最善を望み、最悪に備える。 Hope for the best, Prepare for the worst.

日々、様々なところで様々な人の声があがっている。

希望、恨み。善意と悪意が入り乱れる。
彼や彼女なりの正義が、正義の旗をひるがえし跋扈する。

9年前と似た光景だが、規模でいえば今回は当時とは比にならない。

NHK「BS1スペシャル『ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~』」(NHK総合、3/28放送分)を録画で観た。

瀬名秀明氏(作家)、押谷仁氏(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議メンバー)、五箇公一氏(外来侵入生物によるリスク研究/国立環境研究所生態リスク評価・対策研究室室長)による鼎談形式を採った、提言/ドキュメンタリー特集(他、解説者として同局解説員の中村幸司氏も出演)。

インターネット、とりわけSNSを見ていると、あるいは、街で友人たちと話しているだけだと、どうしても感情的なことばのインパクトが強く、現実問題の具体的解決への筋道はくすんで見えにくくなってしまう。
他者との感情のぶつけ合いを否定はしないけれど、傷の舐め合い(あるいは傷付け合い)で視界は曇り、狭まって、結局は誰も現実を正視できなくなってしまうのでは、という恐れを抱いてしまうのだ。

そんな恐れを鎮め、あらゆる状況にも対峙できるよう、バランスを保ちながら自転していくためのヒントとなる知恵が同番組から得られたように思う。

以下は、押谷氏(O)/五箇氏(G)の発言で印象に残ったもの。おぼえ。
番組を見ながら、思わずキーボードを叩いていた。

●自然からの警告を受け止めて準備をすること。

野生において生存しているものたちは常に進化するし、順応的であるし、だから我々の人知を超えたところで彼らはどんどんどんどん新しい棲家を探していく。
だからウイルスの場合も同じで前はこうだったからという想定ではとても追いつかない。(G)

【例】モリウイルス(2005年、シベリアの永久凍土から発見)
二酸化炭素の排出→地球温暖化→永久凍土が溶けた場所で極めて増殖力の高いまったく未知のウイルスが発見されている→人間が感染する機会が増える
参考:一般社団法人 予防衛生協会HPより「69. 永久凍土から分離された第4のタイプの巨大ウイルス

●リスクマネジメントの難しさ

(ウイルスによって)
・すべての危機は違う
・感染症の流行(の仕方)は違う
・専門家もそれぞれ違う

一定の地域がどういう状況になったら何をしなきゃいけないのかについての対策メニューは考え中で、もう少し時間がかかる(O)

行動するのは国民で、国民が納得いくように説明しなくてはならない。それをやるのは本来は政治家の役割である(O)

●人間の行動原理=安心して暮らしたい

安心すればあまり考えずに済んで行動出来るから。
不安だと、ひとつひとつを決断しないといけない、つまり人間らしさを発揮しないといけない。つまり、ストレスがかかる(O)

●それぞれが現実の問題をもっと真剣に考える

感染する危険が明らかにある場所には行かない。社会を守るために自分たちも闘っているという意識をもつ(G)

クラスター(感染を広めてしまう集団)連鎖の起きやすい場所を避ける
・換気の悪い密閉空間
・多くの人が密集
・近距離での会話や発言

●他者を守ることで自分たちが守られる

・免疫力が落ちている高齢者の集まる施設
・医療アクセスの悪い人々(例:外国人労働者、生活困窮のため病院に行きにくい人々)
・医療体制の整っていない途上国

→彼らに自分たちは何ができるのか、最大限の想像力をもって痛みを分かち合う力を発揮しなければならない

●南北問題(先進国/途上国の格差是正をめぐる問題)

(新型コロナウイルスに関連して)おそらく数週間後に見えてくるのは南北問題。アジアの大都市はこのウイルスをおそらく制御できない。アフリカも経済発展をして都市に若い人口が集まっている。アフリカやアジアのスラムではこのウイルスを制御することは絶対にできない(O)

医療の技術や体制は北からどんどんサポートして、南の(感染)爆発を抑えなきゃいけないでしょうし、それにかかる経済的負担を北がどれだけ背負えるか。
いよいよ感染症というパンドラの函が開き始めちゃっている状況ですから、逆にいうとこのパンドラを閉じるためのパラダイム・シフトに行けるかどうかがこれからの人類としての生き残り戦略にかかってくる(G)

世界はじぶんの国さえ良ければいい、という方向にずっと向かってきた。こういったウイルスに対してはそういう考え方がまったく通用しない、そういうことが突きつけられている。
日本政府の進めている入国制限、これを突きつめていくと鎖国をするしかなくなる。今回のヤツ(新型コロナウイルス)はそういう形での封じ込めは絶対にできない(O)

