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【波乱万丈な人生】わたしの履歴書

こんにちは”ぞの”です。

初めての方も多いかと思うので、今回はわたしの略歴についてお話していきたいと思います。

自分が基準なので普通だと思っていますが、友人である上場企業の創業者から見ても、破天荒で面白い人生らしく、今回は田舎で生まれた、カネなし、コネなし、何もなしの自分が、どうやって経営者になったのかまでをざっくりと書いてみようと思いました。

鹿児島のど田舎から上京。
上京の説得に2年、しかし燻るのに2週間。

その後、就活を完全放棄、人生を模索する為だけに大学編入学。ここからいかに事業責任者→大手人材会社営業→経営者になったかまでの経緯を自分らしく書き記してみたいと思います。

【自己紹介】
・ゾノ
・鹿児島出身。37歳、独身。元経営者、ただの自由人で変わり者。
・非営利にて弱者にさせないキャリア教育を推進。
・日本初の再起するキャリア教育を研究、提唱、発信。
・元パーソルの法人営業、元経営者、元派遣社員などなど。

【特徴】
・真面目に見える変人、冒険家、自由人。まれに真面目に見える。しかし変人。
HSS型HSP:超繊細な冒険家。チャレンジャー。好奇心旺盛。
・ゼロイチが得意。誰でも出来ることに興味なし。

※以下、ほぼ箇条書きですが順次文章化、詳細記事を作成しリンクで追加していきたいと思います。

■地元、鹿児島県(0〜18歳)1983〜2001

・1983/11/17誕生。余程生まれたくなかったのか出生直後、一切泣かずに沈黙。
・産婆さんに”泣け!”と、お尻をバシバシ叩かれいきなりパワハラを受ける。
・出生パワハラに耐えられず、オギャーと泣いてしまい仕方なく生きる事を決意。

ちなみにその後、公務員の家庭で何不自由なく愛情を受け育つ
幼少期のどの写真を見ても

嫌そう。

本当に嫌そう。
そんな幼少期でした。

■小学校1年生 
・厳格な父に”お前は絶対に刺青を入れるんじゃないぞ”と謎の念押しをされる。
■小学校6年生
・厳格な父に”通信販売は全て詐欺だ”だと教わる。

・厳格な父にそんな教育を受けながらすくすくと育つも、上京に反対され初めての反抗期。二年間大喧嘩。30歳までに建築事務所を作ると説得しはれて東京に。

■この時期に学んだ事■
・親の意思と自分の意思は別。自分の人生は自分で決めろ。
・通販は詐欺、、、、、なの??

■専門学校時代(18歳〜20歳)2001〜2003
日本工学院八王子専門学校、建築設計科へ入学

・入学直後の製図の授業で細かいことが向かないことを感じ、たった2週間で進路を間違えた事に気が付く。本当びっくりした。

・2年かけて厳格な父を説得し上京した手前、秒速で目標を見失い、不安を紛らす為に合コン三昧のパリピになる。そこで生産性を追求した結果”合コン4の3乗の法則”を発明。

合コン4の3乗の法則とは
4対4の合コンの場合、ほとんどの人がその4人の中から一番良い人を1人選ぼうとする。しかし、全員と友達になり、次の合コンをそれぞれセッティングする。そんな合コンを3回繰り返すと男女わけわからなくなるくらい人脈が広がる。しかし、どの水溜まりよりも浅い人脈である為、10年後にその繋りは壊滅してる。

・月日は流れあっという間に就活しないといけない時期に。
・しかし、就活ガイダンスが数回あった程度であとは自己責任で放置。
・キャリアセンターの兄ちゃんに相談するも、ろくに話を聞かず何故か居酒屋の求人ばかり進められる。

これはやばい。この程度のキャリア教育で人生を預ける就職活動が出来るか!と1社も受けず就活を放棄。

世の就活生は本当に優秀だなーと関心する。

人生を模索する期間を延長する為だけに大学編入へシフト。スクランブル猛勉強を開始。なんとか大学へ合格。

■この時期に学んだ事■
・専門学校はあくまで”教育ビジネス”
・専門学校は求人数と求職者数の比率が基準なので、マッチングまでは担保していない。よってミスマッチ、つまり望まない職種、業種への就職になってしまう学生、それに悩む若者が非常に多い。

