酒井紀美『夢の日本史』――エロ小説書き、本を読む#13

 ひょんなことから、ガチガチのR18小説を書き始めてしまったアマチュア小説書き。でもだからこそ、本を読まなくちゃ!
 というわけで、中断していた読書感想記事を再開することにしました。相変わらず無節操な行き当たりばったり読書、よろしければどうかお付き合いのほどを。
 過去の読書感想 →https://zsphere.hatenablog.com/


 ちょっと今後書く予定のお話に関連して、日本文化において夢がどんな位置づけだったのかなみたいなことを確認する必要ができまして。そんなわけで探して手に取った本書であります。

 まぁ元来、系統だった形で歴史を辿っていく縦断的な歴史勉強より、何かワンイシューのテーマに沿ってあちこちの歴史を切り取ってくる横断的な勉強の方が性に合っているという身でもあり、昔からわりとこの手の本は手に取っておりました。それって実質、学問に向いてないってことだよねと言われれば全くその通りであって、だからまぁ怪しい小説書きに落ち着いたわけですけれども。

 本書もある程度の全体的な概観としての結論はありつつも、そこに収まらず、岡倉天心や柳田国男などの夢に関する記述を引っ張ってきて近代日本の一側面をあぶり出す的なエッセイめいた部分もあったりして。硬派な学術的アプローチを期待して読むと少し肩透かしかも、と言う感じですが。逆にそこが味でもあるな、という読後感でした。

 個人的に面白かった部分で言いますと。
 古代・中世にかけて、夢というのは神仏などの外部からもたらされるものであり、また時代をさかのぼるほど公人による夢が実際的な政治などにも影響していく公的な側面が強かったわけですが、それが時代と共に変化していき、やがて夢そのものが個人の内面から生まれるものへと認識が変化していく、というまとめはなかなか腑に落ちる感じでした。
 そしてそれゆえに、「将来の夢」「夢をかなえる」みたいな、個人の将来的な目標でありビジョンという意味で「夢」という言葉を使うのも、実は歴史としてはものすごい浅くてせいぜいここ100~200年程度しか遡れない、という話が言われてみればなるほどという感じで面白かったですね。
 案外その辺、我々が当然と思って使っている言葉の意味や概念なんかも、ほんのちょっと時代を遡っただけで通用しなくなってしまうような意外性があるものですな。
 本書の内容からは外れますが、個人的に「運命」とかもそうなんだろうな、というのがあって。現代だと特にエンタメを中心に「運命は変えられる」みたいなメッセージがよく出てきますが、ギリシャ悲劇なんかを読むと運命というのはそのまま神の意志であって、どれほど人間が足掻いても絶対に変えられないもの、という描かれ方をするので。だからこそ「どう足掻いても必ず運命の通りになる、そこで翻弄される人間の様」というのが「悲劇」だと理解しております。多分、古代ギリシャ人が現代日本人の「運命は変えられる」みたいなメッセージを見たら意味が分からないか、もしくは怒り出すんじゃないかな、と。

 そんな感じで、いろいろとインスピレーションは拾いつつ、面白い観点からの解説が読めて楽しゅうございました。こういう本ばっかりだと雑学的な知しかなかなか身につかないけど、たまに読むのは悪くないですね。

 といったところで。

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