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ジュマンジ(1995)

90年代を代表する役者の1人にロビンウィリアムズがいる。私が幼い頃、この老け顔のおじさん役者は次々と大作映画に主演していた。コミカルな表情、早口のセリフにおどけた芝居。気づけば、コメディ映画に欠かせない存在となっていた。その後、彼は2014年に自らその命を絶った。

『ジュマンジ』で彼が演じたのは、子供のまま26年の時が止まってしまった主人公である。子供向けの作品なら、少年の姿のまま戻ってきそうなものだが、身体だけは26年ぶん成長している(つまり、ゲームの中のジャングルで26年の時を生き抜いてきたということ)というなかなか残酷な設定になっている。
このような子供向けの大枠と、シビアな表現の組み合わせがこの映画の不思議な魅力になっている。監督のジョー・ジョンストンは『スターウォーズ』で特殊効果を担当した特撮の名人であり『ミクロキッズ』『ロケッティア』という、これまた私が幼い頃に何度となく見返していた作品の監督でもある。今作でも特撮的素養は存分に発揮されており、特にライオンのアニマトリクスや家が破壊されるミニチュアなどは本当に素晴らしい。黎明期であった3DCGもふんだんに使用され、のちのCGI時代の到来を予感させる。(確か、当時のコロコロコミックかなにかのカラーページで特集が組まれていた憶えがある)

しかしその中で、どんな特撮にも負けない“30歳過ぎの男の子“を成立させているのは、ひとえにロビン・ウィリアムズの存在である。いかなる映画の中でも、彼の笑顔は普通じゃない。心から笑っている感じじゃないのだ。口元の端に、目元に、少しだけ気遣いが見える。諦めのようなものが感じられる。ピエロの目元には涙が書いてあるような、そんな不思議な役者なのだ。

不完全な大人の男。これがいつも彼に与えられる役柄である。
『ジュマンジ』では身体はおじさん、心は子供。先日観た『レナードの朝』では不器用で独り身の研究者。『ガープの世界』では人生に翻弄され、母に振り回される作家。『フック』では大人になってしまったピーターパンである。他にも、ロボットになったり、女装したり。

マッチョな父ではなく、常に所在なさげな不完全な男として現れる。この人の最大の特徴は、体と顔はめちゃくちゃおじさんなのに佇まいと表情が子供だというこのアンバランスにある。
彼は、大人と子供、現実と虚構のはざまに立つ男なのである。彼がいなければ『ジュマンジ』という映画の説得力と切迫感は成立しえなかっただろう。しかし、この映画を支えているその不安定な存在感こそがロビン・ウィリアムズ本人の抱える苦しみの表れだったことを私たちは後に知る。彼の笑顔の中にある気遣いや諦めは、演技ではなく本物だったのだ。


この映画はラストの描き方も面白い。ゲームをクリアすることで、失われた時間が補完される訳だが、いわゆる歴史改変的な印象にならぬよう気を遣って脚本が描かれていることが分かる。主人公はジャングルで26年苦しんでいた。相手の女の子はその事に苛まれ26年間の時が精神的に止まっていた。新たに現れる姉弟は事故で両親を失っている。それぞれ取り返せない喪失を孕んでいるキャラクター達という設定にすることで、それらを取り戻すことが「正義」として納得しやすいように描かれている。(この辺「バックトゥザフューチャー」だと、現在の家庭が貧乏で負け犬だから変えたいってのはどうなの?というところに気持ち悪さが残っていた)と、いっても「滅茶苦茶になったあの町はどうなったんだ?」とか思うところはある。※続編の『ジュマンジ・ウェルカムトゥザジャングル』ではこのラストの展開を、さらに納得できるものにする工夫がされていた。

90年代は娯楽大作映画の黄金期であったと再認識したのであった。その中で、ロビン・ウィリアムズが時代を代表する役者であったことは間違いない。

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