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除霊「生き霊返し(いきりょうがえし)」図解入り・象気功

霊の正体」でも解説している通り、霊というのはだいたいが死んでしまった人を、誰かの脳が勝手に想念として現した波動のかたまりである

脳が作り出した「勝手な想念」であるので、作り出した当の本人は知らぬことである。

誰かの脳が勝手に霊を作り出して、その辺の道路や暗がりや部屋などに想念の波動を霊として滞留させるのである。

同様に神社仏閣等に滞留する神霊のたぐいの想念もあるが、基本的には他の霊と同様に誰かの脳が作り出した想念の集合体である。

いずれにしても霊は誰かの脳が作り出した想念であるから、波動であり氣であるわけである。

氣は電磁波のたぐいの波動であるが、もちろん電磁波ではなく、ガスの固まりのような状態で滞留するのである。

脳は本人の意図とは無関係にあれこれやっていて、死んだものを知っている場合はその人を勝手に思い出して想念として作り出して、あちこちにその波動を滞留させるのである。

その滞留した氣が人によって見え方や感じ方が違って、渦に見えたり、黒いガス状のものに見えたり、光に見えたり、人に見えたりするわけである。

いわゆる霊感があるなんて言い張る人は、氣あるいはそのたぐいの波動に敏感なだけである。

あの世に行く前に恨みを残しているとかいないとかの問題ではなく、自分も含めて誰かの脳が作り出したいわば脳波による波動であるわけである。

それが時と場所を選ばず、あちこちにうろうろと所かまわず滞留するので、見える人や感じる人は怖い怖いと大騒ぎするわけである。

つまり他人の脳が勝手に作り出した霊はともかく、時には自分自身の脳が作り出した霊の姿に驚いて右往左往するわけであるので、事情を知っているあたしらはある意味大笑いであるわけである。

このように、自分も含めて誰かが本人の意思や意図とは無関係に脳が勝手に無意識下の想念としての地縛霊やら憑依霊やら浮遊霊やら背後霊やら守護霊やら神霊やら動物霊などをあちこちに勝手に作り出すのでめんどくさいわけである。

たとえば廃墟や病院やトンネルやホテルの部屋なんてところにも地縛霊を作り出して、それを見たり感じたりしたものが神霊スポットだのなんだのと勝手な名前を付けてネタにされたりすると、それに感応した不特定多数の誰かの脳が勝手に想念をさらに作り出すので収拾がつかないことになるのである。

しかし、その想念は、たとえば恨みつらみの念をもって死んだ人を想念として作り出したにしても、恨み憎しみの特定の方向性がないのである。

だから、マルチに通りがかりの人に取り憑いても、その人を具体的に恨んでるわけではないので取るに足りない負の想念である。

とにかく本人は死んでしまっているので、誰かの脳がそれをいわば想像上で作り出したものや、漠然とした恨みつらみの想念であるので、死霊の場合は取り憑いて殺すというような、巷間に言われるような大仰な霊障は無いのである。

もちろん、取り憑かれれば体調がすぐれなくなったりする場合もあるが、それでいきなり命に関わることは無いのである。

たとえば、処刑上で恨みを残したものが祟る話も、本人は死んじまってるので祟りようもなく、それを想起した誰かの脳で作り出した想念であるので、取り殺されるなんてことは無いのである。

しかし、そうではないものもある。

それが「生き霊(いきりょう)」である。

生き霊は生きている人の脳から直に発する恨み・つらみ・ね妬み・そねみの念の波動である。

その念が恨みのある特定の個人に向かって取り憑くので、死霊に比べて負の想念が格段に強力である。

その人の行いや言動で具体的に恨まれて、その当人に向かってピンポイントで恨みつらみ憎しみの想念となって取り憑くのである。

さらに相手を羨むことで生まれる妬みそねみの念が絡むと、殺したいほど憎くなるので、これが存外に強い負の想念となって取り憑くのである。

これが男女関係になるとこれはもう想像を絶する憎しみとなって取り憑くのである。

男女関係がこじれると、恨まれた方は恨みの念障をかぶり、恨む方は返り念障をかぶり、両者ともにろくなことにならないのは、ご経験あるいはご存じの通りである。

まあ、霊障の話だけにホラーのようになってるが、べつに怖がらせるのが目的ではなく、その解決法の解説である。

あたしら脳にバグが出て氣感が極限まで覚醒した者は、個人の発する喜怒哀楽の波動あるいは脳波を受けるのであるが、これがたとえばケガの痛みや、病気の苦しみの波動も受けるのである。

相手がたとえば手を骨折などの大けがをしていると、その痛みがそのままこちらに送られて、その部位がキンキンと痛むのである。

嘘のような話であるが、本当である。

脳にバグが出て、あれこれが見えたり感じたりするいわゆる霊能者になると、ものすごくめんどくさい人生を生きることになるのである。

つまり、対峙した相手の骨折した部位が痛みの波動を発して、それをあたしのバグが出た脳が受けてしまうということである。

霊能者なんてのんきなことを言ってる場合ではなく、氣感が極限まで達すると、相手の喜怒哀楽に相まって時には思考まで波動として伝わり、痛み苦しみ悩みも共有することになるのである。

つまり、個々の発する喜怒哀楽痛み苦しみ悩み等の念が手に取るようにわかるのである。

たとえば、人間は怒るとむ~っと怒りの念を発するのである。

つまり、電磁波のたぐいの怒りの波動であるが、これが刺すような非常に不快な波動である。

もちろん電磁波ではなく科学的に証明のしようもない氣の波動であるので、その波動を感じる時点で「む~っ」としか表現のしようもなく、通常では存在しない感覚であるので説明が困難であるが、まあ、む~っと感じるということである。

あたしの知人の大変な修行を積んだ大阿闍梨と言い張る某宗派の僧侶も、話していると、ちょっとしたことでむかっ腹をたててむ~っと怒り憎しみの波動を発するのである。

修行を積んだ者でもそのような具合であるから、一般人はこれもう年がら年中何かにつけて腹をたてて、む~っと怒りの波動を発しているのである。

まあ、ムカついただけでも「む~っ」と鬱陶しい波動を発するわけであるから、本気で殺したいほど相手を恨んで憎んだときの念の波動は言い知れぬ負のエネルギーが凝り固まって、その相手に向かうのである。

殺したいほど強い負の念の滞留したものが波動の固まりとなって個人に取りつくのが「生き霊」である。

さて、あなたの意図とは無関係に誰かに恨まれたり妬まれたりして、やっかいな生き霊に取り憑かれたときはどうすればいいのかということを、無謀なマントラ読誦による全身のチャクラ暴発でなんでも見えると言い張る天才霊能気功師象師匠が霊界通信のアンテナを駆使して解説するのである。


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