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なりたい自分

人生50年も生きていると、様々なことが見えてくる。
人の話すことや、その裏に隠れていそうなことも。
職場でも、そう。
数年前会社が買収された時にも、親会社との最初のミーティングで、私は、この会社にハッピーな人はいるのだろうか…と、なんとも不穏な空気を感じていた。

それまでの私は、それなりに満たされていた。
ひとり親として2人の子供を育てるのに苦労は尽きないけれど、当時は珍しかったフルリモート勤務の会社のお陰で、ひとり親に不足しがちな『時間』がある程度確保できていたからだと思う。

仕事はもちろん、真面目に一生懸命頑張る。
フルリモートでも、社内コミュニケーションツールを通じて、世界の同僚とちょっとしゃべくったり、時にはチームキャンプで顔を合わせたり。
勤務時間終了と同時に、『母』に戻る。通勤がない分、家族との時間はしっかり取れていたと思う。

企業買収から数年、私はこの暮らしを守りつつも、最初に感じた不穏な空気が間違いではなかったという思いを深めていった。小さい会社なので、親会社の影響は大きい。
どうして、スグに辞めなかったのか?
もしかしたら私が頑張ればなんとかなるのではないか…そう思った。
そして頑張っては、不穏な結果に終わることを繰り返した。だんだんとモチベーションは減少し、あきらめに変わっていった。
でも、あきらめて生きていくのは、#なりたい自分 ではなかった。

ある程度家族時間が取れるとは言え、私の毎日は笑っちゃうくらい充実の極みだ。
その隙間に、私はようやく『転職』をぽとりと落とした。その一滴が想像よりも濃かったのか、落とされた水面のほうが変化を待ち望んでいたのかはわからないけれど、ネイビーのひと粒はあっという間に大きく広がり、私を支配した。

50歳で転職する?
考えたこともなかったけれど、考え始めれば、フットワークの軽い私のこと、関連情報を調査して、自分の考えをまとめた。

現職は、フルリモートだったから、選んだ。
当時、まだ小さかった子どもたちが義務教育期間は、できるだけ傍にいようと思ったからだ。とにかく、子供第一だった。
今は、どうか。
下の子は中学に入ったところだ。やっぱり、まだ、フルリモートを選びたい。

でも、今度は、仕事の中身を選びたい。
私が #なりたい自分 でいられる仕事をしたい。

学生時代にはまだプログラミングなんて授業はない時代だった。でも社会に出れば、職場にはパソコンがあり、私はその扱いに戸惑うことはなく、同僚に教えたり、より使いやすいものにしたり。
時を経て使う『ソフト』が『ツール』や『アプリ』になっても、本職の隣で、いつもプログラミングを行ってきた。そして実は、それが楽しくてたまらなかったのではないか。

時代を追い風に、私はプログラミングスクールへ通った。
社会人経験はたっぷりある。事務職経験も。でも、プログラミングの知識は独学。だから、自分のレベルが知りたかった。でも、スクールで分かったのは、自分がどれだけこれが好きかということだった。そして、この時代、エンジニアの知識はどれだけあっても天井はない。必要なのは、やる気と取り組みに必要なことを調べて進める力なのだ。

スクールを終了し、私は履歴書や職務経歴書を準備した。
人生が長い分、長い長いものだ。
でも、エンジニア転職で大切なのは、ポートフォリオ。そう思って、今はポートフォリオの準備に励んでいる。

『これから、どんな人々と出会い、どんな仕事ができるのかな』
#なりたい自分 に向き合う私は、とても前向き。明るい空色だ。
スキマ時間にしか転職活動を進められないのは辛いけど、#なりたい自分 に向かう作業は苦にならない。そういうものなのだ。

なりたい自分 with ヒューマンホールディングス https://note.com/info/n/n4376f44962a1


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