『鈴木さん』
「これがすごくいいものだってことは、私を見ればわかるでしょ。お肌の調子もめきめき良くなったし、仕事もプライベートも順調。ハッピーを日々実感してる。このお水だけで不安だったら私が実践しているメソッドも全部教えてあげるから。だから、ね?」
鈴木さんは、職場の先輩。いわゆる姉御肌のお姉さんで面倒見もよく職場では後輩や同僚の駆け込み寺のような存在になっていた。ただ、鈴木さんの机にはパワースポットとして有名な神社のお守り、水晶や虎目石などのパワーストーンがやたらと置かれており、僕はちょっと苦手だなと思いながら勤務中は穏やかに接していた。
その鈴木さんが、今テーブルを挟んで目の前にいる。場所は昼休みに社員が休憩や昼食に使用する休憩室兼給湯室。隅にあるシンクからは、誰かが蛇口を閉め損ねたのかポタン、ポタンと水が垂れる音がしている。
テーブルの上には封を切っていないペットボトルの水が数本並んでいた。ボトルには『幸せの泉ウォーター』と書かれたラベルが貼ってある。
飛び込みの営業もやってみたが営業成績が振るわず、上司に詰められ席に戻ったタイミングで「ちょっと来て」と鈴木さんから声を掛けられたのが30分ほど前のこと。そこから鈴木さんは、僕がいかに頑張っているかを知っている、でも今上手くいかないのは理由がある、私にはわかる、いや視える。あなたの前世は……とオカルトじみた話を延々と続けている。
はぁ、へぇ、そうなんですか……と僕は一応相槌を返しながら、この時間は一体なんだろうと冷えた頭で考える。
鈴木さんはスピリチュアルにはまっているだけではなく、勧誘や販売もする「あっち側 」の人だった。驚きやショックはそれほどない。
ああ、そうなんだ、やっぱりね。
「で、いくらでしたっけ?そのお水」
「普段だと2本で5千円なんだけど、今日は1本オマケして3本5千円でいいよ!これキミにだけ特別」
パワーがあると称しているペットボトルの説明シートには「充填したパワーが減衰してしまうので3ヶ月以内に摂取してください。お茶やお酒の水割りに使用してもOK!」と書かれている。
100円ショップで売っている飲料と同じ方式で、中身はたぶん二次卸か三次卸で仕入れた賞味期限が半年ないしは3か月を切った市販の天然水だろう。ボトルの形状が似ている。それをオリジナルのラベルに貼りかえれば出来上がり。ぼろい商売だなと思った。
スピリチュアルもオカルトも自分が欲していて必要なときに与えられる分には構わないんじゃなかろうかと思う。異なる視点からの気づきを得ることもあるだろう。タロットカード占いを始めたばかりという人の練習に付き合ったこともある。その時に言われたことはもう覚えていないけれど。
しかし欲しくもないものを高額で売り付けられるのは、何であっても御免だ。
価格と提供物の非対称が問題なのであって、5千円を払うだけの価値や意義があればいいのだ。ならば……
大きくため息をつくかわりに、スっと鼻から息を吸う。思いついた計画を実行に移すことにした。
「鈴木さんがそこまで言うんだから、きっといいものなんですね。さっそくそのお水で僕がハッピーになる方法を思いついたので、僕買います」
財布の中から千円札を5枚出して、彼女に渡す。
「素晴らしい!ありがとう!ここから良いことがたくさん訪れるよ。決断できたキミは正しい!」
鈴木さんはもともと目ぢからのある目をさらに大きく光らせて、賛辞の言葉を言う。
「じゃあ、これでこのお水は僕のものですね。早速頂きます」
3本のペットボトルを受け取り、そのうち1本のキャップを外す。2本目、3本目も同じように外す。
「お、一気に飲むの?男だねぇ」
鈴木さんがはやし立てる。
「ええ、一度こういうのやってみたかったんです」
僕はキャップを外したペットボトル3本をこぼさないように掴むと、そのまま部屋の隅にあるシンクへ持ってゆき、1本の中身を捨てた。ドブドブドブと音を立てて、シンクに幸せの水が流れていく。
「ちょ、ちょっと、何をしてるの!?そのお水は魂の浄化を促進してくれるありがたい水なのよ!」
背後で鈴木さんが叫んでいる。
2本目、
3本目、
すべての中身を空にした後、丁寧にラベルを外しペットボトルはクシャクシャにつぶしてから専用のゴミ箱へ。外したキャップはキャップ回収ボックスに、ラベルはプラ用のゴミ箱に捨てた。
