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好きな空耳を二つ言う

一つ目

星野源の『創造』に以下のような歌詞がある。

死の淵から帰った 生かされたこの意味は 命と共に 遊ぶことにある

星野源(2021)『創造』 アルバム『不思議』より

ここを結構長いこと「新富士から帰った〜」だと思って聞いていた。東京を拠点に活動している人なので、新幹線に乗ってる時の歌詞(しかも鈍行だ。新富士にはこだましか停まらない)なのかな〜と思っていた。

星野源がくも膜下出血で倒れたことは著書を読んで知っていたので、これもなんとなくその時の経験を意識した歌詞だとは理解していた。「命と共に」どうこうって歌ってるし。でも何故か「新富士」が「死の縁」に自然と直ることはなくて、ずっと「こだまで新富士に帰る星野源」を想像していた。

歌詞が訂正されたのはApple Musicに表示されたそれを見た後からで、それがなければ今でも「こだまで東京に帰る星野源」のことを思いながらこの曲を聞いていたと思う。

要はシンプルに自分が間違った認識を育てていた話なのだが、「くも膜下で彷徨うような痛みと苦しみの世界(エッセイ『いのちの車窓から』にはその時のことがかなり解像度高めに描写されている)と自分たちの生きる平穏な生活とは東京と新富士くらいしか離れていないのかもしれない」とか思って生きていた頃のこともそこそこ気に入っているので、今も時々こだまに乗る星野源を想像しながら『創造』を聞いている。

二つ目

最近YouTubeザッピングをする時はVtuberの歌ってみただのオリ曲のPVだのばかり聞いていて、これは歌ってみたの方。

ハロー 湧いてくる束の間の自負心

Vivid BAD SQUAD(2022)『Beat Eater』 アルバム『Awake Now』より

以上の箇所の「自負心」が「ジプシー」に聞こえていた。停滞を拒むような歌詞が続くので、その辺の移ろう感じを移動生活民族に例えているのかな〜と思って聞いていた。ちゃんと動画を見たら(作業中に聞いていた何かから飛ばされて聞いたのが最初だったので)普通に「自負心」と出ていたので、こちらの誤解はあっさり解けた。

ホームズか何かの影響で(『まだらの紐』に出てきますよね、ジプシー)、なんとなく「ジプシー」なる単語には今でも惹かれる気持ちがある。だから妙な聞き違えをしたのかもしれないし、該当箇所の歌唱担当はインドネシア出身の人らしいので発音がそこに噛み合ってしまったのもあると思う。

これも単純な間違えなのだが「束の間のジプシーが湧いてくる」精神性には結構魅力を感じてしまっている。初めての場所に行く時や引っ越す時には、束の間のジプシーを湧き上がらせてやっていくようにしたいなア。

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