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登場人物紹介

文学フリマ東京35で販売する小説『Solitude-How He found a New Way of Life』の登場人物紹介です。キャラクターが持つ物語中の役割も追記しました。

↑ネタバレなしなキャラ紹介はここまで↑

※ここから先はキャラクターの役割メモです。これを読まずにお話を読んでもらった方がいいかもしれません。若干ネタバレもあります。
 とはいえ、素人の小説を読むのに、ネタバレしてでもどんなお話か知ってから判断したいという感覚の方が強いんじゃないかなーということで書きました。

登場人物の役割

私の考えた最強のスパダリ(やや性格に難あり)。

 主人公。アセクシュアルというと、アロマンティックと思われがちなので、あえてロマンティック指向を持つアセクシュアル(他者に恋愛感情は抱くが、性的欲求は持たない)、しかも男性のアセクシュアルについて書きたくて作ったキャラクターです。
 世界的に見てもアセクシュアルを自認するのは女性が多いとされています。ただ、日本の研究では、その中でもロマンティック・アセクシュアル(ノンセクシュアル)は、男性の割合が高い可能性が指摘されています(まだ研究段階で確定ではありません)。
 私自身がアセクシュアルの男性と出会ったことがきっかけで、「男性でありながら性的魅力を他者に感じない」ということが、どれだけ自認に至るのが難しく、自認してからも世間の求める男性像とのギャップに悩む傾向が強いことを深く考えるようになりました。だからこそ、それを飄々と乗り越えて幸せになる、ポジティブなお話が書きたくてこのキャラクターの性格設定をしました。
 エンリコは自己肯定感が強く、自身を「強い男」と思いながらも、世間の思う「強い男像」と異なる部分に対峙することになります。彼を描くことで、「男らしさ」に苦しむ男性や、アセクシュアルであることに葛藤する男性に、「ジェンダー・ロールに縛られず、自分らしく生きて大丈夫!」と伝えたいと思い、あまり重々しくない、ライトな物語を書いてみました。

エンリコの「障害・葛藤」となる物語のキーパーソン。

 マルティナは子供なので忖度しません。社長であり、周囲がイエスマンになりがちなエンリコの生活を引っ掻き回す、「思い通りにならない存在」です。
 物語の作り方の本を読むと、必ず「主人公が障害を乗り越える・葛藤するシーンを作れ」というアドバイスがあります。いわゆる物語の山場ですね。
 セクシュアル・マイノリティの物語を描く場合、それはたいていが「周囲の無理解」「謂れのない中傷」「自身の葛藤」だったりします。さらに、自身のセクシュアリティについての啓蒙役を背負わされる。
 でもそういうのは、他でいっぱい見たから、もういいかなと。あと、そういうのって、当事者からしたら自分の過去の痛みをなぞるような、フラッシュバックみたいな経験をさせられて、物語として楽しくない気がしました。
 だから、エンリコの葛藤は、マルティナに起因するものになります。彼はセクシュアル・マイノリティでありながら、そのせいで差別されることはありません。無理にカミングアウトもしません。周囲に理解されようとも思いません。
 けれども、乗り越えなくてはならない事柄に直面します。それが、この小さな女の子との関係になります。

生き死にが関わる映画なら、主人公を庇って終盤で死ぬ系のめっちゃいい奴。

 ウォルターは主人公の理解者であり、ストーリーを進行するためのツッコミ役として機能します。エンリコは基本的にボケ役というか、ちょっと世間とはズレた感覚の持ち主で天才肌といったキャラクターなので、ウォルターが軌道修正の役割を果たします。
 ウォルター自身は世間一般でいう「優しい人」でありながら、彼もちょっとした問題を抱えています。単に主人公を助けるだけでなく、主人公に救われる一面もあり、「友情」ってこんな感じだよなぁという点と、主人公との対比として、ごくありきたりな男女の恋愛の描写も必要だよねってことで、一般的なヘテロセクシュアルの男性として書いています。

お茶目なおじいちゃん執事がいる生活は私の憧れ。

 スティーブンスという名前は、『日の名残り』へのオマージュです。とはいえ、本家のスティーブンスはユーモアが苦手な真面目な執事なので、全然違うキャラクターではあります。あくまでお名前とお仕事だけ拝借しました。
 彼はエンリコの親的役割を担います。セクシュアル・マイノリティの物語では親との関係の葛藤、親自身の戸惑いなどが描かれます。そういうのも、もう見るのしんどいな、でも無視できないしなーってことで、作ったキャラクターです。
 彼は親的役割とはいえ親ではないので、エンリコの性的指向を割とすんなり受け入れます。でも、ちょっとだけ心の中で「息子の子供が見たい」的な親心を発揮します。その親心がちょっと明後日の方向に行って、物語を転がす機能を果たします。

