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いつものごとく落ち込んで、今までよりも前向きに


時間が経つごとに気持ちがちょっとづつ変わっていく。今時点での感想はちょっとまた変わったんだけど、すっとそれまでの気持ちでまとめたので、このまま出そうと思う。

タイトル画像は、敗者復活展示に出した作品
・チープさに悲しくなる
・試したかったことができていて、それがうれしい

@@ネガティブな感情

@落ち込みのピーク


2日間のイベントが終わった夜、いたたまれない気持ちで落ち込んでいた。
ちょっとしたことが発端になって、色んなことが良くなかったのでは?と嫌になっていった。

ひとことで言うと、
・雑な物を出してしまった恥ずかしさと、うまくできなかった悔しさと、周囲の凄さで劣等感を抱いていた。
・始まる前に、いっぱい楽しい思いがしたい。って思っていたのに、終わったとき辛い気持ちになってて悲しくなった。

@抜け出すための足掻き

$良かったことを思い出す。
とにかく、小さなことやイベントに関係ないことでも、楽しかったこと、うれしかったこと、良かったと思えたこと、感動したことなどを箇条書きで書き出してみた。
・お昼に食べた焼き肉はおいしかった。店のシステムがわからずにもたもたする自分を、嫌な顔せず親切に接してくれた店員さんがいた。
など。出せるだけ

何回かに分けて、お風呂の中や、トイレの中や、移動中や色んな場所で考え続けた。

$次に反省を綴っていった。
自分を客観的に見たり、普段から言われてる短所を考え直したり、人からもらった助言から発展させて、自分を見つめ直したりした。
・前の日普通に話せてたのに、翌日よそよそしく、距離を置いた話し方になりがちなことを反省。
など。気が済むまで
同じく、色んなところで考え続けた。

$そして、ぐっすり寝た。
反省を書き出してると、どんどんネガティブな感情に囚われていって、嫌な物を出してる気持ちに気付いた。

$嫌だったことを思い出して、書き出してみた
ぐっすり寝てすっきりした頭だったので、嫌な気持ちにも冷静に向き合えた。

お腹が痛いときや、吐き気がするときに、我慢するとかえって辛いことがある。いつまでも苦しさが続くことがある。
嫌なことを嫌と認めてしまうのは、とてもしんどく悲しい気持ちになるけど、これは毒なんだ。毒は一旦全部ださないと。って思った。

試作品を全部ばらしたところ、針金と材料の紙、約10体分

$素直に正直に、恥じること無く何が嫌だったのかを考えてみた。
・普通に話したつもりなのに、不機嫌そうに返され、邪険に扱われてるような気がした。
など。絞り出すように

きっかけは小さなことだった。そこから波及して色んな、足りない自分の劣等感に引火して、気持ちが落ち込んでいった。

$些細ないいところをきっかけに立ち直る
思うように行かなくて辛く切ない中でも、少しぐらいはいいことがあったはず。それは嫌なこととは無関係なこと。

些細なこと、小さなこと、当たり前に思えることがひょっとしてラッキーなことかも。いいことを思い出し、拾い集めた。
・近いジャンルの人と知り合えて、話しができたことがうれしかった。
・アート活動の人の輪に参加できたのがうれしかった。
・知らなかった面白い世界を知れてうれしかった。など。

自分の弱いところにネガティブな感情が重なると、そればっかりになって、何もかもが、自分のダメなところに起因してると思いがち。
でも、ダメなところはダメだけど、自分を否定するのは違うと気付く

@@ダメだった自分、良くするにはどうすべきだったか

@反省は何のためにするか?

