この投稿は、以降の投稿で美について述べる際の前提とするため、私の美に関する立場をまとめたエッセイとしたい。気まぐれな性格ゆえ、次いつ美に関連した投稿をするかはわからないが。 美や美的経験は唯名論的な立場では議論することはできないと考えているのでイデア論的な立場をとっている。しかし美というイデアを前提すると、美に普遍性や唯一性を見いださないのは苦しく思えるので、美的経験というイデアを想定することにしたい。すなわち、個々人が制作物を目前にしているとき、その主観それぞれにおける経
題のついた1つ目のエッセイのテーマは、公共の場での他人へのまなざしである。これは、以前から論じようと思っていたテーマというわけでもなく、ただ夜の郊外のスーパーマーケットにいた恋人のじゃれ合う様子に浴びせられた迷惑がる視線が印象的だっただけである。その程度の思いつきから何か書き留めるべきことが生まれてくるか全く見当もつかないまま徒に筆を進めてみる。 私の初投稿「このノートに書きたいこと」で、ビジネス、クリエイティブその他の世界をとりまく本質的な必然性を伴わない虚仮威しの言葉
noteというサービスは以前から知っていたが、拗れた苦手意識をそれに対してずっと持っていた。クリエイティブと称される職業の人間や、そのような分野に関心を持つ人間が、行間ばかりをやたらと空け、耳障りや舌馴染みの良い新しい言葉を駆使して、捉えどころの無い話を綺麗にまとめたような、そんな投稿の多いイメージだった。概して、芸術にしてももっと後半なカルチャー論にしても評論などの分野では一つの考え方を提示する際、絶対的な一般解として帰納的に示すことはできず、相対的な解であることを自覚し