『耳』
葉山の文学シリーズ その3
今回は、ジヤン・コクトウ作、堀口大學訳の詩『耳』(oreille)です。
1892年(明治25)1月8日。東京の本郷で、堀口九萬一(くまいち)の長男として生まれた大學は、4歳の時に母を亡くしました。19歳になると外交官の父の任地の、ヨーロッパや南米などで10数年をすごし、33歳で帰国。フランス近代詩人66人の訳詩集『月下の一群』を刊行しました。
私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ
大學は晩婚で、47歳でマサノ(19歳)と結婚。1953年(昭和28)に葉山堀内に居を構え、作詩、作歌やボードレールの『悪の華』の翻訳、評論・随筆など、膨大な著訳書を執筆。こよなく家族を愛し、葉山の海や花を愛し、晩酌を楽しみました。また多分野の文化人と親しく交際し、尊敬され人柄を愛された堀口大學。
87歳で文化勲章を受賞し、喜びを爆発させた2年後の1981年(昭和56)3月15日、葉山の自宅で逝去されました。享年89。遺作の数々は、葉山図書館2階の「堀口大學文庫」に展示されています。<※詩、人名表記は初版(1925年)に依拠>
2003年の開園時より、貝たちとは「割らない」「塗らない」「削らない」と固く約束して制作しています。園長
<貝の配役>
★ウサギ:トミガイ/スガイ/サクラガイ/コウサギガイ/タモトガイ/ヒメカノコ 他
★リス: チャイロキヌタ/ハナビラダカラ/シマメノウフネガイ/スガイ/ウノアシ 他
★サル:アマオブネガイ/スズメガイ/フジノハナガイ/スガイ/ハツユキダカラ 他
★貝の殻:ボウシュウボラ ★砂浜:ホタテガイ
☆ジヤン・コクトウ(ジャン・コクトー)
1889年、フランス生まれ。詩人、小説家、劇作家、映画監督として活躍し、ピカソやモディリアーニ、藤田嗣治などと交流。1936年に来日し、堀口大學の案内で相撲や歌舞伎を鑑賞。1945年、映画『美女と野獣』を監督。1963年逝去。
☆園長が、今でも歌える母校・葉山小学校の校歌は、作詞 堀口大學、作曲 團伊玖磨(昭和27年制定)。子供の頃から大學さんは、偉大ながら隣人感覚の存在でした。
☆御用邸近くの「葉山しおさい博物館」入口。ホラガイの横に「耳にあてれば”しおさい”がきこえます」との説明書があったのを、思いだしながら制作しました。
☆参考文献:『月下の一群』堀口大學(岩波書店)/『虹の館』堀口すみれ子 (かまくら春秋社)ほか