お友達なので

「嘘の月ですね」
嘘みたいに明るい月を見ながら、お友達はそう言った。
そのお友達と一緒にいると、どういうわけか、現実なのにフィクションみたいな場面にしょっちゅう出会う。

大学生も過ぎると、大人になってから誰かと仲良くなることがだんだん難しくなると実感するけれど、そういう意味で言えば、このお友達は特異な例だ。

彼に会ったのは2年ほど前、大学4年生の時だった。卒論を書き上げた私は、卒業する前にどうしても演劇に関わりたくなって、とある公演の制作スタッフをした。そのときの主宰が、そのお友達だった。年は私よりひとつ下のその人と、きちんと話すようになったのは、その公演の終わった後のことだった。

4月に労働が始まって精神を病み始めた私は、土曜日に新宿で一緒にご飯を食べたとき、改札の前で、ダラダラと長話をした。
「なんか、もう今日は、どうなってもいいんで」
死んだ目でそう言葉を並べる私は、どう見えていただろう。よく覚えていない。
「多分、あれが終電ですね」
聞きながら、自分自身の恐ろしく無味乾燥に思えて仕方のない日々と、それが続いていく恐ろしさについて考えていた。

異性と終電を逃すと、大抵の人間は愛だの恋だの、あるいはそれに付随する物事に、連想が及ぶのだろうけれど、その時の私は、家に帰って、一人で玄関のドアを閉めた瞬間から始まる現実というものが耐え難く、1秒でも長く、それから遠ざかりたいだけだった。そしてこの人には、それがなんとなくわかりそうだと思った。行く宛もなくて、新宿から中野まで歩いて、その人の部屋に朝までいたけれど、ただただ奇妙だった事しか覚えていない。

新宿駅から、中野まで歩く間、自分自身についての話をいくつもして、またその人についての話をいくつも聞いたけれど、私はそれをほとんど覚えていない。
その人が、どうしようもなく私に似ていたからだ。
大きな道路の、何台も車が通る光の道のその脇を歩きながら、自分がしゃべっているのか、相手がしゃべっているのか、わからなくなりかけながら、なんか、嘘みたいですね、と言った。
なんてロマンチック、夢みたい、とかではなく、むしろ何もかも伝わり過ぎて、薄気味悪かった。
「たぶん、僕の遺書書けますよ」
お友達はゲラゲラ笑ってそう言った。私は私で、「私のようになりますね」と言って笑っていた。気味の悪い夜だった。私によく似ていて、私の一つ下だから、私のように、なりますね。朝になって、中野の歩道橋で、嘘みたいな朝焼けとクレーン車を背景に写真を撮って、さよならを言った。この奇妙な日は、多分私の走馬灯に出てくるだろう、そう思った。

新宿駅から自分の家の最寄り駅までの電車に乗ろうとしたら、人身事故で電車は止まっていた。こんなに天気がいいとそりゃ死にたくもなるよなと思いながら、どうにかして帰ったような気がする。終電を逃していなかったら、私が電車を止めていたかもしれなかった。

私が一大決心をして仕事を辞めたのは、それから9ヶ月近くが経過してからのことで、その間も時々会っては話をしていたけれど、私たちのやりとりは、どういうわけかいつも虚構めいていて、フィクショナルな匂いがたちこめていた。

その後、喧嘩をしてしばらく連絡を絶ったりすることもあったけれど、自分に似ている人に、私は他に会ったことがなく、そういう彼の行く末については、やはりなんだか気がかりで、また会いましょうと連絡をして、夏に、ほんの少しだけ会って話をした。精神科に薬をもらいにくるついでだと言っていた。

私は大学院の話をしていて、お友達は就活の話をしていた。どこにも決まらない、と話す彼に、そうだろう、と私は2年前を思い出しながら思った。どこにも決まらなかった、私も。どうしてどこにも決まらなかったか、今ならよくわかるし、多分当時も薄々わかっていた。
どうせ不貞腐れてるので、また会ってください、と言われて、改札を抜ける前と、抜けた後に手を振って別れた。

