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雑司が谷散人の街道遊歩 0678

下田街道 3日目-09 2019.1.22

海鼠壁は蔵造りの建物によく見られるが、下田では家屋に多い。

海鼠壁の家

嘉永7年、安政の大地震による大津波が下田を襲い、市街地の家屋は大半が流失。
僅かに残ったのが海鼠壁の蔵だったことから、海鼠壁を使った家屋で下田の復興が進んだという。

海鼠壁の家

圧倒的な海鼠壁を見せる、廻船問屋の鈴木家「雑中」。
下田を代表する海鼠壁の屋敷。
文政元年の築。

廻船問屋の鈴木家「雑中」

「雑中」の蔵も、これでもかとばかりの海鼠壁。
手前の塀は伊豆石で、独特のまだら模様が美しい。

「雑中」の蔵

海鼠壁と伊豆石の家は、加田家。
およそ100年前の築で、曳家で移築保存されているもの。

加田家

鉢植えと海鼠壁との相性も美しい、石原家。

石原家

海鼠壁の民家の後ろに、寝姿山。
下田のランドマークでもあるこの山は、遠くから見ると女性が仰向けに寝転んでいるように見えるという。

海鼠壁の家と寝姿山

一丁目の街並みを抜けると、稲生沢川の河口部へ。
この先が下田港。
江戸期は江戸と西国を結んだ船の寄港地であり、ペリー来航後の嘉永7年に締結された日米和親条約により、函館とともに日本最初の開港となったのは、周知の通り。

稲生沢川の河口部

稲生沢川の河口部に架かる、みなと橋。

みなと橋

東海道三島宿からの下田街道の旅は、ここで終点としたい。
延べ3日で、大仁、修善寺、天城トンネル、河津七滝、小鍋峠と伊豆半島を縦断してきた旅を終了。
伊豆急下田駅から帰路へ。

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