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モノに罪はない、という常識

2020年6月11日、(割とカジュアルな)マジックコミュニティに衝撃が走った。

この突然の声明に、だ。
私はこの件について、(マジックのジャッジであるということを特に隠すでもなく)英文・和文双方で色々と公言してきたが、一度私の立場から「何が問題なのか」をまとめて置きたいと思う。

前置きをしておくと、私はこの件に対して必ずしもニュートラルな立場ではない。なぜなら、私自身はもう7~8年もこの《Invoke Prejudice》をメインの統率者デッキで(たまに抜けたりはしたけど)使っていたくらいには好んでいたカードだからだ。また、同様に(白は自分の趣味ではなかったので決して使うことはなかったが)《Jihad》や《十字軍/Crusade》が他のカードで代用できないという立場にも多大なる理解を示したい。
あと、この記事の中で、「実際に何が悪くてこのカードが排除されたのか」という文化的な説明をするつもりはない。そういうのはもっと頭の良い方々におまかせする。

1) フィクションに現実を持ち込む愚かしさ

 言うまでもないが、マジックのカードに我々が住むこの現実の地球を舞台にしたものは(唯一怪しい「ポータル三国志」という例を除いて)存在しない。例えば《十字軍/Crusade》に描かれている「十字」は決してキリスト教の象徴ではないし、それが攻めている先も決して現実のイスラム教徒ではない。同様に、アラビアンナイトの舞台はラバイアという架空の次元である。即ち、そこに描かれているものは現実ではないのだ
 (どんな文化圏でも基本的に悪であるはずの)「人間を殺す」ことを直接的にカードがもう山程刷られているカードゲームにおいて、「差別を想起させる」などという曖昧で主観的な判断基準を持ち込んで善悪を語るなど、もうこの上なく愚かな行いと言わざるを得ない。
 フィクションはフィクション、現実は現実だ

2)作者と作品は切り分けろ

 《Invoke Prejudice》のイラストを描いたHarold McNeill氏は「ネオナチ」として有名らしい。そのせいで、海外を中心に「そのカードだけじゃなくて、氏が関わったすべてのカードを排除しろ」という意見も散見される。
 だが、そもそも絵を描いた人間がたとえネオナチだったとして、だからなんだというのだ。おおよそすべての創作物について、理性的な人間であれば「作品」と「作者」は別個として扱うだろう。例えば太宰治は無理心中未遂を繰り返して女を何人も殺したようなヤバい奴だが、そのことが彼の残した作品の評価を毀損するものではないし、W.A.モーツァルトはもう社会人としてアレ過ぎる人だったが、だからといって彼の書いた曲を否定できる人はおるまい。
 作者の人格と作品は別物だ

3)ゲームにおけるカードの意味

 そもそも、TCGにおける「カード」とは何だろうか。言うまでもなく、「遊ぶための道具」である。その是非は、当然ながらその目的に照らしてどうか、というのがまず最初の判断基準であるべきだ。アートを修正する、名前を修正する、といった「修正」ならまだしも、ゲーム以外の要素でカードを「排除」することは、TCGとしてのアイデンティティすら揺るがしかねない。
 第一、先述したとおりこれらのカードには「ゲーム上このカードを使う理由」が一定以上に存在しており、他のカードでは代替できないのだ。もしそれらをゲームとは関係ない理由で排除するというのであれば、せめてWotCは代償として「代わりのカード」を用意すべきだろう
 運の悪いことに今回排除されたカードの大半は再録禁止カードだから、「タイプやコスト、能力やP/Tが完全に同一」なカードを刷ることはリプリントポリシーに抵触するらしい。が、別にそんなことは被害を受けたプレイヤー(やコレクター)の知ったことではない。たとえリプリントポリシーを巡る裁判沙汰になったとしてでも、果たすべき責任がある。

