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あだ名

レモン味のカップ麺を見つけて食った。結構好きな味だが、奇をてらった味は長続きしないんだろうな。あくまでも主観だが奇をてらったカップの麺初代はカップヌードルチリトマトだと思う。

中学の部活帰りにカップ麺は定番だった。カップ麺に駄菓子を食っても、家に帰ればどんぶり飯三杯は食っていたころの話。「チリトマトて何?」、興味津々でみんなで食って、俺以外は「変な味」「不味くはないが次はないな」だった。俺は心の中で「意外と好き」と思ったが口にはできなかった。好きと言ったら次の日からあだ名は「チリトマト」になりそうだからだ。

高校を卒業して入った会社では初日から「まさやん」と呼ばれた。以後40年近くまさやんと呼ばれている。初対面の人にも「なんかまさやんっぽい」とよく言われる。俺って本当にまさやんなんだろうなと我ながら思う。

若い時は問題なかったのだが、厄年を超えたころから男性からは「まさやんさん」やら「まささん」と言われ始めだした。「まさやんでええよ」と言ってもなかなかすんなり呼んでもらえない。それに引き換え女性からはすんなりと呼んでもらえる。男は学生のクラブ活動の縦社会が心理の深いところまで刻まれているのか、なかなか年上をあだ名で呼ぶに抵抗があるように思われる。

オリンピックの委員長を辞めたあの方をはじめ、日本は年上にものを言いにくい文化というか国民性なんだろうな。だから世界でも有数の効率が悪い生産性を誇ってしまうのだろうと思う。

かつて幸之助さんがアメリカの工場を視察した時に年下に使われている工員さんに「悔しくないのか」と聞いたら「彼は優れているから彼の言うとおりにやったらうまくいくんだ」と笑顔で答えられ、この国と戦っても100年は勝てんなと思ったと聞いた。実力社会が根付いていることに異次元の驚きを感じたそうだ。

そこから100年足らず経つが、アメリカに近づくどころか新興国にも生産性で見劣りするようになった日本。いい商品やサービスを生み出すより、年配に気を使うことに汗をかいているような気がする。

まずは若者が年上をあだ名で気軽に呼べるような世の中になれば、生産性が上がるのではないか。忖度や根回しに費やすエネルギーを直接「生産」に使えば向上は間違いないのではないか、とレモン味を食べながらしみじみと考えるのであった。

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最近はチリトマトをちょこちょこ見かけるようになったが、なぜか手が伸びない。今度買ってみようかな?


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