同じ轍を踏まないため。次回に生かすため。自分を高みに導くため。できる自分になるため。できない自分をヨシとせず、改めるために見つめ返すため。

嫌だったこと、悲しかったことに浸るためではない。感情に押し流されて後悔や自己憐憫に浸るためではない。自分の星の巡りの悪さを嘆くためでは無い。

初期の試作品、紙の巻き付けがわりとゆるい

@ふりかえりの雑文

$対戦
そもそも、イベントの直前でこれやろうって思い付いた方法で、普段からやってることに、多少は関連あるけど、違うことをやった。
6月半ばくらいから、何やろうかを考え出して、月末くらいにやることを決め、7月になってからできるかどうかを検証をかねて練習した。

当初できると思っていたのができなくて、どうやったら完成させられるかを、一生懸命考えて、失敗を繰り返し経験を蓄積していった。
なぜ、それを選んだかについては、普段の活動を5分で形にするのは絶対無理で、舞台に立ったけど、完成すらしないって結果になるのが嫌で、目に見えていたので、何か完成させられる物を探して行き着いた。

誘われたとき、5分で仕上げるのは難しいことで、それをやる遊びのようなもの。だから、気楽に参加して。とのこと(あやふやな記憶です。)
5分だとギリギリ。なんとか形にするので精一杯。もっとやりたいことがあったけど、できなかった。

紙で作る表現は、自分的には面白い着眼点だと思えた。当初、木工用ボンド水溶液でやろうとしてたが、大量にボンドを消費するだろう資源とお金の浪費、その調合を事前にできるのか?、経過時間で接着力の低下や質の変化が懸念され、やらなかった。

イベント直前に、バトルの注意事項の案内が来て、舞台を汚さないように。と注意喚起があったので、木工用ボンド水溶液は試して無くて良かったと思った。

紙の食いつきが粘土に近ければ、もっと作りやすかったかも知れない。

インスタの情報とか読んでると、他の参加者は真剣な感じで、自分もきちっとやりたいって思った。
思ったけど残念な仕上がりにしかできなかった。

普段ネットに挙げてる自分の粘土の作品と比較して、チープな出来映えでイベントに対して敬意がないっぽくも見えなくもない。
そんなことを意識してしまう。そう思ったことも落ち込みにつながってる。

舞台に上がったけどやっぱり無理でした(自分自身が恥ずかしい)とか、直前にキャンセルします(組み合わせ決定後)ってのも対戦相手に失礼だし、やる以上は自分の中での目標を立てたかった。

今さら思うのは、そしたら参加自体をキャンセルでも良かったのかも。でも参加できたことはとても楽しいことだったので、キャンセルしなくて良かった。

感想
もっと別の手法で、もっとクオリティの高い物が作れるものを、自分の引き出しから探し出して挑めば良かったかも。なのでマイナス。

クオリティは低いが、自分的には面白い表現を見つけたと思ってるので、今後深めていけば、今はダサくても、いつかいい物ができるように思えるので、プラス。

5分は短い。立体造形でやれって言われたら、できるのもあるだろうが、できないのもある。絵だって緻密な表現や、写実的な描写とか、塗り込んだり描き混んだりする表現は、5分じゃ無理そう。
向き不向きの、不向きのほうだったのかもと思える。

でも、それでも敢えて挑むって姿勢は嫌いじゃないので楽しめた。

机に水滴が見える。紙は水浸しにして巻き付ける方法に行き着いた

$敗者復活展示
やはり時間が短かった。帰ってから作るのに時間がもっと欲しいと思った。許す限り遅くまでやったけど、うとうとしながらの作業になってた。

5分バトルで、骨組み組んで紙を巻き付けて肉付けして、その後に色紙貼って色を付ける。そこまでが本当はしたかった。でも、準備期間の間では、そこまでできる方法を見いだせなかった。

ずっとやりたかったことだけど、今回初めてやってみて、なかなかに難しく捗らない作業だと感じた。時短で効率良く仕上げる方法の試行錯誤もなく、地味に畑に稲を手で植えるかのごとくの作業だった。
時間ばかりかかって、自分では仕上がりは雑に見えた。

一方で、ずっとやりたかったことができたのでうれしい自分もいて、面白いとも思った。

やりたいことができたうれしさ、がんばってる自分を肯定したい気持ち、面白い表現ができたかもって思う気持ち、良いと思えるところだけ見るようにしていた。

翌朝の設営の手伝いに行きたい気持ちも強く、寝とかないといろいろメンタルに悪い影響出るからってことで、しぶしぶ寝た。
でも、2日目の終わり際、並べられた自分の作品見たら、あまりにチープで心が泣きそうになってた。
寝不足の悪い影響も少なからず出てたと思う。