●終わらない

日本(のどこか)で大きな流行が起き(そうになっ)た時に社会活動をかなり止めるような形で(対策を)やる、っていうのでは完全に封じこめられるわけではない。
いったん医療の限界を超えそうになったら徹底的に社会活動を制限してウイルスの拡散を止める、それでも完全にはウイルスは日本の中から無くならない。また他の場所で小さなクラスターがだんだん大きくなっていく。それを淡々とつぶしていく。長期戦を覚悟でやっていかないとこのウイルスに対してはまったく対応ができない。(O)

外来種対策も同じで、現場から「いつまで(対策を)やればいいんですか?」と訊かれちゃうんだけど、いつも「終わらないです」と答える。それはなぜなら入り続けるから。
日本がインポートとインバウンドで対応し続ける限りは、これは終わらないんです。
特に感染症の場合は「感染者=重症者」という形で(症状が顕著に)出ればすぐに芽はつめるが、この(新型コロナウイルスの)ケースに関しては潜伏型という形でくる以上は終わらない(G)

●最善を望み、最悪に備える

制御のしにくいウイルスだが、クラスターを起こさないような、人が集まる機会を極力減らすような対策をすれば(感染は)確実に減る。ただし、社会的な影響が大きく出る。
日本のどこかの地域が厳しい状況になることが予想される。その際、人工呼吸器、ICU集中治療室が足りなくなる。
そういう状況下で、日本人の国民性、日本人のメンタリティからいうと、どうしてもそれを受け入れられない可能性が出てくる。
そういった時には、かなり積極的な対応をせざるを得ない、その準備をみんなで真剣に考えなければいけない(O)

ひとつのジレンマ――本気で封じこめを行なうと、小売店、飲食の商売をされている方、経営破綻して自殺者を含め犠牲者が出る。
ここで必要なのは綺麗ごとだが「痛み分け」、みんなで(苦痛を)どうシェアしていくのか(G)

我々がいま考えているのは、社会機能の低下を最小限にしながらウイルスの拡散スピードをいかに制御するか。そういったことをもう少しスマートに考えていく必要があるが、そのためには科学的エヴィデンス(根拠)を積み重ねていかなければならない。(そうすることで)どこが危なくてどこが安全なのか、合理的に整理して不安をひとつひとつ取り除いていく。
どうしても駄目なところ(制限しなくてはならないところ)と判断された場合は残念ながらかなりの制限が必要。その分に関しては国がじゅうぶんな補償をする、あるいは代替手段を考える必要がある(O)

何がベストなのか、これは専門家も間違える。未知のウイルスでどうしていいか判らない部分はかなりある。
いかに致命的な間違いをしないか。そういう方向に日本も世界も向かわせていくことは、一日ごとに状況と正解が変わっていく中、ひじょうに難しい(O)

喫緊のクライシスに対しては科学技術で(新薬の開発に期待して)立ち向かわなければならないが、長期的にみると、クライシスを繰り出さないために自然共生、ライフスタイルの変換といったものをこれから考えていかなくてはならない。
我々は自然に対して手を出してはならないところまで侵蝕を果たしてしまったがためにこういった問題が起きている。悪循環を断つためには、自然の摂理に順じた「自然共生」という生き方は何かという議論を今から始めなければ持続性は保てないだろう。
このままいくと人間社会は崩壊しか道筋がない、そのことを受け止めなければならない、ということをコロナウイルスが教えてくれている気がしている(G)

最善を望み、最悪に備える(Hope for the best, Prepare for the worst)。
薬の希望も出てきているし、日本できちんと集中治療ができる範囲で患者の発生を抑えていけば、かなりの人たちが救命できる。いっぽうで、かなり厳しい状況になるかもしれない、そのことを同時に考えなくてはならない(O)

●想像できないことを、いかに想像するか

最後に、新型コロナウイルスとの闘い方について、瀬名氏から以下のような提言が語られて番組は締められた。
じぶんには、それは祈りのように響いたが、じぶんの生活の足元を振り返った時に見えてくる、うつろで、身勝手で、孤独な空気の「まとわりつき」が祈りの無効化を促しているような気がしてならない。そんなことも同時に思った。

過去に学ぶことは大切だが、いま現在の地球がどんどん発達して新しくなっていく時代で、想像できないこともたくさん増えてきている。
でも想像するんだ、それができるのが人間なんだ、その人間らしさを発揮する勇気というものがさらに求められる時代になってきているんじゃないか。



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