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動的平衡 ~本質は”あいだ”に宿る~

いま、動的平衡という概念に魅了されています。

きっかけは一本の動画。

【究極の対話】福岡伸一×坂本龍一が歩んだ道/「世界のサカモト」が挫折を経て到達した「創造の根源」とは?

なぜか、直感的にこれは見なければと思った動画。こういうときのビビビは、だいたいあたるんだよなぁ。

ちなみに、タイトルだけ見ると福岡伸一さんと坂本龍一さんの対談みたいですが、そうではなくて、本の要約サービスflierのYouYubeチャンネル内で「私が選んだ1冊」をテーマに著名人に語ってもらうという趣旨のもので、途中、親交が深かったという坂本龍一さんとのエピソードが入ってきます。

・分子生物学の世界で機械論的な研究を極めた後に行き着いた動的平衡という生命観。

・テクノ音楽など機械的な音楽を極めた後に行き着いた音楽観。

おふたりが同じプロセスを経てきたからこそ共鳴するところがあったのだなと感じる良い動画でした。

見終わって、動画の中で心に残ったキーワードがいくつかあり、もっと知りたいという知的好奇心がむくむくとわいてきました。興味がわくとトコトン掘らなければ気がすまないワタクシ。そして、すぐにできることに関しては、即行動派のワタクシ。さっそく、福岡さんの著作の中で気になるものをまとめ買いしました。

気になったキーワードは、「動的平衡」「エントロピー増大の法則」「ピュシスとロゴス」「センス・オブ・ワンダー」

思い返せば、10代後半ごろには、二重らせん構造や利己的な遺伝子などを扱った本や、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」「センス・オブ・ワンダー」なんかも興味を持って読んでいたので、もともと生物学には興味をもっているのが、再熱しました。

購入したのは、この8冊。


ということで、2月はどっぷり福岡さんまつりをしておりました。

福岡さんは生物学者だけど、文章がとても味わい深く、詩的でもあり、しかも読みやすいのでスルスル読めちゃうのです。もちろん、何冊も読むと同じような話がなんども出てくるのですが、それがまさに同じ著者の本をまとめ読みする醍醐味でもあり、著者の伝えたいことがくっきりはっきりとし、自分の中によりしっかりと吸収されます。

蝶の美しさに魅了されたところから昆虫少年となり、新種の発見を目指した少年時代、分子生物学者となり、複雑な生命現象を構成要素から解き明かそうと遺伝子の研究に没頭した若き研究者時代を経て、機械的な生命観に疑問を感じるようになり、結果「動的平衡」という生命のあり方を提示するに至った福岡さん。

機械論的な生物学を行き着くところまで追求した結果、生命の本質は遺伝子や細胞といった要素にあるのではなく、要素と要素の関係性、それらの「あいだ」で起きる相互作用にこそあり、そこに生命が宿っているのだと気づいたことが、パラダイム・シフトとなったそうです。


動的平衡とは

宇宙には「エントロピー増大の法則」という大原則があり、エントロピー(乱雑さ)は、時間とともに必ず増大する、つまり秩序あるものは必ず無秩序に向かうそうです。

身近な例でたとえると、整理された机の上はいつの間にか散らかり、熱々のコーヒーも冷めていく。どんなに頑丈な建築物も、風雨にさらされればだんだん老朽化し、いずれ壊れます。

人間も、ひとりの人間の一生で考えると、エントロピー増大の法則に抗いながら、やがて死を迎えます。死ぬことによって自分が占有していた空間や食べ物を別の生物に手渡すことができます。そこでまた新たな生物がエントロピー増大の法則と戦い始める。世代交代は、親から子へ遺伝子が引き継がれるという意味もありますが、生命の本質を「動的平衡」と考えると、流れの中である個体として淀んでいた分子が、ほかの淀みへと向かうということになります。動的平衡という生命観でとらえると、死というのは究極的な利他であり、利他的な相補性が絶えず成り立つことによって生物は38億年もの間生かされているといえます。生命体は「わざと緩く作って、部分的に壊しながら作り替えていく」という戦略で、38億年もの長きにわたって秩序を維持し続けてきました。動きを止めず、小さな新陳代謝を重ねながらバランスを保ってきた。それが「動的平衡」です。

