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若者だから
「大丈夫だよ、若いんだから」
という言葉に嫌悪感を抱いたのはいつからだろう。
シンヤはふと、考える。
◇
現在26歳。
シンヤは、かなり壮絶な26年を送ってきたつもりだ。
高校教師である父は、家ではひどい暴力を振るう男だった。
外面も社会的立場もいい父は、誰からも「いい夫」と認識され、母は「素敵な旦那さんねぇ」という屈辱的台詞を何度となく言われてきた。
父からいじめ抜かれる母は、ヒステリックな愚痴を長時間シンヤに聞かせた。
母のつんざくような声を聞けば聞くほど気が滅入った。
仲良しだった兄は、就活に失敗。
エリートだった兄が部屋に引きこもり人と接触を持たなくなるとは思わなかった。
かくして暴力父、ヒステリック母、引きこもり兄という家族に囲まれたシンヤは、大学進学を機に逃げるように家を出た。
友達と家族の話題になるのが怖かった。
シンヤの家族ってどんな人たち?
そんな日常会話に、追い詰められる。
信頼できる上司や先輩に相談したこともあった。
その度に言われたのだ。
「大丈夫だよ。若いんだから」
◇
「おれも大丈夫だと思うよ」
親友・ヒロの電話口での一言に、肩透かしを食らった。
ヒロは学生時代からの親友だ。
「なんの問題もない家なんかないって」
と、彼は明るく話す。一大決心のつもりで相談したのだが…。
「でも若いから大丈夫って、意味わからないよ。おれの家庭環境、おれが若くたって直しようがないよ。それなのに若いから大丈夫ってなんだよ」
ヒロは無言で先を促す。
「元カノに、付き合って半年目にうちの話をしたんだ。そしたら『そんな家の人とは結婚できない。それを知ってたら付き合わなかった』って振られた。『そんな家』だってさ。
おれが今さら努力したって、『そんな家』に生まれた事実は変わらないんだよ。
親父がお袋をいじめて、お袋の金切声を聞いて、兄貴が今までと全然違う人みたいになって。おれだって」
一度言葉にすると
溢れてくる。
「おれだってけっこう辛い思いしたんだけどな。
若いって損ばっかりだよ。おれが必死に辛かった話をしても、"卑屈になってる"って捉えられる。
若かったら悩んじゃダメなのかよ。若者の絶望ってそんなに軽いのかよ。じゃあ大人はみんなおれより辛い人生送ってきたんだろうなって言ってやりたいよ!」
そこでハッとする。これは明らかに八つ当たりだ。それになにより
「…これもまた"卑屈"か」
自嘲気味なシンヤの声を、ヒロの快活な笑い声が遮った。
「別に卑屈だなんて思わない。おれも、大人だからって知ったようなこと言うなって思うことはあるさ。でも」
電話口からガサガサと音がする。姿勢を正したらしい。
「大人たちが言う"若い"は、きっとシンヤが捉えてるような意味じゃない」
「そうかな…」
つぶやいたシンヤの声は、情けなくなるほどかっこ悪かった。
「シンヤ、職場に気になる女の子いるって言ってたろ。シンヤのことだし、家族のことが負い目で告白もできないんだろ?」
うっ、と声が漏れる。職場の後輩、イサカさんのことだ。内気で物静かなのに、苦手な接客を健気に頑張る姿に惹かれて早数ヶ月。何度か食事に行ったことはあるが、ヒロの言う通りなにも進展はない。
元彼女に言われた『そんな家』という言葉。
再び、今度はイサカさんの口から聞くことになったらと考えると、怖かった。
「その子に家庭事情のこと話してみな」
「どうして」
「そうすればわかると思うんだよな。大人の言う"若い"の意味。たぶん大人ってさ…」
◇
「私、お父さんいないんです。浮気癖がひどくて、お母さんと逃げてきちゃいました」
「へ?」
なんとか誘った食事の席で勇気を持って家庭事情について話したら、そんな言葉が返ってきた。
「お母さんなんて毎日愚痴ばかりです。元旦那に人生を狂わされたって」
そんな辛いことを、イサカさんは笑顔で話すのだ。思わず聞いてしまう。
「辛くなかった?というか、おれの話聞いて、変な家だとか思わないの?」
彼女は一瞬驚いたような顔をした後、クスクス笑い始めた。
「辛かったですし、だれにも言いたくなかったです。昔友だちにこの話したら、『やばい家だね』って言われちゃって。それからもう誰にも頼ってやるもんかって思ってました。卑屈って捉えられるのも嫌ですしね」
同じだ。この子は自分と同じだったんだ。
いや、少し違う。だって彼女は
「シンヤさんとこんな話ができて嬉しいです。変な家だなんて思いません。それに私たちまだ若いじゃないですか!これから明るい話をたくさん作っていけますよ」
こんなことを笑顔で言えるのだから。
この子はおれよりずっと強い、とシンヤは思った。
その笑顔をみて、しまったと思った。
これはまずい。
こんな笑顔を見てしまったら
本当に大丈夫だと思ってしまう。
あんなに嫌悪していた言葉だったのに。
大人ってさ
ヒロの声が頭に蘇る。
みんな後悔してるんだよ。
あの時なんで逃げたんだ。
なんで諦めたんだ。前を向かなかったんだって。
悲観する以外の選択肢がいくらでもあったのに、それを選ばなかったことを大人になってから悔やむんだ。だから同じ気分を味わせないように、必死なんだよ。
でもそんなこといちいち言ってたら説教くさいだろ?だからこう一言でまとめるんだよ。
「若いんだから大丈夫、か…」
「はい!大丈夫です」
彼女の無垢な笑顔を前に
シンヤはこの日はじめて
大人になれた気がした。
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