人間になった


私は最近人間になった
というと、周りから今まで何だったの?
と言われるが
その答えまでは考えていない
ただ、私は今まで人の言っていることがわかってはいるが
理解していなかったというか
理解しようとしていなかった
だから今までの私は人間ではないと思ったのだ

人間は本来幸せになるために生まれてきたと言われた
ふーん
もうこの時点で人間ではない
自分よりも何十年も生きてきた、人生の先輩がそういっているのにいろんな経験をしてきて現在幸せに生活している人が話してくれているのに
私は、ふーんだ
へー、じゃないだけマシとかそういう問題ではない
甲子園優勝した野球部の先輩にアドバイスを聞いて
高校球児はふーんなんて思わないだろう
マネージャーすら思わない
そう思うのは、たまたま話が聞こえた活動中の帰宅部くらいだ
なんか言ってるよ、ふーんって思うならあなたは野球部ではないのだ
ではなぜふーんなのか
それは自分ごとに捉えていないから
人間の本来の姿を言ってもらっているのに自分ごとに捉えていないなんてどっからどう考えても人間ではない
帰宅部は野球部の話を自分ごとには捉えないたろう
元野球部、現帰宅部は別だが

ではなぜ、人間の話をされているのに自分ごとに捉えられないか
それは実感がないからだ
そもそも自分の幸せすら忘れている
だから言葉の意味が分かっても何言っているか理解はできない
そして自分には関係のない話としてその先のことは右から左にすら行かなくなる 
でも、私は同じ話でも自分の状態によって聞こえ方が変わると言われたことを信じていた
いや、疑心暗鬼で検証しようとしていたのだ
なぜかその検証は2年以上続いた
ずっと疑心暗鬼のまま、時にはさぼることもあったけど同じ話でもなんとなくメモとりながらそれなりに聞いていた
その甲斐あって、あるとき私がその人の話を理解してることに気づいて驚いた
なんかその人が変わったのかと思い近くの人に聞いてみたが変わっていないという
そうか、私が変わったのか
自分が生きていくうえで大切なことをずっと教え続けてくれていたその人の話が痛いほどに耳に入ってきて1言も逃さずに聞こうとしている自分がいた
メモの取り方も変わっていた
ここでしか聞けないこと、後で自分で考えること
そんな風に分けてメモを取っていた
さすがに私は天才なのかと思ったが
それは変わりたいと思い続け、疑心暗鬼を懲りずに検証し続けた
私の努力だ
続けることに意味があるのではない
続けることに意味が付くまでやるんだ
そんなことを2年間かけて学んだ
そうして人間になった私の生活は作業が減った
毎日当たり前にやっている、食事、お風呂、通動、買い物
私は感謝している、その生活に感情を持っている

冷蔵庫にある大根を無駄にしたくないと思ったけど私が作るよりも父が作ったほうがおいしいな。
でも父は仕事で疲れてるよな、なんて思いながら
とりあえず、私がすりおろした大根から父が作ってくれた鶏肉のみぞれ煮
2日前に食べ終わたものだ
コンタクトの洗浄液を買いに薬局に行って
私がカードで支払いでっていう前にカード払いの準備をしてくれてい店員さん
この人はどこに行っても通用する人なんだろうなと思った
昨日のお昼休みの買い物時間
ちゃんと覚えている
私は人間で、一つ一つのことに感情を持つのだ
いちいち感情を持っていては大変だが
生きていくうえで感情を持つこと
何かに感動することはとても大切だ
デヴィ夫人の若々しさの秘訣は毎日何かに感動することだという
毎日10個だったかな
お花が綺麗、ご飯がおいしい、空がきれい
そんな些細なことで感動すること
それで若々しくいられるなら朗報だ
こんなに簡単なら疑心暗鬼でもやってみる価値はある
人間っていいなって、あの曲は素晴らしく思える
人は、人間になると水臭いことを言い出し
気持ち悪いくらいに感謝し、時に見えない何かと調和しだす
それはなにも頭がおかしくなったわけではない
自分らしく生きれれるようになった
それだけなのだ
誰もが求めてる姿で、簡単なようで一番難しい
人間として生まれてきたのに
年を重ねるにつれ、生活を作業にし目の前のものを当たり前に思い何にも感動、感謝しなくなった
生まれたばかりの時はすべてが新しくて驚き、感動し
泣き笑い生活していた
なのに私たちはいつから人ではなくなったのだろうか
日本という環境はもうそう簡単には変わらないなら
あなた自身が、あなた自身の頭でどうしたら人間に戻れるのか古代の歴史から学びなおすのもいいかもしれない
そこはきっと晴れた日も雨の日も、作物が実ってご飯が食べられることにもすごく感動し、感謝する
そんな未来の姿が見られるに違いない
少し古臭く生きる
今日から家庭菜園でも始めてみるのはどうだろうか
おすすめはオクラだ

PS
家庭菜園、おすすめです
私が家庭菜園始めたのは本当に偶然で
スーパーでゴーヤの苗が安くて、普通にゴーヤ買うよりたくさん食べれるじゃん!って思ったのが実際育て始めたきっかけです
やってみてどうだったかって
結論
普通に買った方が安いです
土とか肥料とか、水やりが手間で
しかもちゃんとした野菜が収穫できる保証がない
大赤字です
でも、おかげでスーパーでお野菜を売ってくれているありがたさそのお野菜を育ててくれている農家さんの苦労がすごくわかりました
たった2つのゴーヤの苗すらこんなに大変なのに
あんなにきれいな形の大きいゴーヤを育てるなんてどんな苦労をしているんだろうって
食べ物を粗末にしてはいけません
当たり前のことだけどその本当の意味が分かりました
あとは雨の日を好きになれました
水やりしなくていいから
変わらない毎日に花が咲きました
実際の苗にも
そんな些細な出来事で少し生活に充実感を感じました
今日はどんな変化が見れるだろう
少し元気がないから肥料を与えて元気になってくれてうれしくて
植物は毎日成長している
私も負けにように成長しようって思えました
植物に肥料を与えるように自分も食事をする
どんな体調の変化で何が必要か
そんなことも考えられるようになりました
こんなにも多くのことを与えてくれた植物たち
後は無事に実がなって収穫できれば完璧ですが
それは欲張りでしょうかね

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