なかなかイメージしづらいと思うので、こちらの動画を。

どうでしょうか。生命体は、静的なものではなく、動的なもの。そこに1個の生命体として存在しているのは、安定しているのではなく、平衡している。常に分子を壊しながら新しい分子を作っている。閉ざされた個体の中で循環しているのではなく、壊したものを外に出し、個体の外から取り入れたものをつかって新たに作り出している。そのことが感覚としてつかめると思います。

そこに生命が存在するとは、たんぱく質の分解と合成を繰り返しながら、ダイナミックな分子の流れの中で、たまたま密度が高まっている状態であること、生物は自然崩壊に先回りしてみずからを壊し、環境から取り込んだ分子を使って自分をつくり直すことによって、エントロピーを体内システムの外に捨てながら分子の淀みとしての形を保っているということをイメージできるとてもよくできた動画だとうっとりします。

この動画、ほんといつまででも見ていられる。なんて美しいシステムなんだろう。。。

私たち人間の「意識」には、どうしても壊すことに対する恐怖がありますが、この動画を見ていると、生物としての人間の「細胞」は自らを壊すことを躊躇することなく、というか、新しくつくることより先に壊すことをし続けていることがよくわかります。生物は、自らを壊すことで進化してきたということも。そう考えると、壊すことに対する恐怖なんてなんなく乗り越えることができそうな気がしてきます。

法隆寺と伊勢神宮のどちらがより生命的か

生命の本質を「動的平衡」と捉えたとき、生命的とはどういうことを意味するのか、ということがよくわかる事例があったので、ご紹介します。

法隆寺の近くに住んでいて、伊勢神宮も隣の県ということもあってたびたび訪れるので、すごく親近感のわくおもしろい比較だと思います。

問い:
生命の本質が動的平衡だとしたら、法隆寺と伊勢神宮のどちらがより生命的だと思いますか???

ヒント:

  • 法隆寺は世界最古といわれる木造建築で、築1400年以上だが、部分更新を続けてきて、聖徳太子の時代の部材は今ではほとんど残っていない。

  • 伊勢神宮は、1300年に渡り繰り返されてきた式年遷宮があり、20年に一度、すべてがつくり替えられる。

いかがでしょうか?

伊勢神宮の方が世代交代、新陳代謝しているという感じで生命っぽいと感じる方が多いのではないでしょうか?がしかし、実は、「動的平衡」の観点でみると、法隆寺の方がはるかに生命的なんだそうです。

伊勢神宮のようにすべてを造り替えるためには、土地やまとまった材料などが必要になります。もちろん、1300年続いているということは継続的にそれができるシステムが完璧に整えられ、引き継がれているからこそ持続しているわけですが(以前、渋谷聡子さんの講座で式年遷宮について学んだのですが、20年かけて木を植えるところから始めるマジですごいシステムです)、一般的な建物の場合、すべて壊して新しく造り替え続けるなんて普通はできません。コストもかかるし、持続できなくなる可能性の方がずいぶん高い。対して、法隆寺は築1400年以上。聖徳太子の時代の部材は今ではほぼ残っていませんが、少しずつ、しかし、絶えることなく部分更新を続けながら、当時の姿を保っています。そんなわけで、「動的平衡」の観点でみると、法隆寺の方が生命的だそうです。

自然はコントロールできない

本来、自然はコントロールできるものではなく、最も身近な自然である自分自身の身体さえ、簡単にコントロールすることができないことのほうが多いですよね。

にもかかわらず、現代の社会では、近代西洋文明を土台とするパラダイムがあり、あらゆるものが機械論的な考え方や手法によってコントロールできると考えてしまいがちで、自然さえもコントロールできるものだと思ってしまう。特にAIやビッグデータであらゆる問題を解決できるという幻想にとらわれている人もいます。しかし実際は、コロナウイルスの脅威や気候変動などを前にその場しのぎの対策しかできない現実を目の当たりにし、自然というものは、人間が予測や制御できるものではないのだと、気づいている人はたくさんいるのではないでしょうか。

