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禍話リライト「病院の彼女」



「90年代の、終わり頃の年の話なんですけど」



 当時大学生だったAさんは、夏休みのある晩、友人や後輩と共に廃病院を訪れていた。
 その病院は、関東の肝試しスポットとして学生間で有名であったそうだ。
 広い駐車場に車を停め、ぞろぞろと男ばかりが降りてくる。勢いに任せた肝試しだ。

「肝試しとか別に興味ないっすよ」
「ヤバそうならすぐ帰ろうぜ。カメラ、よろしく!」
「はい……」

 この時代はまだ携帯電話の普及が一般的でなく、写真を撮る際はもっぱらインスタントカメラを持ち歩いていた。乗り気ではない後輩のBにカメラを任せ、一行は1階、2階へと進んでいく。内部は広く、とても荒れており、注射器やカルテがそのまま放置されているような環境だったらしい。
 4階にたどり着いた頃である。

「あれ? 鍵かかってるわ」

 405号室の扉が、固く閉ざされていた。隣の403号室――404を避けたのだろう――までの扉は、特に問題なく開く。ここが1階なら、隣の部屋の窓から窓へ入って鍵をかけることもできそうだが、4階でそういういたずらを行う輩もいるとは思えない。一行は薄気味悪く思いながら、各々で面白い場所を見つけようと分かれて散策することにしたという。

 あまり時間も経たないうちに、駐車場にちらほらと仲間達が戻りはじめた。だが、一向にBだけが戻ってこない。現代なら、すぐに電話すればいい話だが、手頃な連絡手段もない状態では、帰ってくるまで待つことしかできなかった。
 しばらくして、遅れてすみませんと、Bがヘラヘラ笑いながら戻ってきたという。多少心配ではあったが、なにか怪我をしているとか怯えているだとか、そんな様子は見られない。迷子にでもなったのか、と聞いても、何故か適当にはぐらかされてしまったそうだ。


 それから1週間程度経った頃である。Bから、ある封筒が届いた。
 どこにでもあるような茶封筒。切手が貼られ、速達と赤い印がおされている。宛先には、自身の住所と名前が正確に書かれているが、いつものBの筆跡からは考えられないほど乱れた文字だ。中には手紙も何もなく、ある写真が1枚だけ入れられている。
 あの廃病院の、上の方の階から自分達を撮った写真だ。暗く、なおかつひどくブレている。車のライトが付いているおかげで、なんとかあの日の自分達であるとAさんは理解できたらしい。
 確かに、Bはカメラを持っていた。持っていたが、こんな写真を何故撮影したのだろうか。心霊写真が撮れたという話題のためならまだ理解できる。特段写真に変わったところはみられない。仲間内で確認しあうと、写真はあの日集まったメンバー全員のもとへと送られているとわかった。Aさんの家は、Bさんの住むマンションの目と鼻の先にあるため、なおさら速達で送られてくる理由が分からなかった。
 B宅の固定電話へ連絡してみても、全く出ない。それどころか、長くかけ続けると一瞬だけ受話器を持ち上げられ切れてしまう。
 明らかに様子がおかしい。しかし、今の状態で家に訪ねても、おそらく居留守を使われてしまう。どんな手立てを打つべきか、皆で考えあぐね……3日後。
 Aさんは街中で、偶然Bの姿を見かけたらしい。


「B! Aだけど!」
「あぁー、A先輩。どうも」

 思わず話しかけると、Bからツンと鼻に染みるような、濃い汗の臭いがしていた。薄汚れた服を着込み、髪は脂で嫌な光沢を帯びていて、靴も履かずにコンクリートの上に立っている。家から裸足で出てきたのかもしれない。Bは首をぐるりと回して、Aさんとは反対方向の壁を見つめながら返事をしていたそうだ。

「お前……最近、電話したのに出ねぇけどさ、なんか忙しいの?」
「いやー、すみません! 彼女ができちゃったから、あまり遠出できなくなっちゃって」
「彼女?」

 相変わらずBは壁を見て話している。あまりに無茶な角度で回しているものだから、痛くならないのかと問おうとした瞬間、気づいた。
 あの肝試しの時と、今裸足の足元を除いて、全く同じ格好をしている。

「じゃあ、僕帰るんで」
「あ、あぁ。うん。お疲れ」

 ペタペタフラフラおぼつかない足取りでBは去っていったが、あんな状態の後輩を放ってはおけない。距離をとって着いていくと、自身のマンションへと帰っていった。Bが住んでいる階は、マンションの外から様子がうかがえる位置にある。Bは鍵を取り出すそぶりもなく、扉を開きすぐに部屋へ入っていった。おそらくBは、部屋の出入りに鍵もかけられない状態になっている。今駆けつければ、有無を言わさずBを病院に連れていけるだろう。Aさんは友人を6人ほど呼び出し、皆で部屋にあがることにしたという。
 3日前の頑なな様子とは裏腹に、呼び鈴を鳴らすとBは普通に扉を開いた。キョトンとした顔でAさんたちを見ていたらしい。

