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被災地

ゼミの活動がきっかけで、岩手県釜石市に訪れた。
期間は2週間滞在して、長く濃い時間を過ごした。私が行ってみた感想や感じたことを書くことにした。

訪れる前

訪れる前は、釜石の津波の被害が凄かったところだと認識していた。そのため、地震が来たら怖いなという感情があったり、住宅がなく新地で発展してないんだろうかという生活面での心配があった。
実際に親には気をつけてねと何回も言われたし、「釜石市 現在」と検索しても今の状態が出てこなくて、私の中では釜石は未知の世界になっていた。

移動

釜石市は東京駅から5時間ほど新幹線で行く。新花巻から釜石までの移動時間が1番長かった。

釜石線をずっと乗っているとどこが被害があったのかな、ここは大丈夫だったのかななどと想像をしていて、最初はすごく不思議な気持ちに。

釜石市は山が多く、トンネルを何度も何度も通り釜石駅に着いた。


釜石市に降り立ってみて

釜石に降り立ってみた感想としては、普通であった。
それはそうだ、2011年からはもうすぐで13年が経つ。

建物も新しいものが多く、道が整備されている。車通りも多い。しかし、歩いてる人がすごく少ない。海沿いに行くと歩いているのは私たちしかいなかった。

海の方に行くと、大きな人が歩けるようなグリーンベルトが作られていた。
釜石港の付近には至る所に、避難の看板があり避難のためにこのグリーンベルトが作られていた。

震災前、ここの釜石港には、ギネスに載っていたほどの大きな津波を止めるための釜石港湾口防波堤があってこの防波堤は壊れてしまったが、一定の効果はあり、その防波堤で逃げる時間が稼ぐことができ助かった命があったのかもしれないと釜石の方々の地域の人から教えていただいた。

震災のこと

岩手県には至る所に、震災の後が保存されている。もう2度と悲惨な被害を出さないためである。

私はこの2週間でたくさんの保存館や展示室、建物を見た。

陸前高田駅から降りると1番目に入る。このビル。
1番の上のところギリギリまで津波が来たらしい。
周りは山を切って、必然的に土地上げを行った陸前高田。
奥には一本松を守ったホテルと奇跡の一本松
変わり果てた道の駅。
一本松の近くの海
陸前高田の風景
未来館に展示されているもの。津波で岩手からハワイにたどり着いたらしい。

博物館や展示などをたくさんみたが、衝撃なこともたくさんあったし、少し複雑な気持ちになった。この機会に学べてよかったなと思うし、岩手にこなければこの感情に合わなかった。本当に行って良かったなと身に沁みて感じた。

震災のことを学ぶのは少し怖い気持ちになる人もいると思うが、その気持ちを乗り越えて実際に見てみることが自体が自分の知識や自然災害の多い日本で生きることの実感にもなるのだろう。

自然と共に過ごす


震災を学ぶ中、地域の方たちが温かく自然に話してくれる環境をこの2週間で実感した。
美味しい食べ物、美しい景色が溢れる街。もっと多くの人に知ってほしい。

岩手県の沿岸部は、観光者が少ない印象であった。
私は元々混雑しているところが好きではなかったので、すごく心地よかった。

あまちゃんの三陸鉄道
木を植え、切り、自然を守る。
津波に流されて、砂浜を一からつくったらしい。
船に乗せていただいた。
ほんとに生きてて今まで1番綺麗だった浄土ヶ浜
またいきたい

ここからご飯。

陸前高田にあるwawawaさん。毎日違うお惣菜が並ぶ。
店員さんも優しくて、楽しんでね〜とかありがとうなどの言ってもらって、ほんとに最高だった
魚河岸テラスのひかり食堂さん。
宮古市のおかめさん。ここの店員さんも気さくに話してくださった。

地域の方が気さくにいっぱい話してくださるから、いい思い出しかない。

釜石のミッフィーカフェ。
また来てね〜って言われて2回行ったところ。
まじで美味しすぎて飛んだ。味噌おこしおすすめ

美味しすぎる街。岩手。私は食から元気を貰い、景色に癒しをもらった。
ほんとにいいところが多い。

最後に

今回、これらの写真のもの以外に、林業や漁業などの街づくりについても話を聞くことができた。

ここの人たちは、お互いに助け合い、この街を守っているのだとたくさん感じた。今回の滞在で学んだことは、一生忘れないものだろう。

私にとって、今回の13回目の3.11は以前と違う、感情になる。
また、この地に訪れたい。
3.11を忘れない。

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


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