初めから、整った物ができないことはわかっていたけど、あくまで楽しむための選択で、眠くてしんどくかったけど、やりたかったこと試せて、楽しむことはできてた。
見栄えを気にして、出さなかったらきっと後悔した。余計に後ろめたくなったと思う。

自分が楽しいのと、世の中に出してそれが楽しんでもらえるかのギャップをゼロに近づけることは、一番の課題だと思う。創作活動の。
そして時間。

使われなかった材料。色紙をシュレッダーで細かく切ってる

$物販
やりたいことがあった、やってみた、できなかった、何故?を客観的に考える

・メニューのないレストラン
どんなことができるのか見本があったほうがいいと思う。そう言われた。当日その場で。
レストランに行けばメニューがある。写真入りとか文字だけのとか。
文字だけでも伝わるのは、それがだいたい何かが分かってるから。
写真を添えるのは、より欲しくなるように。

自分のブースには何も無かった。

・縁日の飴細工
常にではないけれど、柔らかくなった飴を使って形がどんどん整えられていくのを見れると、楽しくて見れてうれしい気持ちになったことがある。
手品グッズを売る店では、やはり時々、手品の実演をやってくれる。見れたらラッキーって思う。そして食い入るように見て、驚いて楽しむ。そして、その手品グッズ欲しいなとか、自分でもうまくできるかなぁって思う。
ショーほどではないけれど、興味を引くための見てもらう要素は必要なんだとふりかえる。

自分はただ何もせず座ってるだけだった。

・心構え
暇そうにただ座ってるだけ、それが勿体ないって思えた。気持ちが濁っていく感じがした。流れる小川の水は澄んでいるのに、流れない池の水はどんどん濁っていく。そんな感じだった。

見本を用意した方がという助言もあり、作り始めた
作ってると夢中になれて、周りが見えなくなった。撤収の案内が来て時計をみると、もうこんな時間!って思った。
作り始めてからは、時間の流れがあっという間だった。

朝は4時台に起きてる。朝ご飯は5時台に食べてる。始まってしばらくすると空腹感に気持ちがもってかれる。加えてノドが乾く。

朝8時に入った。設営のお手伝いをして、10時過ぎぐらいにようやく時間を意識した。そろそろ始まるのか?

お酒飲んだら余計に水が欲しくなる。みんなどうしてるんだろうと思う?
人目を気にして持参したペットボトルのお茶も、気軽に飲めない。
外に出て、もどってくるのに600円かかるのをケチって、お昼も行かずにただ座ってる。

そういえば、自分の出番っていつだろう。対戦を見て、物販に戻り、また対戦を見て、戻りを繰り返す。

主体的な目的を持つようにすれば良かった。

・まとめ、
何のお店かアピール不足
自分だけしかわかってなかった。自分すらもどこまでできるかわからなかった
伝える努力をしなかった。売る気のない店屋みたいな状態
商品の展示すらなかった。無いものを売るなら、その方法を調べて学ぶべきだった。やってない。
来るのを待ってるだけだった。多分全ての活動で生かせる教訓

自分自身何ができるかわかってなかった。
依頼があったらその場で考えようってスタンスだった。
何ができる、どんなバリエーションがあるって把握してれば、そっから展開できたかも知れない
せめて、初日やってた思いつく物を作り続ければ良かった。

でも、対戦も見たかったし、中途半端。どっちつかず。

@学べること

恥ずかしさ、悔しさ、劣等感。に向き合う。
今回、自分の作った物が雑で恥ずかしかった。でもそれは手を抜いて雑になったのでは無く、やれるだけやったけど、雑にしか作れなくて悔しかった。

絵がすごく見えたのは、自分が絵を描くのが苦手なのと、見応えがあったから。目の前で、5分の間にできてしまう手際の良さに見とれたから。
実際どの絵もすごいと思ってる。

