見出し画像

雑司が谷散人の街道遊歩 0775

日光街道 1日目-11 2019.5.4

日光街道旧道右手に五福堂印房。
もとはヤマダヤ洋品店で、看板がまだ残っている。

五福堂印房

日光街道旧道は水戸街道との分岐点へ。
右手に「東へ旧水戸佐倉道」と刻まれた道標が立つが、これはレプリカのようで、往時のものは足立区立郷土博物館にあるという。
「佐倉道」は水戸街道の新宿から分岐した佐倉街道。

水戸街道との分岐点

水戸街道との分岐点の少し先には、下妻街道との分岐点がある。
「右旧下妻道」とあるが、千住宿から直進するのが下妻道で、左へ曲がるのが日光街道。
下妻道は野田、水海道、下妻、下館を経て喜連川で奥州街道に合流する。

下妻街道との分岐点

下妻道沿いに整形外科の名倉医院。
「名倉」は骨接ぎの代名詞で、今も全国に広がるが、江戸中期に千住に住んだ名倉家が接骨院を開業したのは明和7年頃。
最盛期には関東一円から集まる患者で街道が大混雑したといわれ、近辺には患者の宿もあり、そのうちのひとつ「金町屋」の建物が近年まで残っていたが、今は無い。

名倉医院

下妻道との追分を左へ折れて千住宿を後にした日光街道旧道は、すぐに荒川の土手で道が消滅。
荒川の正式名称は荒川放水路で、大正2年から昭和5年までの17年の歳月で完成した人工河川。
放水路開削で旧道は分断され、対岸へは国道4号の千住新橋で渡る。

荒川放水路

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?