪のままだった。
もうこれ以上は危険だ。育成を切り上げるため、男は息子を迎えに行くことにした。が、その情報がどこかからもれてしまったのだろう。父親がやってくるのを知った息子は激しく抵抗し暴れ回った。
彼は父親を憎んでいたのだ。己が村に受け入れられないのは生い立ちのせいだと、遺伝子のせいだと、頑なに信じて疑っていなかった。そんな境遇にした原因である親へは、欠片も親しみを感じていなかった。共に過ごすなど耐え難い屈辱だったのだ。
彼は村で大事に保管されていた銃を奪うと、制止しようとする村人を撃ち殺し、村の外へ逃亡してしまった。
「その銃というのが、実は私のものなんです。私は、私の銃を盗んだ息子を追って、この電車に乗っているというわけです」
そう最後に締めくくられ、話は終わった。
「…………」
聞き手は顔面を蒼白にさせ固まっている。目を大きく見開き、瞬きも忘れて話し手を凝視していた。
「私の銃は特殊な作りでして、私にしか扱えないんです。もし私以外で銃を撃てる人物がいるのなら、」
相手の様子に気づいていないかのような態度で、彼は話を繋げた。
「それは、私の血を引く子供でしょうね」
「お前……が……っ」
やっと脅迫者が口を開く。不自然に震える唇からもれたうめくような台詞は、混乱交じりの憎しみを表していた。
「あのトンネルが、町へ続くまでに通る最後のトンネルです。さて、三足鳥の加護が勝るか。それとも、貴方の恨みが勝るか」
どす黒い感情を向けられてもなお、トカゲ似の男の態度は変わらない。
「……憎いんでしょう、私が」
危機感を感じていない。それどころか、対象へ何の興味も持っていないような口調。
「そうか……」
脅迫者は小さく呟き、ぎくしゃくとした動きで銃を構えた。
「全部知ってたのか……」
言って、銃口を正面の男へ向け、
「だったら、話は早い」
引き金へ指をかける。
「……死ね!!」
叫んだ瞬間、電車はトンネルへ突入した。
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