踊りながら描いていたり、手のひらで直に描いたり、絵の具を投げつけたり、とても楽しんでるように見えたから。それは心に余裕があるように見えたから。

自分も違う質の楽しいだったかも、は持っていたつもりだけど、やっぱり5分で形を整えられないかも、って不安があった。そして作品をつくるというよりは、製品を作るみたいな、感じだった。心の余裕がなかった。

作品って、一定の基準(が何かはわからないけど)以上の物を自分なりの解釈で表現できてこそ。みたいに思うので、その自分なりができなかったのが、残念。

そうなってしまうのも、作る量が回数が、少ないせいだろう。
5分で絵を描くのだって、それまでの時間で何時間も描いてるから、描けるのは、想像しなくても分かること。
色んな筆や画材を使いこなすのだって、数をこなしてるから。何かひとつのことをやりこめば、応用が利いて他もできるようになると思う。

やる気を起こして、繰り返しやっていけば、いつか今回の手法でも、心に余裕を持って作れるようになれるかも。ってちょっと思う。

@忘れてたこと!

雑な物を出してしまった恥ずかしさと、うまくできなかった悔しさと、周囲の凄さで劣等感を抱いていたが、ブログには、始まる前から準備が楽しいって書いてるのを発見!それ忘れてた。トータルでプラス

終わってから2日たって、その気持ちになれた。

嫌な感情に気を取られすぎて、楽しいことが思い出せなくなってた。それに気付けて良かった。
ネガティブな感情から、徐々に立ち直る中で見つけられた気持ちで、さらに前向きになれた。

試行錯誤の成果が、このシンプルな骨組みにいっぱい詰まってる


@@巡り合わせを考える

@運のようなものを考える

なにかをやろうとすると、ことごとく邪魔な用事が入り込んでうまく行かないことがある。
逆に、ものごとがトントン拍子に進んで、都合のいいように人の縁があったり、無理だよってことが可能になったりすることがある。

今回の誘いは、初めて本に作品が載って、それを見たって人からの誘いで、世界が広がっていく体験をしてる気がした。
何か、また次も体験や人の縁で広がりがある展開があったらいいのに。って望んでしまう。

だから、ネガティブなことばかり考えてると、運を逃す気がするので、いいことをいっぱい探そうと思った。

@なぜ、声をかけてもらったのだろう?を考える

$なぜそんなことを考えるのか?
ライブペインティングって面白いなぁ、その対戦って面白いなぁって知れて良かった。
そんな面白いものに出会う縁があまりなかったので、その偶然に感謝したい。

主催の方は、募集をかけるタイミング的にたまたま、本があったから、そこからもって選んだのかも知れない。
都合良く本に目が留まって、自分の作品が目に留まって、なぜだか分からないけど気に入ってもらって。

もし偶然じゃなく、自分のこれまでの考え方や行動の結果に何か関係があったとしたら、それは何かな?って考えてみたいと思った。

$自分が、主催する側なら?って考えてみた
相手のことは作品以外一切わからない。そんな人に何故声をかけたのだろう?

やろうとしてる興業?に合う内容か?、ってことかな?魚屋をやるのに、魚の横に油まみれの機械の部品を横に並べたりしない。
刺身のつまのような物、一緒に並べる料理やお酒を置きたいなって思うのかも知れない。宴がより楽しくなるように。

お酒や、他の料理が、さしみばっかりのところに一緒に並べられて、形見が狭い思いをするだろうか?、しないよな。それで良かったはずだ。

$一定の基準までに作品が上がっていたから?
あるのかないのかわからないけど、一定の基準までは、作品の出来映えが上がってきてるのかな?ってことにしておこう。

休んだり立ち止まったり、前に進まず横道にそれたりしながらも続けてきて良かった。
選んでもらった作品たちじゃない物を出してしまったことが、心残り。
でも5分じゃ無理だし。いい方法はあったのかな。難しいね。


_202207220431


追記:20220724
対戦動画がアップされていたので、載せておきます


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