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禍話リライト「布の訪問」




 インターホンは、良くない。


 ある夏の日の夜、一人暮らしのAさんの部屋のインターホンが鳴った。
 時刻は午後10時。この日、約束をしている知人等はいなかったが、Aさんは迷うことなく玄関へと向かったそうだ。
 というのも、Aさんの住むマンションの付近には、友人達が多く住んでいたらしい。酔っ払ってアポ無しで訪ねてくる者もいたのだという。これから飲みに行くのも悪くない……そう考えながらAさんは、ドアの覗き穴を覗いた。

 真っ暗で、なにも見えない。
 おおかた、ドアの向こうで酔っ払ったやつが、穴を手で覆って見えないようにしているのだろう。くだらない悪戯である。

「塞いでんじゃねぇって。はいはい、なんだよ?」

 ゆっくりとドアノブを捻った。手で覆っているなら、多少の力がドアにかかっていたはずだが、なんの抵抗もなくドアが開く。しんと静まりかえった廊下には、酔っ払い特有の酒の残り香はなく、遠くへ逃げていく人の足音さえも聞こえてはこなかったそうだ。
 でも確かに誰かが覗き穴をと、Aさんはドアの方へと振り向いた。

 濡れそぼった白い布が、ピッタリと張りついている。
 雑巾ほどの大きさの布から垂れる水滴がドアに伝い、足元を徐々に湿らせていた。
 そのうち自身の重みに負けて、白い布はびしゃりと床へずり落ちたらしい。

「……もしもし? B? Aだけど」
「A? どうした?」

 キッチンの引き出しから引っ張り出した割り箸で、白い布をつまむ。直接手で掴むほどの大胆さはない。Aさんは友人に電話をかけながら、エレベーターへと乗り込んだ。もしかすると、やはり誰かの悪戯かもしれないからだ。

「さっき俺んちきて、なんか……やった? ドアに……」
「はぁ? どういうこと?」
「いや、違うんならいいんだけど」
「……何の話かわからんけど、今オレらさ、近くの居酒屋で飲んでんだ。Aもくる?」
「明日早いし、いいわ。ありがとな」

 何人かと同じような会話を繰り返し、全員が誰もそんなことはしていないと答えたらしい。そうこうしているうちに1階へと止まる。低層階ならまだしも、Aさんの部屋は5階にある。わざわざ、そんな悪戯をしに、知り合い以外が5階へやってくることなんてあるだろうか?
 本当はやってはいけないのだが、ポストのチラシ用のゴミ箱に布を捨てる。水気を含んだ布は、エレベーターと廊下に点々と水滴を残していた。


 その週の、日曜日のことである。あの夜、電話をかけたうちの1人であるBさんに、他の友人ら数人とのドライブに誘われたそうだ。元気のなかったAさんの身を案じて計画したらしく、他愛もない話をしながら、Aさんは助手席で窓からの風を浴びていた。
 走りはじめてからしばらく経ったあたりで、普段通らないような田舎道へ入った。ドライブあるあるというものか、カーナビに逆らい、きままに走ることにしたのだ。

「どうせ方角も一緒だし、この際知らない道でもいってみようか」

 田舎道は、鬱蒼と木が茂る山の中へと続く。ぽつぽつと点在していた民家も見えなくなった頃、突然、車が止まったらしい。なんの変哲もない路上だ。Aさんは不思議に思う。なにか動物でも横切ったのかとあたりを見回した。

『注意! 溺れます!』

 Aさんの目に文字が飛び込む。助手席側の道路のそばに、濁った溜池のようなものが見えた。有刺鉄線が巻かれた古い柵が、ぐるりとその溜池を囲っている。燦々と太陽が照る中、その溜池だけ薄暗く、生ぬるい空気が漂っているように思えた。間違えて子供が入らないようにと、看板と柵を設置しているのだろうが、Aさんの視線は別のものに釘付けになってしまっている。

 柵に、布が何枚もひっかけられている。
 有刺鉄線にふわりと被せられていて、その幾つかの布は、あの夜に覗き穴へ貼り付けられていた白い布とよく似ていたそうだ。布は綺麗で、おそらくこれらは定期的に入れ替えられている。ザワザワと、胸騒ぎがした。どうして、Bはこんな場所で車を停めたのだろう。