くるりと鈴木さんの方を向く。
先程の笑顔は吹き飛びあのギラギラした目には怒気が満ちていた。
「……キミがやってみたかった事って、これ?」
「鈴木さん、僕の前職なんだか知ってますか?」
「……知らないわよ」
「浄水器のセールスです。無料モニター募集ってメルマガで募集して、応募してきた人の家に一式設置しにいってその場で買いましょうってローン組ませるんです。19万8千円とかを24回払いとかで」
鈴木さんの口角には白く泡がつき始めていた。
「それって詐欺じゃない!そんな事やってたから魂が濁るのよ!きっとその天罰が今下ってるのね!」
「鈴木さんの営業トークを聴いてたら、その頃の自分を思い出したんですよ。あぁ僕もおんなじことやってたなぁって」
「……」
「1本あたりタダみたいな値段で仕入れた水にラベル変えて2本で5千円ですか……これ消費者センターに連絡したらどうなんでしょうね?ちなみに、一人勧誘できたらいくらキックバックやインセンティブが貰えるんですか?」
「……何の事かしら」
「この水は10本買ったってその価値はありません。だから僕は他の目的のために5千円を払ったんです」
「だとしたら何?何で買ったのよ。あたしに嫌がらせするため?」
語気を強めて言う。
「なかなか見ようと思っても見れないじゃないですか、人の期待が不安に転じる瞬間って。それが5千円で目の前で見られるんなら破格だと思うんですよね」
そう言いながら、僕はスマホで社員用のポータルサイトを開いた。HR相談窓口のリンクをタップするとフリーダイヤルの番号が出てきた。外部委託か……まぁいいや。ダイヤルする。
「すいません、社内で怪しげな商品の勧誘受けたんですけど相談先はこちらで合ってますか?相手は営業二課の鈴木さんです」
一瞬にして彼女の顔色が変わる。
「ちょ、人と話してるときにどこに電話かけてるのよ!」
「うちの会社の人事相談窓口です、特定の思想や信仰、ネットワークビジネスへの勧誘禁止は契約書にも書かれてますので……はい、そうです。ええ、担当の方をお願いします」
「あんた顔に似合わずクソ野郎ね!地獄に落ちるわよ。修羅、煉獄いや外道だから畜生界がお似合いね!」
強い言葉と裏腹に、声に力はない。その混乱をあらわすかのように地獄の世界観は滅茶苦茶になっている。煉獄は確かカトリックの概念だったような?新興宗教やスピにありがちな全部乗せパターンなのだろうか……などと余計なことを考えてしまう。
「結局みんな同じなんですね」
「同じ?何がよ」
「昔、地元駅の前で手をかざす人たちに遭遇して」
「……」
「最初は一生懸命修行した教義や救いの話を熱弁してるんですけど、辻褄が合わないって指摘して行ったら最終的にネタが尽きて『天罰がくだるぞ、地獄に落ちるぞ』しか言わなくなるんです。それこそ昔の子供がよく使う捨て台詞の『お前の母ちゃんデベソ』みたいに。鈴木さんのもそれとおんなじだなぁって……あ!よかった!すみません、先ほどお伝えしたんですが、実は今社内で怪しげな商品の勧誘を受けてまして……」
と、紙らしきものが何枚か眼前に投げつけられた。
「返すわよこんなもん!あんたなんか地獄に落ちる価値もないわ!地獄の手前でケルベロスに喰われちまえ!」
もはやファンタジーなのか暴言なのかもわからない呪いの言葉とともにひらひらと舞うのは、たった5枚の金の雨。
僕は片手で落ちてきたお札を拾いながら、スマホのマイク部分から口元を外すようにして、普段感じているままを口に出した。
「鈴木さんは今、地獄って言いましたけど、今いるところがそれですよ。生きづらいことこの上ない娑婆苦という地獄。今更その種類が増えたってどうってことなくないですか?」
見上げると、鈴木さんの姿はすでにそこになく、バタンと扉を閉める音だけがあたりに響いた。鈴木さんのつけていた香水の香りが、なぜか本人がいなくなってから強く感じられる。
僕は帰りがけにコンビニで払おうと思っていた携帯代が戻ってきたことに多少驚いたような気持ちのまま、スマホの受話口から聞こえる保留音とともにその場に取り残された。
上着のポケットから一つだけ捨てずに取ってあったラベルを取り出し、素人が制作したかのようなチープなデザインを見つめる。
相談窓口はオペレーターの数が少ないらしく、本当に通話が繋がるまでに、その後10分くらい待たされた。
了