校則一揆と名付けなくても。

 黒髪じゃなきゃいけない。

 下着は白じゃなきゃだめ。

 ブラック校則と呼ばれる理不尽な校則へ、もの申す声がツイッターの#先生に届け に投稿されている。

 耐えて忍んで時間が過ぎるのを待っているだけより、言葉にする分、前に進んでいるのだろうと思うけど、校則変えちゃえばいいのに、と思う。

 校則って、だいたい、始業式に毎年配られる生徒手帳に全文が載っている。
 全文、読んだことある?

 私は、中学生の時、活字中毒で、目に入る文字はすべて読んでいたので、中学生になり、初日に教室で生徒手帳が配られると、先生の話を聞き流しながら、全部のページに目を通した。

 国民の休日
 今年のカレンダー
 
 ほかにもなんだかいろいろ載っていた気がするが、とにかく最後に校則が載っていた。

 服装に関しては、昭和っぽい内容が一応載っていた。けれど、入学式で見た先輩たちの姿を見る限り、厳しい取り締まりがないことは明らかだった。

 「ふーん。校則って形だけかー」

 そんな風に思った。

 

 中学2年の秋、生徒会の副会長に立候補した。
 本当は生徒会長に立候補したかったけど、やめた。(それはまた別の機会に)
 副会長になった。

 公約に掲げていた「意見箱」を早速、廊下に設置した。江戸時代の将軍が作った「目安箱」を参考にした。

 意見箱に入った意見は、毎週月曜に開かれる各委員会の委員長が出席する役員会で私から、担当分野の委員長に手渡した。各委員会で検討し、回答をお昼の放送で流した。

 当時、くるぶしソックスが流行りだしたばかりで、校内カーストで上位の人だけ、着用が見逃されていた。口うるさい体育教師の体育の授業では、目ざとく見つけられ、小言を言われていた。

 なんかやだなーと思っていた。

 そして、私は知っていた。

 校則には、靴下に関して、記述がないことを。

 だって、くるぶしソックスなんて、学校が始まったときにはないもんね。

 先輩たちのころに流行ったルーズソックスも、3年生になれば履いていい、ぐらいのゆるい感じだったから、ある意味教師が、というより、生徒同士の自治だったのかもしれない。

 で、私は意見箱に投書した。

 「くるぶしソックスはなぜ、体育の授業で履いてはいけないのですか。」

 ちょっと後ろめたかったけど、副会長であるまえに、私も生徒のひとりだ、ということにした。

 自分で回収し、服装とかの担当っぽい○○美化委員長(委員会の名前忘れた)に、「よろしく~」と手渡した。仲のいい男子だったから、文字で書いたのが私だとばれたかもしれない。

 数日後、お昼の放送で

 「くるぶしソックスを履いてもかまわない」と判断しました、と委員長は発表した。

 密かにガッツポーズした。

 グレーゾーンなことが、権力を持っている人にしか許されない状況が嫌だった。

 徐々に、下級生にも、くるぶしソックスを履いている人が増えた。

 生徒会を引退した後の体育祭でも、いじめっ子だけじゃなく、教室の片隅いるような素朴な子も、ださい白ソックスではなく、くるぶしソックスを履いてプレーしていた。

 今も当たり前のように、母校ではくるぶしソックスを履いているだろう。

 時代の変わり目には、摩擦が起こる。

 どうも、細かい校則は昔からある、というよりも、ここ数年増えているようなので、学校の統廃合に乗じて、大人が決まりを増やしている気がするが、それでも決まりである以上、最後の条文には、「校則を変える方法」が書かれているはず。

 理不尽だと感じることが、条文の変更が必要な内容なのか、それとも条文はそのままに解釈変更だけでいいのか。そもそも、校則で決まっているとみんなが思っているだけで、私のくるぶしソックスのように、記載がない場合もあると思う。

 いずれにしても、決まりは秩序を作り、集団生活を円滑にするために定めているもの。不都合があれば、変えればいい。むしろ、変えないとおかしい。

 それが、民主主義だ。

 さぁ、まずは生徒手帳を開いて、校則を読んでみよう。

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