大縄跳びにトラウマがあったわたしが、「SexyZone channel」ダブルダッチ回に救われたお話

当たり前の優しさに救われること

わたしは大縄跳びが嫌いだ。大人数で跳んでいるとき、誰かが引っかかったときのあの気まずさ、周囲の冷たい目、連帯責任という文化自体が酷く怖くて、苦手だった。今日はそんなわたしが SexyZoneの過去の冠番組「SexyZone channel」の大縄跳びの回で救われた話をしようと思う。

わたしが大縄跳びを苦手になったのは遡れば幼稚園のころだった。昼食後、5〜6人で大縄跳びを10回クリア出来たグループから校庭で遊ぶことが出来るというノルマがあった。わたしは運動神経が悪く、いつも引っかかるので毎度グループの子に白い目で見られて肩身が狭かったのを覚えている。緊張するのでまた次も引っかかって、周りの子達を苛立たせて、そんな自分が惨めで。そのノルマがどれだけの期間あったのかは覚えていないけれど、わたしはそこで完全に大縄跳びとグループ競技が苦手になってしまった。ちっぽけなことと思われるかもしれないけれど、その頃のわたしにはその狭い世界が全てだったのだ。

その後、大縄跳びをなんとか人並みにできるようになっても、自分が引っかからなくなっても、誰かが引っかかったときのあの空気感、「引っかかったの誰?」という何気ない一言、全てがどうしても怖いままだった。高校生になってなお、大縄跳びに始まり、バスケ、ドッジボール、自分のミスが周りにも影響する競技への恐怖感が拭えることはなかった。

そんな折、わたしはSexyZoneの5周年ベストアルバムに収録されたSexyZone channelのダブルダッチの回を見た。ダブルダッチという、大縄跳びをより難しく進化させた競技にSexyZoneの5人が挑戦するという回だ。

曲に合わせてそれぞれに技が割り当てられていて、全員が成功しないと曲が完成しないのだ。ダブルダッチの技はとてもハードで限られた練習時間で完成させねばならないこともあり、一筋縄ではいかない。ロケの時間には限りがあるから、時間内に成功できなければそれで終わってしまう。焦らないわけが無い。あとちょっとでできるというところでミスしてしまうメンバーもいた。それでもSexyZoneは誰一人一度たりとも失敗したメンバーを責めなかったし、気まずさと罪悪感を抱かせるような空気感も出さなかった。この手の競技にトラウマがあるわたしでも、一切共感性の焦燥感や罪悪感、気まずさを感じることがなかったのだ。

あぁ、このひとたちはなんて優しいんだろうと思った。SexyZoneを好きになって半年ほど経った今では、5人が本当に優しいことを知っているので、"当たり前"の行動だったのだとわかる。あの場で誰ひとり責めなかったこと、「焦るな、楽しんでいこう」と言ったこと、ミスを謝るメンバーに「誰のせいでもない」「大丈夫大丈夫!」と答えたこと、全てがきっと彼らにとっては当たり前で。意識した優しさですらなかったのだと思う。けれど、がんじがらめの劣等感を抱えたわたしにとっては、そのひとつひとつが救いだった。あの日、ダブルダッチを成功させた5人は、確かに過去のわたしを救いあげてくれたのだ。勝手な話だけれど、ほんとうに嬉しくて、アイドルがひとを救うというのはこういうことなんだとテレビの前で感慨に耽ったことはきっといつになっても忘れないと思う。

今でも体育で大縄跳びをやると、時折緊張感が走る。幼少の砌のコンプレックスは根深いので、引っかかるひとを見るとどうしても「そちら側じゃなくてよかった」と思ってしまうし、うっかり1回でも引っかかると次から心臓がバクバクしてどう跳んでいいかわからなくなりそうになる。そんなとき、わたしはダブルダッチ回の5人のことを思い出す。そうすると少し心が凪いで息がしやすくなるのだ。あの日のSexyZoneを思い出して、なんとかわたしは今日も跳べているのだ。

最後に。どうか当たり前の優しさでわたしを救った5人の未来が明るいものでありますように。それだけを願って。おやすみなさい。




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