近代西洋文明パラダイムの根っこには、デカルトの二元論的な世界観があるといわれますが、実際の世界や生命は二元論や機械論だけでは捉えきれません。

動的平衡の生命観、つまり生命は分子の流れという視点でみると、世界と自分も、他者と自分も不可分なものであるといえます。こういう捉え方は、仏教的でもあるし、東洋思想的でもあります。精神の充足を求めたマインドフルネスやヨガなどの瞑想がブームだったり、自然との共存を意識した都市設計が考えられたり、モノを所有&消費するよりもシェアをして長く使おうという気運もあります。持続可能性が各所で重視される傾向がみられるといった流れがあることを考えると、動的平衡という生命観はこれからを生きる私たちに大きなヒントを与えてくれる気がしてなりません。

生命体における合成と分解は、確かに逆向きの作用ですが、対立しているわけではなく、お互いに協調しています。車だって、アクセルとブレーキがあるからスムーズに運転できますよね?2つの作用をそのときその瞬間の最適解で調整をすることで、動的平衡の状態を維持しています。

そして、現在の日本では、近代西洋文明パラダイムの影響も多大に受けてはいますが、古来からの日本人の世界観は二項対立ではなく、「変わらないように見えても変化しないものなどなく、すべては常に変化していて、やがて滅んでいく」といった仏教的な無常観に近いものであったことは、これまでの文学作品にも表れています。有名な『方丈記』の冒頭に叙述されているように。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

『方丈記』鴨長明より

こんなふうに、二元論的な対立構造で世界を捉えるより、ずっと豊かなもの見方をする世界観が日本にはあるんですよね。

創造的破壊のヒントは、生命の営みにある?

動的平衡という生命の営みをあれこれ探究していると、「創造的破壊」いう言葉がふっと思い浮かびました。

創造的破壊といえば、経済学者であるシュンペーターが著書『資本主義・社会主義・民主主義』で提唱した経済学用語として知られます。そして、シュンペーターは「イノベーション」を「新しいものを生産する、あるいは既存のものを新しい方法で生産すること」と定義したことでも知られています。

日本では、「イノベーション=技術革新=新製品や新技術の開発による変化」というイメージをもたれがちですが、本来の意味でのイノベーションは、「新しいものを生産することによる変化」だけでなく「既存のものベースにつくり変える」ということも含みます。

創造的破壊を、単刀直入に解釈すれば、革新的な新しいものを生みだすために、古いものをぶっ壊すみたいな、エネルギー大きめの外的な破壊をイメージしがちですが、創造的破壊を提唱したシュンペーターの主張は、需要と供給が変化しないバランスの取れた市場でシェアの奪い合いをしても、市場や経済が発展することはなく、自らの内的変化によって発生するエネルギーでバランスの取れた市場をあえて破壊することで、新たに生産性の高い産業分野が生まれ、既存の成長が止まったり減退したりした分野の労働力や資本などがそちらに流れることで、市場や経済が建設に発展していくというものであったようです。

ということは、創造的破壊の本質は、外的な破壊ではなく、内的な破壊であるといえます。内的崩壊を促して、新しい創造を生み出す。これって、生命の営みを動的平衡と捉える生命観に通じるところがあると思いませんか?

