不登校が何しても解決しない訳
極めて極たまたまに~
「 芸術とは何か? 」
解った人ですw
と云っても
幼少期から道のりは
何十年も掛かった。
それで
ようやく理解なので
凡人の極みです。
でまあ最近、その愚才で
信仰について考えると
神とは何か?
なんてのも解りました。
(神を忘れる時代に今更ね~)
芸術の理解は
考える力が必要で
地道に歩いてきました。
この世界の様々が
解って当たり前といえば当たり前で
自慢できる訳でも無し(´;ω;`)ウゥゥ
誰かに言っても
いい年して中二病の
痛い人にされますw
そんなこんなの境地で
何でか解りませんが~
不登校という現象を
延々と考えたら
これまた色んな事が
解ってしまって。
それで云うと。
この150年程度の
近代の私達はとても未熟~。
その故に自分は成熟してると
みんな勘違いしてる。
ですので
不登校の奥にある真実に
今不登校も元不登校も
不登校の親も教師も
教育専門家も精神科医も
殆どの日本人が
気付くことは出来ない。
仕方ないよね。
それが人間ですから。
❀ 感動的な・・・
時々、TV等で青少年の感動的な
部活の大会やコンクール等の
ドキュメントがあったりします。
その極みが高校野球かな。
「 頑張ってる 」
少年少女が勝っても負けても
涙し肩を抱き合ったり
たくさん練習して
たくさん努力する姿。
観ると思わず感動します。
努力する人は
私も好きです。
最近まで
こういったドキュメントや特集を
何も考えず見てました。
でまあ
不登校という現象を検証し始めたら
誰も不思議に思わないこの光景が
「 異常と気付きました 」
夢に向かって努力する
それは良いでしょう。
仲間と目標を共有する
吹奏楽部や野球部がみんなで頑張る
良いと思います。
ん?
それ学校で
やってるんだよね?
ある番組での中学生の姿
授業が終わって放課後に部活
それが終わって日舞の習い事
習い事が無い時は塾
夜遅く帰宅して
食事して少し勉強して
倒れる様に深夜に就寝。
日舞の先生が
「 ○○君はよく頑張ってる 」
と優しい感想を述べてました。
親は
「 本人のやりたいを、させてあげたい 」
と尊重したことを言ってました。
夢の為に・・・
ん?
それ学校に行った上で
やってるんだよね???
私が何を言いたいか・・・?
解ればあなたは
我が子を自殺に
追い込まずに済みます。
あなた自身も適応障害になる
危険性が低がります。
この誰も不思議に思わない光景にこそ
恐ろしい現象が幾つかあります。
❀ 生存本能が選んだ停止
動物によっては危険に遭遇すると
動かなくなる事で回避する
行動があります。
現代の少年少女は
生きる為の「 本能 」が
活動する機会を奪われ
生きる為の
「 親子間や小群の伝承 」
が無いまま。
つまり土台が弱いまま
恐ろしく「 膨大 」に・・・
「 何かしています! 」
登校しています。
勉強をしています。
習い事・塾もしています。
部活もしています。
(これらは評価・レッテルに晒されます)
ここまでの「 してる 」でも、まだ少し前の時代です。
既にこの段階で少年少女が、無自覚に追い詰められてる。
藤子不二雄の昭和マンガに、大学受験を何浪もするキャラクター(未来の裏のび太?)が出て来てます。
戦後75年の少年少女がどう生きたか?
これが解っていれば明白です。
リビングで・・・
TVを見ながら、スマホをいじり
勉強道具をテーブルに置いて
食事をしながら家族と団らんする。
よくありそうな光景?