「どういう経緯でそうなったのか、私は知らないんですが」

定食屋で食事が運ばれるのを待つ間に、聞くような話ではないとも思ったが、久しぶりに会った彼も、私も、緊張感も安堵もなく、なんだか間が抜けていて、なんの心遣いもなしに、一部始終を私は聞いた。

「別に、死のうと思ったんじゃないんですよ、ただなんか、ずっと寝てようと思って。1日も2日も、1年も2年もおんなじだと思って、で、目の前に72錠くらいあったから」

世間話でもするみたいに、自殺未遂の話をしていた。

「どっちも夢みたいだったんですよ。寝ても覚めても夢で、起きてる時もずっと悪い夢みてるみたいで、だったらずっと眠ってた方がいいと思って」
「なるほど」

怒るのも泣くのも、生きていて良かったと喜ぶのも、なんだか違う気がして、それだけ言った。
死というのは、少しも劇的ではないのだ。私は、あの嘘みたいな日の最後に見た人身事故の表示を思い出していた。

死のうと思って薬を大量に飲んだけど、起きてしまった、とTwitterで彼が言っているのを見て、私が慌てて電話をかけた時、もう一度意識が遠ざかる寸前だったんですよ、と彼は言った。何度か落ちて、その度にかわるがわる連絡が来たり家に人が来たりして、だから起きてるんだと思う。

「なんだか、夢の話みたいですね」
「うん、僕も、あれからずっと夢みてるんじゃないかって思うんですよ」

私たちの間で交わされる、夢だの嘘だのといった言葉は、肯定的な比喩でも否定的な比喩でもない。ただ本当に限りなく、眠っている間の、どう思ったらいいかわからない手触りを持つ夢の状態に、似ている。それだけの意味だ。
この人に会っている時いつも、夢と現実の境が曖昧になる。

「寝ても覚めても夢みたいで、起きてても悪い夢みたいで、だったらずっと寝てた方がいいんじゃないか、そっちの方がまだ楽しいし、楽だって思ったんですよ」

やっぱり、似ている。
慌てて電話をかけた時、私は開口一番「死んでるかと思った」と言った。締まった喉から絞り出すような声で。電話口から間の抜けた声で、あーいや、まあ死のうとは思いましたけど、起きちゃって、と聞こえてきた。
よかった、と思った。安堵した。でもその時の安堵は、友達が生きていたことに対するものとは、微妙に違っていた。
よかった、これで生き延びられる、と思った。
この人は恐ろしいほどに私にそっくりだから、この人がまだ生きているなら、私も生き延びられる。反対に、この人が死ぬような世界なら、私もまた、生きるのに難儀するだろう。そう思った。

「死なないでくださいね」

だからそう言った。愛情も依存も友情も、どれもそぐわない、ただ自分が生き延びる方程式に、この人が組み込まれている、それだけだった。そばにいなくても、この世のどこかでこの人が生きているなら、私も生きていけるような気がすると、そう思った。

「大学院はどうですか」
「忙しいですよ、ずっと」
「でも充実してそうに見えますよ」
「充実はしてますね」

言いながら、何が私とこの人を、こんなに違うものにしたのだろうと思った。1年前は、私もあのあわいにずっといたのだ。眠って起きてを繰り返して、無機質な夢でもみているかのような、実感の湧かない日々に。薬が、なかっただけなんじゃないかと思った。

「それで、ちょうど目の前に72錠あって」

向かい合って座っている彼の姿に、自分自身の声と姿が重なるような気がした。

「ずっと眠っていようと思ったんです」

表裏一体なのだ、この人と私は。ただそこには、側から見て容易に想像できるような種類の感情はなく、ただただ、奇妙な連帯感だけがあった。

おんなじように、表裏一体なのだと思う、夢も現も、生も死も。だけれども、と、私は思う。だけれどもこの人と私は違うのだ。そして私も彼も、ひとまず生き延びた。この限りなく夢みたいな現実の中で。

「また会ってくれますか」
「会います。お友達なので。ずっとお友達です」

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