美女には美女の苦労がある。

 「ちくしょー! 私が美人だったらなぁ!」と、思うことが多々ある人生ですが、実際に美人の友人や同僚の人怖エピソードを聞くうちに、「美人じゃなくてよかった……」と思うようになった私です。
 そんなわけでロージーには、私が聞いた「美女が経験する人怖あるある」を背負ってもらいました。彼女は美女であるが故に、男性の性的な視線に晒され、男性恐怖症気味です。とはいえ、男性の全てが悪ではないことを歌手として支えられる中で知っており、男性嫌いではありません。
 彼女はレズビアンを自認していますが、男性恐怖症とは別のものだと、きちんと理解しています。レズビアンというと、「男性が苦手だからだろう」と勘違いをする人がいると聞き、そうではないことを表現したくて作ったキャラクターです。また、セクシュアル・マイノリティとして生きてきた彼女は、エンリコに対し様々な気づきを与える存在として機能します。
(※伝えたいテーマ上どうしても必要かつ、ケースとして少なくない事例であることから、若干重めの体験談があります。書き方には気をつけましたが、ロージーの体験がトラウマを刺激する可能性があるので、男性関係でトラウマのある方はご注意ください)

強くてかっこよくて、あけすけで下品な女性が描きたかった。

 レイラはロージーと違い、自他共に認める「男嫌い」です。恐怖はなく、「とりあえずぶちのめす」と思っているレベルのかなり強烈な男嫌いです。
 彼女はアルバイトとしてSMの女王様のお仕事をしており、仕事では男性に致命傷が残らないよう、きちんとプロとしての配慮をします。ただし、ロージーのボディーガードとして男性を痛めつける場合は、別。
 言葉遣いも荒く、平気で下ネタも言います。彼女の存在のおかげで、この小説を全年齢対象と言っていいかちょっと迷うレベルです。とはいえ、アセクシュアルとセックスについては、切り離せない話題であり、どうしてもあけすけになりがちなテーマです。
 また、参考文献にした著作では、アセクシュアルとBDSMは案外相性がいいという記述があったこと、BDSMもアセクシュアルと同様に誤解されがちであること、「性的指向」と「性的嗜好」の違いを明示したいという点から、BDSMを物語に盛り込みたいと考えました。あと、知り合いにプレイ経験者がいるから書きやすかったんです(笑)。
 レイラの強烈な男嫌いには理由があります(作中で明かされます)が、エンリコやウォルターと出会うことで、それが少しずつ変化していきます。

癖つよ登場人物の中の唯一の良心

 登場人物が全体的に癖が強くて胸焼けしそうなので、ロビンは箸休めというか、割とよく見かけるパターンの「真面目で善良な女の子」という感じのキャラクターです。
 真面目が故に職務を全うしようと奮闘し、それがエンリコの目に留まります。そこから主人公の周辺に巻き込まれていくのですが、彼女の働きがエンリコを救うなど、物語の後半で重要な役割を担うようになっています。
 主人公に近い人物が多い中で、一歩引いた客観的な立場の他人としても機能します。

髪型はオーブリー・ビアズリーの肖像から拝借。

 ヒューバートはBDSMを解説するための存在として機能します。
 ウェブ上の情報は真偽がわからないので、M男さんが執筆したM男指南の本を探し出して、M男性心理の研究もして挑んだキャラクターです。彼らの好むプレイの種類は実に多様で、ヒューバートがその中の何を好むか、しっかり描写するとR18になってしまうので、匂わせる程度に書いてます。わかる人だけわかるレベルですが、わからなくても物語の進行上なんら問題ない感じにしました。(でも、私は書いていてとても楽しかったです。笑)
 登場場面は少ないものの、主人公の苦境を救う役割を果たしたり、いい感じのMっぷりを発揮したりと、それなりにインパクトを残せたんじゃないかなぁと思っています。

番外編

ネコチャーーーーン!

ベルナルド(猫)
 番外編としてエンリコの家に居候している猫も紹介します。単にネコちゃんを登場させたかったのですが、物語の書き方の本に「意味のないシーンは書くな」とのアドバイスがあったので、ベルナルドの存在にはメッセージ性を持たせました。
 最近は、SDGsの関係でLGBTQ+理解がどうこうって話が多くなってきていますが、なんだか無理矢理というか、押し付けがましいというか、なんか当事者を置き去りにしてない? という印象が否めないのです。だから、SDGs由来のLGBTQ+理解は疲れる。
 私はもともと自発的にジェンダー・ロールやセクシュアリティについて興味を持っていたのですが、その中で、当事者の誰も彼もが「理解してほしい!」「権利をもっと!」というのではなく、「普通に、当たり前にそこにいる人として受容してほしい」という考えがあることを知りました。
 もちろん、同性婚など、権利として認めた方がよい部分については、変えていくことに賛成です。でも、なんていうか……もっと自然に、喧嘩するみたいな勢いじゃなくて、無理な理解とかじゃなくて、誰かの犠牲のもとに成り立つものじゃなくて、「そういうのもあっていいよね」くらいの、柔らかに、緩やかに互いの存在を許容し合える距離感がいいなぁ……そんな思いを、ベルナルドの登場シーンに込めてみました。