「おい、早く出せよ!」
「え? だって……」
「早く!」
「いやいや……はぁ、わかった。出すわ」

 Bは不満げな表情を浮かべ、おもむろに車を走らせた。後部座席の連中とミラー越しに目が合うが、皆訝しげに見ていたそうだ。長い長い田舎道を抜け、飲食店が立ち並ぶバイパス道路へ抜けた頃、Aさんは問いかけた。

「なんで止まったんだよ、さっき……信号でもなかったじゃん」
「えぇ? 何言ってんだよ!」
「マジでどうした?」
「……はぁ?」
「いや……車、お前が止めてくれって言ったんじゃん」

 Bさんらが言うには、あの時Aさんがそう言ったそうだ。Aさん以外の全員が聞いたと主張しているので、自身が知らないうちに言ってしまったような気になってきたらしい。気分でも悪くなったのか、仕事の電話があったのかわからないが、停めてすぐ狼狽えた様子で車を出せと言うので変に思ったという。やっぱり疲れているのだろうと、友人らはそう判断した。やっぱり、仕事で悩みでもあるんじゃないかと心配されつつも、その日は皆で居酒屋へ赴き、食事を楽しんだのだった。


「……っていうことがあったんだよ」
「えぇ〜、不思議なこともあるんですねぇ」

 あのドライブの日からしばらくたった。Aさんは、会社の同僚の付き合いで合コンに来ている。かなり規模の大きな飲み会であり、Aさん自身、県を跨いで来ているほどであった。程よく酔っ払ってきた時分、飲み会でよくあるように、怖い話を語ることになったそうだ。こういった時は、ネットで聞きかじったりテレビで見たりした話を披露して適当にしのぐものだが、唯一持っている不思議な話をAさんは披露していたらしい。

「でも、気持ち悪い話だよね。なんか、結局わけわかんないしさ」
「だよねー。あ、次は誰が話す?」

 ややウケた程度で話は流れ、各々話を披露し終えたあたりで合コンはお開きになった。いくつかのグループは二次会へと繰り出していき、Aさんのグループは各自解散することとなった。男女問わず、仕事で繋がりが出来そうな人と連絡先は交換できたが、特に狙っていた女性もおらず、Aさんは電車にゆられ帰宅したらしい。


 それから、一週間ほどたった頃だった。スマホにある通知が届いたという。

「Aさん、こんにちは。先週の飲み会でお話ししたCです。◯日に撮影した写真送ります」

 あの合コンで一応……と連絡先を交換したCという男からだった。そういえば交換したな、という程度の男だったが、今更なんの連絡だろう? と、Aさんはメッセージを開いた。文面通り、ある写真が添付されている。薄暗い、一枚の写真。


 あの溜池だ。


 ドライブで見た看板もそのままそっくり同じで、柵の古びた具合も、溜池の様子もあの日のままだった。唯一異なる点は、引っ掛けられた布の枚数である。たった2枚しかかけられていない。

 Aさんは、話を披露した時に、この溜池の場所なんて一言も伝えてはいなかった。ましてや、あの飲み会では自分の出身県や勤め先程度しか話していない。

 Cさんにもその時にしか会ったことはなく、溜池に実際に赴くことなど、できるはずはないのだ。

 不可解なメッセージに、Aさんはひどく動揺していた。
 これはどういうことなのか? なぜその場所を知っているのか? 疑問をそのまま打ち込んで、Cさんへと送る。

 そうしてすぐに返信があり、たった2文字「ごえ」と、返ってきたという。

 その後、Cさんにメッセージを送っても既読にすらならず、全く音信不通になってしまった。再度開催された合コンに行くも、Cさんが姿を現すことはなかった。



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 この話を聞いて、FEAR飯の語り部であるかぁなっき氏は、「ごえ」というメッセージの意味が分からず、知人に連絡しこの話を語ったそうだ。
 以下の言葉は、その知人の方の解釈である。



「その『ごえ』っていうのは多分、

ご縁があったってことじゃないかなぁ」





2022/02/26 シン・禍話 第四十八夜 より
【布の訪問】3:50〜
Wiki内記載のタイトルを使用しています。

この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内で語られた怪談に加筆、編集を施したものです。

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