戦争というよりは「日本と韓国」に似た構造のどうでもいいお話

なんか「戦争」が始まったみたいです。怖いですね、大人しくしておいて欲しいところです。発端はこんなツイートらしいです。

ワシのツイートやないかーい!

お陰様で、今まで見たことが無いような人にふぁぼりつされたり、フルスロのコメント欄で小学生だの頭悪いだの言われ枕を濡らしたりして、いま震えながらキーボードを叩いているところです。何が起きているのかまとめて閲覧したい方はこちらからどうぞ。

久しぶりにnoteを書いている癖に新年のご挨拶とか、お久しブリーフみたいな一発ギャグもございませんが、こんなnoteをわざわざ奥深くまで見てくださったようなので折角ですからこちらでお気持ち表明しようと思い、昨年10月から止まっている埃の被ったこのnoteを発掘した次第です。

・どうでもいい話

「ニチャァ」って音が聞こえそうなこのツイートですが、私は隠しているつもりもなければバレて困る事も何もありません。あんな中身のないオンサロに月5,000円払っている変人と思われるくらいです。あ、それはちょっと嫌かもしれません。

で、単刀直入に言うと、私が絡みに行ったツイートに関して未来ラボがなんの関係があるのかって話ですね。私の所属や属性は明らかにしていますが、それらとこのTwitterでの仕事が好き云々のくだりと何が関係ありますかね?

人の荒を探すのはパチンコ業界人の悪い癖だと思います。

そもそも、プロフに載せる程度にはオープンにしてある情報をスクショまでして晒して、さらにご丁寧に私の記事まで読んでくださったようで感謝に堪えません。SNSのプロフからサイトに誘導するっていうインターネットのお手本のような手法はいまだに通用する事がわかりますね。


・さらにどうでもいい話

私は林さんのことなど良く知りもしないしどうでもいいし経歴や過去などにも興味はありません。Twitterで1つのツイートを見て「そんなことなくね?」って思っていろんな例を出して引用RTで意見を述べてみただけの話です。林さんにはツイートする前後のくだりがあったらしいですので、それを知った上でなら私も別の意見になったかもしれません。しかし、そもそもTwitterは1ツイートごとに区切られるものだし、ふぁぼやリツイートで勝手に自分の意図してない部分が拡散されるものです。自分のツイートに追加するという機能を知らなければ仕方のない事なんだろうと思いますので、私が意図の汲み取り方を間違えていたのならば「いやいや、これこれこうで、だからこう思うんだよ」と優しくおしえて欲しかったのですが…

既に手遅れでした。このnoteとTwitterでの口調が違う事から、私を裏垢だと切って捨てた林さんの口調が変わってしまいました…

・もっとどうでもいい話

私のツイートを「極端だ」と一刀両断されました。

「極端」とは極めて端っこの事を指します。真ん中の部分が無ければ端っこは存在できません。つまり私が挙げた「ラブホの清掃」「風俗嬢」「汲み取り車の運転手」は林さんからみれば「極めて端っこ」に当たる職業であり、パチンコ業界はそうではない真ん中に位置する職業と認識しているのでしょう。そして林さんの理屈を借りると、好きになる為の努力はしなくていい「例外的な職業」だと認識しているという事になります。

「職業に貴賎なし」。多くの仕事は回り回って自分の日常生活に必要であるというのは社会で生きていく上で基本的な考え方。つまり職業に対して何かしらの偏見を持ち、自分の中での位置づけを行っている人なのだと分かります。それって、コンサルさんが発信しても大丈夫な事なのかなと思ってしまいました。

仮に職業の位置づけをするのであれば、「汲み取り車の運転手」は下水道が整備されてない、整備できない地域では必須の生活インフラですし、「ラブホ」「風俗」は人間の三大欲求を満たすことで、性犯罪の抑止にもなっている。パチンコ業界は…?最近のニュースを見ると犯罪の温床になってる気がしないでもないんですが、大丈夫なんですかね?

「極端」という言葉がカッとなってよく考えもせずに咄嗟に出てしまった言葉だと信じてやみません。だって、


人間、冷静でない時こそ

本当に思っている真の言葉を発してしまう生き物なのですから


・これが最後のどうでもいい話

「仕事が好きか」とか、「好きな仕事につけ」みたいな論調は非常に前時代的です。社畜を教育する時に上司が持ち出す常套句のように聞こえます。誰かの力を以てして、他人に好きでないものを好きになって貰うのは非常に難しいです。それがブラック企業の現場では暴力や暴力的な言葉によって成されるので「パワハラ」と言われるのでしょう。

最近では「やりがい搾取」などと呼ばれる事も増えてきましたが、「好き」と「やりがい」は似て非なるものです。

例えば私の場合、作業をもくもくと机に向かってやるのは、反復作業で無ければ耐えられる人間です。このnoteを書くことも割とそうだったりします。

ただ、このnoteを書くことに対しては「ほんとうはTwitterでやりたいんだお…でも、Twitter民はクオリティの高いスレしか相手してくれないお…だからnoteでやるお!!」という原動力でもって文章を書き続け、この辺りでついに2000字を超えましたが、まだまだ書くことはできます。

ですが、「書くことが好きか」と言われると、「別に…」といった感じです。だって、こんな長々と書いたって、思い付きだけで書いているから支離滅裂な部分もあるし、校正は面倒だし、現代文90点の人にマウント取られないようにしっかり書かないといけないという謎のプライドもあるし、フルスロのコメ欄には小学生レベルだと言われるし、そもそも誰も読まないし、読んで貰ってもお金にはならないし…

正確に言えば

原動力があれば大して好きでもない事も苦痛に感じない

が、正しいと思います。その原動力っていうのは与えられるものでは無く、働く本人が見つけるものであり、同じ職場において同じ仕事をしていても個々で異なるものだという点は注意しておかなければならない事だと思います。

仕事を好きになれればこの上ない原動力になりうるのは確かでしょうが、それを全員そうあるべきだと括るのは間違っています。これこそやりがい搾取をしたい古い経営者の詭弁だと私は思います。


・これがホントに最後のどうでもいい話

「で、タイトルとこの話はどう日韓関係と結びつくのか」

騒ぐ韓国と冷静にスルーする日本。

争っているように見えて、相手にしていないだけ。



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