「 不登校こそ可能性 」 雑記

昔を思い出し
不登校に関してヒントが無いかと
数十年ぶりに泳ぎに行ってきた。

知識や知恵を
言葉などの記号性表現で
頭に伝えるのでは「 なく 」

身体で染み込む理解にできるか?

「 アプローチは可能 」だと
一般とはちょっと違う泳ぎ方を
試しながら感じた。

起立性調節障害もしくは
様々な緊張性の身体症状に関して

「 療泳 」

というのをすれば
かなり改善する可能性がある。

① ダンス・パントマイム・ヨガの関節・筋肉の動き
② 水泳と古式泳法
③ 許された哲学(目的を捨てる思想)


これを組み合わせたのが
私が発案する療泳になる。

まあでも
実現は難しいかな~(;´Д`)


✿ サバイバルアート

昔、美術活動をやってて
現場にあるもので
アート作品を創るスタイル。

その場で創って
その場で解体すると
手ぶらで済むからw

しょうもない執着もないし。

今はアートなんて
恥ずかしいだけの言葉だけど

当時は若かったから
カッコつけたくてねw

でまあ
サバイバルアートと提唱した。

「 現場で何とかする 」
という作品表現なんだけど・・・

何もない空間だと
空っぽの冷蔵庫で料理が創れないと
気付いて。

大自然って様々あるけど
人工なんて実は何もない。

自然や世界に比べれば
社会ほど、つまらんものはない。


✿ 自分で何とかする

明石家さんまというお笑い怪獣の特番で
さんまの娘が中学生の時
「 学校が面白くない 」
と言ったら
「 お前が面白くしたらええねん 」
返したそうでw

まあ、当然に10代で
その意味が解るわけでなく。
その時は
「 何言ってんねん!?(´・ω・`) 」
と思ったそうだが・・・

時が経って
心に残ってる父親のエピソードとして
語っていた。

誰かのせいにせず
「 自分で何とかしようとする 」

ネットのカキコミで済まそうとせず
現場で何とかできないかとする

そうすると
出来る事と出来ない事に分かれる。

昔の喧嘩慣れしてる人は
身体のここは殴ったら死ぬから
やっちゃダメ!

というのを心得ていて。

「 素人が慣れへん喧嘩したらアカンで! 」

と言ったりする。


現代人達は
何とかしようとせずに
ただ罰する。

誰かに罪をかぶせるか
自分に罪をかぶせる。

無意識に自分を神と勘違いし
ジャッジする!
えげつない傲慢さ。

自らを自己肯定感が低いと
異様に高い自尊心で貶める。


幼少期に近代文明という
ゆりかごに拘束されて育ち

生きるという喧嘩を
してこなかったから
加減が解らない。

命に関わる急所を
誤って殴ってしまう。

誰かが悪いと言うか
自分が悪いと言うか
責任・権利・甘えとか決め付けるとこから
スタートしてばかり。



「 何とかしようとする 」
そして
「 何とか出来る時がある 」
そして
「 何ともできない事がある 」

元々、5歳を過ぎたら
そういう現実の体験を
自然から学んで・・・

更には生まれた瞬間から
幼い兄弟や親の死に直面して
たくさん泣いて悲しんで
何ともできない真実に
耐える力を獲得してきた。

私たち人類が
どんどん脆弱になってると
誰も気がついていない。




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