運命と宿命
今年は何かとこの二つの言葉について考える機会が多かった。
一般的な定義は何なのだろうか。
運命ー「運」は「運ぶ」ではなく、「巡り合わせ」という意味で、人間の意志に関係なく巡ってくる幸、不幸。意志によって幸、不幸を左右することはできないが、巡り合わせによるものなので、日頃の行いや選択で変わるもの。
宿命ー「宿」は「宿る」ではなく、「前世からの」という意味で、前世から定まっている運命のこと。生まれる前から決まっているので、変えることができない。
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わかるようなわからないような…
定義に当てはめて考えだすともう何が何だかわからなくなる気もする。こういう時は自分の感覚が一番だ。
例えば、病気のこと。生まれる前からこうなると決まっていたんだよね。そうだよね。これは宿命だ。と納得し、常に何かしらの覚悟はしている。だけど、冗談じゃないよ。こんなこと生まれる前から決めないでよ。とも思う。"変えられないものを受け入れる勇気を"と唱えながら、これは変えられるものでもあるんじゃないかといまだ諦めていない。だって、実際に少しだけ状況が変わったから。今こうやって文章を書いていること、誰かと会話していること、このこと自体が奇跡なのだ。これが宿命だとしたら、病気を覆すまでがセットだ。きっとそうだ。
運命について。わたしはこれまで、運命を感じたことはなかった。そんなわたしに今年、これは運命だと確信する出来事が起こった。説明し難い感覚とあっという間に心の奥に根を張ったもの。自分がこれまで選択してきたことひとつひとつがここに繋がったという爽快感。
運命の「運」は「運ぶ」という意味ではないと定義されてはいるが、わたしにとっての運命は巡り合わせでもあり、命を運んできてくれたものとも言える。これまで色のなかったわたしの世界の一部に命が吹き込まれ、鮮やかに彩られ始めたから。これから先、この世界はどんな色で埋め尽くされるのだろう。色の変化はあれど、無色に戻ることはない。
2020年、わたしの世界は一変した。その世界はこれまでのわたしを否定するものではなく、それら全てをひっくるめて生きていける世界。これまでよりずっと居心地が良く、息がしやすい世界。
2021年、この世界は元気を取り戻しているだろうか。わたしの世界がそうであったように、この世界も新しい色を加えながら再生に向かって欲しい。
最後に。皆さん、良いお年を。また来年、皆さんそれぞれが綴るユニークな世界観を拝読できることを楽しみにしています。