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「厳密さ」と「わかりやすさ」はトレードオフである

こんにちは。

突然ですが、みなさんは「ボーアのモデル」についてご存知でしょうか。
高校で習う、陽子の周りを電子がグルグル回っているあれです。

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これはあくまで簡易的なモデルで、大学に入ると電子軌道論というのを習います。
大学の授業では厳密に教えられることが求められているため、大体こんな感じで習います。

電子の状態は波動関数によってあらわされる。実は電子の位置は確率的に決まり、これを記述する方程式がシュレディンガー方程式である。
電子軌道とは電子の状態を表す、位置表示での波動関数のことを指し、電子状態は4つの量子数で表され、主量子数が電子の波動関数が原子半径方向の定常波を表す量子数であり、方位量子数が小さい順にs軌道、p軌道、d軌道…となっていく。

うん、確かにそうなんです。
全てを正しく伝えようとしたらこうなるんですよ。

でもどうですか?分かりますか?
多分分かる人は、既にシュレディンガー方程式や量子化学についてある程度知っているから分かるだけじゃないですか?

これを習うのは高校卒業してすぐですよ。分かるわけないんです。


以前、「ヨビノリ」は理系大学生における救世主であるという記事に、大学の授業がいかに分かりにくいか、そしてその理由が、教授は研究のプロであって教育のプロではないから、だと書きました。

しかし、教授は論文を書きますよね。それを発表しますよね。
それってのは自分の研究成果を他者に伝えるスキルです。教育とちょっと似てませんか?それなのになぜ、研究者は教えるのが下手なのでしょう?

僕は、「厳密性」こそがこの原因だと思います。


論文では「厳密性」が超重要である

基本的に論文というのは、途中の論理や前提事実の厳密性が大変重要になります。
例えば、「日本は少子高齢化社会であり、高齢者への支援が今まで以上に必要である」という文でさえ、厳密性は求められます。

ほんとに少子高齢化社会なの?
少子高齢化社会が真実だとして、高齢者への支援はこれ以上必要なの?現状で実は十分だったりしないの?

そういう細かいところにも、客観的な厳密性が求められます。
論文というのは、細かな隙も許されず、全て厳密に説明した上で書く必要があるのです。


「わかりやすさ」に「厳密性」は必要ない

一方、わかりやすく物事を教える際は実は厳密性がそこまで必要ではありません。
もちろん嘘をついていいということではないんですが、ある程度のあきらめは必要です。

例えば、先ほどの電子軌道なら、厳密性を捨ててこれぐらいの説明のほうがかえってわかるもんです。

高校まではK核、L核…というのがあり、電子はぐるぐる陽子の周りを回っていると習ったと思いましたが、実はシュレディンガー方程式というのを使うと、電子の状態が4つのパラメータで決められることが分かっています。
4つのパラメータのうち、主量子数0,1,2が何番目の軌道かってことを表します。主量子数が0ならK核、1ならL核と思ってください。
そして実は電子はぐるぐる円形で回っているんじゃなくて、変なルートを通ることが分かっていて、それは方位量子数というパラメータで決まります。方位量子数が0,1,2の順にs軌道、p軌道、d軌道…って呼ばれます。

厳密に言えばこの説明にはいくつか間違っている部分もあります。しかし、0%わからない伝え方より、80%わかる伝え方のほうが、少なくとも実務上は有効だと思うのです。80%分かった後に、色々ほかのことを学んでから厳密な説明を見る、のほうが理解しやすいんです。

例えば、球の表面積は体積を微分すれば求められますが、普通中学生ぐらいの時に公式を覚えちゃって、高校の時に微分積分を習って「ああ、厳密にはこう求めるのか!」ってなりますよね。
それが先に微分積分だったらどうです?絶対に覚えられないですよ。

実際、大学より遥かに分かりやすい高校までの授業というのは、この手の諦めの上に成り立っています。
ボーアのモデルもそうですし、摩擦を考えないとか、微分積分を使わないで物理公式を書くとか、厳密性を求めたらそうはならないですが、大枠の理解を優先させて厳密性を捨てているのです。だから大学の授業より分かりやすい。

だって冷静に、1+1=2を覚えるときに、ペアノの公理※から覚える人なんていないじゃないですか。
でも大学の授業とか、教えるのが下手な研究者、あるいはステレオタイプな東大生像である、本人は頭がいいんだろうけど教えるのが下手クソな人がやっているのってまさにそういうことだと思うんですよ。

※ペアノの公理というのは自然数の厳密な定義みたいなやつです

基本的に、受け手というのは教える人に比べると知識の乖離が大きいです。
厳密性を捨てるというのは、教える側、しかもそれが普段論文を書いているような人であると尚更受け入れがたく、全てフォローしなくてはならないような気がしてしまうのですが、結果として全体の分かりやすさが大幅に損なわれてしまっては意味がないのです。

皆さんも、人に何か教えるときがありましたら、多少の例外や論理の穴は許容し、厳密性を捨てて、分かりやすさを重視してみるといいと思います。


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