・
お正月に親戚が集まって
盤ゲームしてるくらいは
まだ牧歌的でした。
そこに凄まじいパワーの
「 する 」が登場します。
TVゲームです。
そして更にもっと凄い「する」が
全人類を巻き込みます。
ネットとスマホです。
核エネルギーに相当する力が
少年少女の「する」を増やしていきます。
それは戦争をする暇さえ
与えない程の力です。
娯楽・エンターテインメント
流行・スポーツも
専門家が把握できない程に増え
それをキャッチ・チェック「する」
膨大に増える表現と作品群。
B級・C級を鑑賞「する」
時間の方が増えます。
アニメやアイドルの推しもしています。
ゲームも24時間、僅かな時間でもしています。
誰かとチャット・ブログもする。
SNS・通話もする。
YouTubeは画面を観るだけでなく
するものに変わります。
写真だけでなく動画までする。
生きる為に必要なするが
どんどん薄くなり
させられて「する」
いつ間にか巻き込まれて「する」
好きだから、楽だから「する」
みんながやってるから「する」
一昔前に無かった・・・
余りにも過剰で膨大な「する」
例え幼児でも
もし現代の暴風の様に吹き荒れる
「 する 」の大群の音を
感じ取っていたら・・・。
❀ 楽は楽しい
「 自分はクズ・ダメ人間・何も出来ない 」
そう卑下する10代達。
彼らは楽になりたい
「 楽をする 」ことを望んでいます。
楽しくする、してくれる文明を
最も享受してますので
楽でない事がだんだん辛くなります。
既にゲームにさえ
飽きて来ています。
ネット・ゲームの前は
まだ大多数が社会に出てから
辛く感じました。
もう彼らは出る前から
辛いのです。
楽してできるが当たり前で
それを全部する世界。
少しでも労力がいる事が
しんどくて仕方ありません。
最もしんどいのが
人との関係を作る労力です。
怖い映画は避けれますが
相手の反応は避けれません。
安全な世界で漂ってるので
予想出来ない反応に驚き
ビクビクし始めます。
人間関係が恐ろしく疲れます。
「 私は何も出来ないダメ人間 」
楽を「する」事は出来るのです。
それを散々やり過ぎたのです。
もう疲れたよ。
もう充分にやったよ。
たった10年生きただけで
過労が重なってます。
ひたすら疲れて
この先にもっと激しく疲れる
「 社会 」が待っている。
何とかしなければ・・・
労力を減らさねば
省くべきは何か?
何をしても何もしなくても
勝手に査定されグイグイ押し付けてくる施設。
労力やリスクが掛かる人間関係。
これを省くしかない。
省かないとゲームを「する」
時間と体力が確保できない。
膨大なアニメとアイドルを推す
余裕と欲求が生まれない。
する事はまだまだある。
スマホを手から離してはいけない。
私達は忙しいんだ。
どれだけ疲れていても
楽をしなければいけないんだ!
オマケ
何十年も前・・・
中学の同級生が言ってました。
「 食べるのが面倒くさい 」
私は嫌なものを感じました。
今、疲れ果てた10代は
食事で咀嚼する力も残ってません。
トイレに立ち上がる事も辛い状態です。
入浴出来ないので
親に身体を拭いて貰ってる子もいます。
私は個人的に
オンラインで不登校体験者に
(今不登校と元不登校)
交流機会を提供しています。
そこでジレンマにぶち当たります。
彼らに何か「する」のは、本当に良い事か?
不登校は何もしなくても
膨大な何かを「しています」
彼らは両手に一杯、何かを持ったまま
重たいよ~
抱えきれないよ~
と呻いてます。
それでも手を伸ばし
何か掴もうとしています。
不登校体験同士が対話すれば
何かヒントを掴むかもしれません。
しかし、そのヒントを手に入れる
それもまた「 する 」なのです。
小さなヒントでも加わると
限界ギリギリの重さを
超えるかもしれません。
・・・行き詰まりますね。
息が詰まります。
TVで漫画家が話していたのは
作画に没頭すると息を止めるので
医者から注意しなさいと言われた。
芸術や真理というのは
神と人間の境界線かもしれません。
力をドンドンドンドン抜いて
どれだけ存在を消し漂うか?
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