・高校時代に決めた進路選択が必ずしも正しいとは限らない
・キャリア教育が未発達の世の中において就職という意思決定するにはあまりにもリスクが多すぎる。下手なギャンブルよりたちが悪い。
・一方的な詰め込み式の授業なのに、就活はいきなり放任主義なので戸惑う学生は無限にいる。普通に就活してるだけで超優秀。
・社会の自己責任論は単なる放任でしかない。
・合コン4の3乗の法則を実行すると週4以上で捌き切れないくらい合コンをするはめになる。

■大学時代(20歳〜22歳)
工学院大学第二部建築学科へ編入学


・編入を果たすも学費を稼ぐ為、バイトを探すが何故かバイトが決まらない。
・コンビニ、カラオケまで全て落ちまくる。

・残高500円でピンチに。開き直ってエーイ!と募金する。と翌日、新宿の居酒屋でホールとして採用される。

・たくさんの仲間と楽しくバイトする中、たまたま他のテナントの若手経営者と知りあい、色々な事を教えてもらい視野が広がる。結果やる気がみなぎり起業を目指す事に。

・また同時にその話を周囲にすると周囲も次々と意欲的になる現象が起きる。
※ちなみに当時のバイト仲間の20人前後のうち7割以上が経営者に。そのうちの一人は13年後に宣言通り上場を達成。

・サイバーエージェントの藤田社長みたく20代のうちに上場させる事を決意。リクルートのような人材輩出企業を志す。

・しかし、経営者の本を読みすぎた結果、実績のないあたまでっかちな意識高い系になる。まずは経験だと思い早く”ゼロイチ”の実績を作ろうと、起業直後の飲食店でバイトを始めるも、ズサンな状態に社長と仕事の事で喧嘩しまくる。

・こいつは心底うるさいが、自分の利益の為に自己主張しているわけではないとやる気を買われ、別の企業の新規事業を責任者としてやらせてもらう事に。

・社長と初めて会う時に”実績を作りたいので口は出さないで欲しい。結果は必ず出します。それでなければやりません”と、はっきりと言い切り了承してもらう。※大門美智子や大前春子の”いたしません”のセリフを聞くとこのシーンを思い出す。

■この時期に学んだ事■
・人間はちょとした”きっかけ”で、人生にドライブがかかる事がある。
・目標が見つからない人はおおよそ視野が狭い。視野が広がればだいたい見つかる。
・ただのアルバイトでも仕事の事で社長と喧嘩しまくると、熱意が伝わり事業をやらせて貰える、、、、、、、かも
・いかなる環境にも道を開くヒントがたくさん落ちている。
・ピンチの時には募金しろ

■学生起業の話(22歳〜24歳)2006〜2007年
事業責任者時代(社内起業)

・”ふん、黒字なんて簡単だろ”と思っていたが大赤字。本を読み頭でっかちになっていた自分に気が付く。そして、結果出ず半泣きになりながら頑張る。退路を断つ為に保険で残しておいた大学は休学、その後中退。

・本や人から聞いた話は所詮、他人のものでしかないということを痛いほど学ぶ。

・新しい部屋探しも放棄したまま、店に泊まり込み仕事に没頭する。1ヶ月半くらい店に住みながら仕事。社長に呼び出され”家はあった方が良いと思います”とまともな助言をされる。

・あまりのストレスに一時的に片耳聞こえなくなり、真っ直ぐ歩けなくなる。(黒字化したら戻った)

・そんなこんなしながら、4ヶ月後にやっと損益分岐点を超え軌道にのる。

・フリーターや学生のアルバイトスタッフの子達も、きっと同じように将来悩んでるんだろうなと思い、過去の経験から一つ実験をしてみようと思い、仕事の合間にキャリア授業を始める。

当時学生だった私の周囲にいた意欲的なグループと、そうでないグループを分析。意欲的な人材にあって、そうでないグループに足りないものは

1,経営的視点、2,会社の仕組み、3,社会の仕組み


である事に気がつく。

これをキャリア教育の軸と仮説を立て、アルバイトで実験。結果、自分の時と同じようにやる気を出してくれ担当事業だけで年商0→年商2.7億に。・退職後も育てたスタッフのみで年商5億まで成長。※やはり当時のアルバイトの6〜7割が経営者に。

