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マンジャーレ・カンターレ・アモーレ 自分の人生を豊かにするデザインは?②

Q5帰国されてからのキャリアについて教えてください
イタリアから帰国してから就職先を探しました。ただ、帰国のタイミングと一般的な就職活動の時期が合わず、そうこうしているときに鈴木さんからお声がけいただいて、鈴木さんの会社に行くことになりました。

そこから2年くらい経った時、当時はもっと大きい会社で働いてみたいという気持ちがあったので、それを鈴木さんに伝えたら理解していただけました。退職して別の会社で働くことになったんですが、その後も鈴木さんとの関係は持続していました。そこを辞めて静岡で独立したいと相談したら、それならうちで役員としてどうかと言っていただけたんです。一度やめた人間を役員として再び迎え入れるという(笑)、とても面倒見の良い方なんです。辞めはしましたが、この人とは一緒に仕事がしたいという気持ちはありました。僕の中でいちばん裏切ってはいけない人ですね。
 
Q6大きな会社で仕事がしたくて、いったんは転職したのですよね。どうでしたか?
以前のdilight(鈴木さんの会社)から転職したのは、大企業での経験や、ノウハウを学ぶことが目的でした。でも実際に働いてみたら、自分は大きな会社に向いていないと分かったんです。大企業の担当者って、ユーザーではなくクライアント方の社長の方しか見ていない人がいる。こういう仕事の仕方は違うと思いました。
 
また、当時自分がデザインした仕事が品川駅の構内に大きく掲示されたこともあります。でも、そのときあまり、ときめかなかったんですよね。こんなもんか、と思いました。その時、あらためて自分にとって仕事の価値観は、大きな仕事をすることではないと気づきました。多くの人の目に触れるとか、お金や話題性も違う。ビジョンに共感できる、好きな人と仕事をしたい。そちらのほうが自分にとっての優先度は上だとわかりました

Q7それで会社を辞めて、今の拠点である静岡へ移住される決断をされたのでしょうか?
実は新型コロナウィルス緊急事態宣言が出る前に、静岡に「プチ疎開」していたんです。リモートだったらどこにいても仕事できるので。もう会社を辞める気で、「副業にもっとコミットしたいので、出社時間も給料も7割にしてください」と申し出たら、まさかOKが出た。なのでやめると言えなくなってしまいました(笑)。でもしばらくして副業の比率が多くなってしまったので、会社を退職することにしたんです。

ーー会社をやめることへの躊躇は?
あまりなかったですね。当時から副業の収入もそこそこあって、本業の3分の2くらい稼げるときもありました。共働きだし、経済的な不安はあまりなかったです。そんなとき、鈴木さんから声をかけていただきました。

静岡は自分が生まれ育った地元で、自分は地元が好きです。美術系の大学に通うため東京に行きましたが、本当は地元から出たくなかったです。静岡の魅力は、のんびりしているところですね。東京はみんな急いでいるじゃないですか。山手線に乗るために走るとか意味わかんない(笑)
東京にも刺激や学びがあるので行きます。でも拠点は静岡。気候が良くて住みやすいところも魅力です。

ーー静岡とイタリア、感覚的に似ているのかもしれませんね
静岡には、いいものがたくさんあります。それなのに、伝え方が下手で広まっていないところがあると思うんです。プロモーションやブランディング・マーケティングの分野で自分が活躍できると思いました。

キャリアの変遷の中でも鈴木さんとのご縁を大切にされてきた小林さん。次回は小林さんにとっての「デザイン」や今後やりたいことをお伺いします!

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