「どうしたんですか、こんなに大勢で」
「こいつら、近くで集まってたみたいでさ。せっかくだし、お前の家寄ろうって話になったんだよ。飯とか食ってるか?」

 極めて明るく、何気ない風を装って靴を脱ぎ始めた。狭い玄関は途端に靴でいっぱいになる。この部屋で唯一、生活感を感じられる場所になった。なにしろ、Bの部屋にはほとんど何も無かったからだ。引っ越し初日の、部屋に自分1人だけがいる状態に近い。唯一布団だけは部屋の隅に配置され、冷蔵庫の中は空っぽである。参考書が入っていた本棚や、クローゼットの中の服も綺麗さっぱり無くなっている。

「部屋どうした? 何にもないじゃん……」
「何って、しゅうかつしてるんですよ。しゅうかつ」
「就活って……どこに就職すんだよ」
「しゅうかつが忙しくて」

 会話がどうも噛み合わない。しゅうかつをしなければならない、なぜなら僕には時間がないからと意味のわからない発言を繰り返している。友人の1人が、勇気を出して理由を聞いた。

「僕の頭の中に腫瘍があるって、なつみちゃんが教えてくれたんですよ」
「はぁ?」

 知らない女の名前だった。頭の中に腫瘍があるとなつみちゃんに言われたため、身の回りの整理を始めたそうだが、B曰くなつみちゃんは医療従事者ではないらしい。それどころか病院に検査もいっておらず、また頭の腫瘍など素人目でわかるようなものではないはずだ。医療系の漫画に出てくるような、わかりやすく頭の表面が盛り上がっているとなれば話は別だが、一切それらしいものは見られない。

「なつみちゃん? が言ってることなんて、病院に行ってみないとわからないだろ」
「いやわかりますわかります、あのね勝手に鼻血が出るんですよ!」

 鼻血が何もしてないのに垂れてくる、とBは熱弁した。そういう割には、部屋のゴミ箱は空っぽで、ティッシュは部屋のどこにもない。

「そうなんです、勝手に出てきちゃうんです。多分もうすぐ鼻血が出てきますよ」

 その瞬間、Bは自ら壁に顔を強く打ち付けた。部屋の外にまで衝撃が響きそうなほど強く、躊躇いもせずに。当然のごとく、鼻からはだらだらと血が流れ始める。皆が息を飲む中、Bは腫瘍のせいで鼻血が出ていると、血を拭うこともせずに主張を続けている。
 思ったより、Bの状態は悪いのかもしれない。薄ら寒いものを感じながら、AさんたちはBを刺激しないように表面上で同意し始めた。そうだよな、腫瘍があるのはいけないよな。まぁまぁ、ひとまず拭きなよと話しながらも、横目では部屋から連れ出すタイミングを伺っている。
 鼻血が止まり、落ち着いた頃、Bは不意にこんなことを言い出した。

「送った写真のことなんですけどねー。あれねー、405号室から、身を乗り出して先輩たちを撮ったんですよ」
「……405号室って、鍵かかってた部屋か?」
「そう、開きませんでしたよね。でもね僕が皆さんとわかれてうろついてたら中から開けてくれたんですよ」
「誰が?」
「なつみちゃんが!」

 Bが言うに、なつみちゃんとはその出会いがきっかけで付き合うことになったらしい。なつみちゃんが腫瘍のことを教えてくれたので、なつみちゃんの言うことに従って、自分は今しゅうかつが出来ていると。Bは嬉しそうに体をゆらつかせていた。

「……何照れてんだ」
「へへ、いやぁ……」

 Bは、照れた様子で指同士を絡めながら、布団の方へ視線を移した。
 何もない。薄いせんべい布団に掛け布団が敷いてあるだけの、ごくごく普通の万年床である。誰かが寝転んで布団が膨らんでいる……なんてことはなく、Bはそれをニヤつきながら見つめていた。おもむろに立ち上がり、掛け布団に手をかける。

「まぁ、シャイなんで。紹介しますね!」

 勢いよく布団がめくり上げられた。
 生き物が亡くなったあとに放置されてできたような、赤茶色の細長いシミ。その遺体には手足がなく、とても胴が長く伸びていたと思えるようなシミが、ベッタリと付着していたそうだ。


「なつみちゃんでーす!

幸せでーーす!!


 蜘蛛の子を散らすように、Aさんたちは叫びながらも部屋から飛び出した。ほうほうの体でマンションの外へ逃れる。もう、自分達の手に負えない。あれではもうどうしようもない。すぐさま、連絡先を知っている者に頼り、Bの両親へとこのことを伝えたという。

 それから1週間も経たないうちに、Bの家からは荷物が運び出されていた。おそらく、両親や親族であろう人たちが、家具やら家電やらそう多くもない荷物を、自前の軽トラに乗せていっている。恐る恐るその様子を覗いていると、見覚えのある敷布団が玄関から出てきた。ハッとして見てみると、あの時見たシミはどこにもないようだった。でも確かに、あの時皆で細長いシミを見たのだ。あの赤茶色い、不気味なシミを。


「なんで、Bだけそんなことになったんでしょうね。まぁ、その病院は今はもうないらしいから……いいんですけど」





2021/08/21 シン・禍話 第二十四夜 より
【病院の彼女】25:27〜
Wiki内記載のタイトルを使用しています。

この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内で語られた怪談に加筆、編集を施したものです。

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