 第一、WotCはこの件について更に追い打ちをかけている。今回いかなる客観的な基準も反論の余地もなく一方的にカードを排除したWotCは、あろう事か「まだやる」と言っているのだ。これが何を意味するかは言うまでもなかろう。

 この「確認」とやらが終わるまで、我々はいかなるカードも買うことはできない

 ということだ。WotCは不明瞭な基準で一方的にカードを禁止するだけして何の補償もしてくれない。排除されたカードだけでなく、デッキの重要なパーツが消えることによって他のカードの利用価値まで変動することを考えたら(それこそ今回だけでもオールドスクールの白単や黒単は相当に影響を受けているはずだ)、もう恐ろしくてカードなんか買えたものではない。

4)「偏見はやめろ」という偏見

 そもそも論だが、果たして今回排除されたカードたちを見て、「どれもが『人種差別的』か、文化的な侮辱を含む」と自信を持って断言できる人がどれだけいただろうか。はっきり言って、これらのカードを「差別」だと断ずる事自体が一種の偏見なのだ。現実問題、世の中には(当然差別的な意図を持たずに)これらのカードを使っていた人が沢山いるのだから、「これらのカードは差別的だ」という考え方は全く「世界共通の認識」などではない。
 ところでマジックというカードゲームは、常日頃から「世界」を強調し、「多様性を尊重する」と言い続けている。果たして、世の中のごく一部(具体的に言えば所謂「青い州」)でしか通用しない、偏狭な「正義」を振りかざしてカードを排除する行為は、果たして「多様」なのだろうか?
 
マジックと言うカードゲームは、つい昨日までは「信心を稼ぐためにジハード十字軍を並べます」なんてことがゲームにとっての「普通」として受け入れられていたゲームだったはずだ。確かに現実の世界でいきなり発したら白い目で見られかねないような字面だが、そこに政治的な意図を含めることなく、フィクションはフィクションとして扱えていたのだ。それを、一面的な「正義」で台無しにする行為は、「多様性の尊重」とは対極だろう
 第一どんな表現であろうと、その気になれば「差別だ」だの「偏見だ」だのというイチャモンはいくらでも付けられる。はっきり言ってキリがないパンドラの箱なのだが、WotCは本気で全てと向き合うつもりなのだろうか?たとえばアジアをモチーフにしたカードには(割と人を不快にしかねない)ステレオタイプが時として含まれているが、それも全て排除するのだろうか?

5)一方的な糾弾

 ところで日本語版だと少しぼかして訳されているのだが、実のところ(ことInvoke Prejudiceに限って言えば)英語版ではズバリracist、つまり「人種差別だ」と断言している
 これを別の視点から見てみると、「WotCは、(その意図を持たずに)排除されたカードを使っていた人達のことを人種差別者だ」と糾弾している、とさえ取れるだろう。言うまでもないが、現代の社会において誰かに「差別者だ」というレッテルを貼ることは、かなり強い攻撃であり、侮辱である。つまり、言い換えればWotCは、客を一方的に侮辱していると言える。とんでもないことだ。

まとめ

 つまるところ、今回のWotCの決定はフィクションと現実の区別がつかないだけでなく、世界のごく一部でしか通用しない価値観で多くの人の心情と財産を毀損するものだったと言える。

(言うまでもないが「世界のごく一部でしか通用しない価値観」とは「差別はよくない」ということを指すわけではない。「これらのカードが差別的だ」という偏見を指している。)

 もちろん、WotCはカードの排除に対して唯一絶対の決定権者であり、その決定は一般人が何を言ったところで覆るものではないし、少なくとも彼らにはそれをする権利がある。だが一方で我々一般人も、彼らが何かおかしいことをしているときに批判する権利はある。どこぞの口の悪い人たちはこういう状況を「第二の文化大革命」と呼ぶようだが、不幸中の幸いながら(少なくとも現時点では)我々にはまだ言論の自由は許されている。だからこそ、我々は彼らのアホな決定を批判し続けるべきなのだ。


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