ビジネスの分野でも、「動的平衡」をヒントにしてらっしゃる方は結構いらっしゃるようです。

DeNa会長の南場智子さんとか

独立研究者田原真人さんとか

身体は自律分散型組織

動的平衡は、司令塔からの命令によりそのシステムを成り立たせているわけではありません。
かつては身体は脳からの指令で動いている、「脳」はコントロールセンターであると考えられていましたが、実際は、中央司令塔である脳が全ての臓器、細胞に指示を出しているわけではなく、個々の細胞が周囲の細胞・分子との「関係性」をみながら自律的に動き変化に対応していることがわかってきました。つまり、身体は、自律分散型の組織なんですね。

脳からの指令がなくても、身体の各組織で起こった問題をそれぞれでちゃんと解決できるんです。脳からの指令がなくても、肝細胞はお酒を分解するし、筋細胞は筋維を収縮させて力を発揮する。環境の変化を察知したら、その場その場で処理するしくみになっているそうです。そして、体内にはさまざまな細胞に分化する能力を備えた幹細胞が温存されており、いざ問題が起きればそれらが増殖し、分化して組織を再生させます。けがが治るのも、こうした再生能力があるからです。しかも、細胞の役割分担は可変的で、ある細胞が欠落すれば、他の細胞がその役割を補うこともできるんだそうです。こんなすごいしくみが、自分の中にあるなんて、不思議ですね。

生命の本質は、“あいだ”に宿っている

かつて人間の遺伝子をすべて解読する「ヒトゲノム計画」がアメリカで発表され、今や人間の遺伝子はすべて解読されています。遺伝子がすべて解読されれば、生命とは何かが解明されるのではないかと生物学者たちはみな期待していたのに、実際はすべての遺伝子が解読されてもなにもわからなかったそうです。わかったのは、生命の本質は分解された分子(遺伝子)そのものではなく、その相互性、つまり“あいだ”の領域に宿っている、ということでした。
そして、生命の営みは、流れる時間の中で、自らのピースを壊すこと、そして新しいピースをつくることを同時にやりながら、常にジグソーパズルを試行錯誤しながら組み立てるように、まったく関係ないもの同士をつなげたり、つなげかえたりしつつ、試行錯誤しながらお互いの関係性やつながりを調整し、バランスを取っていて、決してロジカルなんかではなく、カオス状態で動的に調整を繰り返して平衡を保っているそうです。

動的平衡で考えれば、私たちの身体は、一年前と今ではすべてが新しくなっている、と言えるほど変化し、分子単位でみても細胞単位でみても、1年前とはまったく違うものといえます。すべてが入れ替わったているのに、どうして平衡を保てるのか。それは、細胞同士が、互いに、情報・エネルギーを交換することで影響し合うという「関係性」や「つながり」のしくみは変わらず存在するからで、細胞自体は変わっているのに、それぞれの細胞同士は同じように関係しあって、全体としてはバランスを取れるという、巧みなしくみを生命は持っているんですね。

VUCA時代を前に、これまでの中央集権的な組織から、自律分散型組織への移行が推進されるようになりました。組織論も、さまざまな角度から論じられていますが、こうやってみてくると、組織論を考えるときにも動的平衡の考え方は大きなヒントをもたらしてくれそうです。

まとめ

自分の知的興奮のおもむくままに、身勝手に長々と書いてきたわけですが、世界中で社会問題が山済みで、分断が進み、戦争や内紛がたえず、未来は不確実でネガティブ要素しかないように思える現代にあって、人間が生み出した諸問題の解決の糸口は、自分たち自身の生命としての営みの中にあるとすれば、それはとても希望を感じることです。
壊すことを恐れないこと、ものごとの「あいだ」にあるつながりや関係性の中にこそ本質が宿るということを知ること、よくわからないもの、あいまいなもの、モヤモヤする状態、見えないわからない世界から目をそらさず、カオス状態楽しむ余裕を持つこと、そんなことを心がけていきたいなと、動的平衡に出会ったことで強く感じています。

そして、物質的充足から精神的充足へとシフトしている現在において

遊び、瞑想、マインドフルネス、内観などは、「あいだ」の感覚を受け入れるための手段

自然の中で遊ぶ体験(キャンプブームとか)は、センスオブワンダーを思い出すための手段

として機能しているのではないか、と考えています。

感じ方は人それぞれですが、わたしとしては、動的平衡の考え方に出会ったことで、未来に希望を持つためのヒントを得られたし、これから生きていくうえで、指針になるものと確信しており、これからも福岡さんの著書や対談記事、動画等もウォッチしていこうと思います。

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