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ぎゃざがタノシイ


クリーチャーたくさん出して圧倒的な場を作って一斉攻撃して勝ちたい。

だけど、クリーチャーたくさん並べるデッキって、どうしても「クリーチャーたくさん並べる」ことにデッキのリソースやゲーム中の手数が割かれてしまい、最終目的である「一斉攻撃」に繋がらずに滅びることが多いような気がする。

これは僕の人生にも言えることで(楽しいことがあるとすぐに自分に引きつけて考えるしその流れで考えたことはすぐに言いたい)自分の準備というものを万端にしている時間が幸せなので、それの成果を試すタイミングはむしろ、一生来ないでほしいと僕は思っているのかもしれない。

要するに受け身なのだ。

時間なんて無限にあると思っていたから、一旦めしを喰べおわったワニみたいに一日中昼寝したり出来てたんだろうな。そうやって無駄なことをしながらぬくぬくと無為に過ごす時間を、まだ見ぬ自分の使命のための重要なことだと思ってたんだろうな。家にはこまごまとしたオモチャや読みもせぬカッコいい本などがどんどん増えていって、それに囲まれて嬉しそうによく眠っていた。

マイペースだと思っていた。中年になるまでは。大人になったらこれの成果が勝手に出てよく働いて、早く金持ちになってまたよく寝る生活になると思っていた。しかし中年になり、成果は一向に出てこない。

成人してからもマイペースにだらだらと自分の身の回りのことをああでもない、こうでもないと、自分が心地よいように心ゆくまで作る幸福な時間が運よくたくさんあったので、そればっかりしていた。しかし、理想的な自分の場を完璧に整える作業には終わりがないのだろうなということに、最近なんかだんだんうっすら気がついてきたような気がしないでもないのだ。

でもあのシュヴァルの理想宮だって、本人以外には誰にもわからないタイミングで完成したのだからそろそろなにか、完成のタイミングを掴むためのきっかけとか、動機づけみたいなものを

「タイミングとか言ってもそれは大量のお前が独りでやってた積み重ねが滑ったときに自分が悪かったわけじゃないと言いたいがための保険的な言い方でそれは結局お前の言い訳だからそれを外部の何かのせいにするのは良くないよねシュヴァルのせいとかにすんなよ舐めてんのか素人が」

という誹りを免れなくてもいいから、何かしらのタイミングで人知れず自分なりに完成するよね、発表したいよねと、まだ思ってはいる。

しかし、一斉攻撃の号令を自分でかける勇気はない。いつまでもかからないだろうな。だから今の自分にできることは、とにかくおれの運命の誰かを待って、お風呂に入り髪を乾かし歯を磨いてあったかい布団で寝てまた明日から自分の食い扶持を稼いで生き延びることだけ。

ハナシがヒヤクしたんだけど、雁首突き合わせて対戦するゲームって、盛り上がってる波にあわせて、真剣に長考してる奴に暖かいヤジを言ったりしてダラダラ引き延ばすのが最高に楽しいからそのために努力は惜しまないけど、盛り上がってるそのときにいわゆる「Show Stopper」になれたとしても、そのゲームを最高のタイミングで終わらせることができる人のことをホストとかオーガナイザーとかマスターとか呼ぶんだろうなと思った。それにはなれないよ〜…。

#mtg
#理想のデッキ
#ファンデッキ
#虐殺少女とネズミのデッキ

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