その時のアルバイトの一人(多分年商10億前後??)が当時の私のことを話してくれてました。無理やり本を読ませてるのが私です。

・周囲の経営者にもその辺の社長と同じことくらいはしてると評価され始める。

・しかし、口は出さないと約束していた社長が、お店の子に手を出して愛人にする。お店が赤字の時から知りながらも、将来の自分の為だと我慢していたが、二号店の副責任者にしたりと、ついに口を出し始めたので転職を決意。後に年商5億を超えるが、育てた当時の人材は皆退職し、結局組織は崩壊したそうです。

・前職の社長が赤字から結果を出すまでの経緯を観ていたらしく、お前が起業する時はいくらでも出資すると言われる。

■この時期に学んだ事■
・自分で経験する事が大事。お湯の熱さ、水の冷たさは触った人にしかわからない。
・自分の経験と他人の経験は別で考える。
・どんなに燻っている人材も視野を広げる為の教育、背中を押してあげると勢いよく働き始め活躍する。燻っている人材はたまたま”きっかけ”がないだけ。
・人を活かすも殺すもとにかく教育次第。これが一番が大切。
・人生勝負時は退路を断ち本気でやる。家がなくてもやる。誰に何言われようがやる。そして半年、いや3ヶ月くらいの短期決戦で一気に結果を出す。じゃないとキツイ。
・愚直にやると誰かが見ており道が開ける。
・アルバイトが社長と喧嘩すると、出資して貰えるようになる。かも。

■初めてのサラリーマン編(24歳〜27歳)2008年〜2011年 パーソルテンプスタッフ法人営業


・起業前に勉強する為人材大手パーソルテンプスタッフに就職(法人営業3年)

・競合の担当営業(マネージャークラス)に営業の新人という事で舐められる。
・指導担当に目をつけられ1年半ほど理不尽な激鬼つめをされながら必死に法人営業を覚える。

・部署で一番下っ端だった為、ずっと議事録をとっていたが、在籍1年半くらいの時に営業MTGの議事録が勉強になる事に気が付く。

・毎日1時間早く出社し隣の部署の新聞読み合わせに参加させてもらう。

・取り敢えず地道にコツコツ営業。手を抜いていた競合のマネージャークラスを相手に案件をがっぽり頂く。気が付くと様々な人から評価が変わる。

・リーマンショックの影響で派遣スタッフ100名前後の雇い止め対応に従事、同時に不況時における大企業の動きを様々な面で勉強、経験する。

・2011年3月10日に会社設立。資本金500万で創業し社長(6年)しかし翌日、東日本大震災発生。

■この時期に学んだ事■
・結果もそうだが仕事に取り組む真摯な姿勢が大切。謙虚にコツコツと淡々と業務をすればそれだけで信用となり、気がつくと結果も出始め社内評価も顧客評価もひっくり返る。そして、それをやらない人は結構多い。

・法人営業は議事録が使える。メンバー×事例を学ぶ事になるので非常に勉強になる。他のメンバーはそこまで話を聞いていないから伸びない。そいや、マックス村井もそんな事言ってたな。

・イケイケでマウントとってくる人間は自爆して勝手に消えるので気にしなくていい。人生の脇見運転や、煽り運転をするような人に優秀な人はいない。

そして

レールから逸れた人を受け入れる仕組みを作ること
キャリア教育を世に広めること

を目的に起業することになりました。

■廃業、無職、派遣社員からやり直し編(27〜34歳)

そして、ここまでは人生の序盤で、起業の後に挫折し大きな長い冬が訪れ、10年にも渡り結果が出せず、心底苦しむ事になりました。

起業の後に大きな長い長い冬。挫折については別記事(無料)に書いておりますので、お時間ある時にご覧下さい。※全て経験則に基づくオリジナルです。


ちなみに現在は弱者にさせないキャリア教育を配信する為に奮闘中です。

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最後までお読み頂きありがとうございました。

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