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嫌な二月と、嫌いな自分と。

 思い立って自分のことを少し書いてみる。

 ちょこちょこ仕事を変えている(結果的にそうなってしまった)自分であるが、以前までの職場では、基本的には、滅私の精神で職場にいた気がする。和を重んじるっていうと聞こえはいいけど、単に嫌われたくない、集団の中でうまくやっていきたいっていう思いが強かった。

 これ、うまくいってるときはよいのだけれど、うまくいかないことの方が多いし、どんどん自分がなくなっていく。そして、しばらくしてようやく気が付いたのが、

 知らず知らずのうちに人に操られている。

 これ、あとから思うとすごい腹が立つことばかり。まぁ自分が間抜けだったんだなと思うのだけど。

 だから辞めることにしたんですね。そういうの一切合切。でも、そんなにいきなりできるわけない。今までの自分がこびりついているから。それを無理に引きはがそうと、今の職場ではかなり極端に強引なことをいろいろ試してみました。職場からしたらいい迷惑だけれどね。

 できないことはできないという。おかしいなと思ったことはおかしいという。愛想は振りまかない。本当のことを言う。おかしいと思った人は徹底的に嫌う、という風に。

 これをやるとどうなるかというと、いや以外にこれが・・・

とはならない。

 予想に全く反さず、みんなの嫌われ者の僕が誕生しました。

 医者にも言われていたけど、極端に振ってみないとわからないこともあるっていうのは何となくこういうことなのかなと思ったり。趣味の料理でも自転車でもそうだなっていうことは結構ある。一回極端に振ってからちょうどよい程度がわかる感じ。こうやってふるまうは、もう一つ目的があって、この職場を自分が居心地のいい場所にしないようにするっていうのもある。

 ただこれが人間関係になると、その程度が何となくわかったところで、ちょうどよいところにシフトしても、その人の印象っていうのはなかなか変わらないので、依然として僕は嫌われ者のままなんだけども。上司とは挨拶以外口をほぼ口を利かないし、控室みたいな人が集まっているところにも極力近寄らないようにしている。

 そんな、嫌われてるかなんてわからないじゃないって思うかもしれないけど、それがわかるの。なぜかといえば、それは

僕がその人たちを嫌いだから。

 自分が嫌いな人間から好かれるということは、まずないというところからきている。

 嫌われることにいい気持ちはしないけれど、自分の行いは自分に帰ってくるので、それはしょうがないと思っている。自分だって何らかの形で自分の人生に責任とをって生きているのだから。自分のしたこと、その過ちを知っていく過程が人生なんだろうと思う今日この頃。思った矢先から意図的に過ちを冒していく自分がいるので手に負えない。

 そんなことを考えていた矢先、僕を嫌いな人間の代表みたいな人が、いきなり僕の前に来て、「いつもありがとうございます」と言ってチョコレートを渡してきた。

 すごいよね。悔しいけど素直にすごいと思った。その人は別にありがとうなんて思ってないだろうし、なんなら口もききたくないだろうけど(だってめっちゃいやそうな顔してたもんw)、そういうことができるのは僕とは異質の滅私があって、この人は職場の中でどうやって人間関係を作っていくかを考えているのかもなと感じた。僕にはできない。

 かといって僕はこういう人間には絶対になりたくないのだけれど。そういう手法だし、この手のコミュニケーションの取り方は王道のやり方でもある。それに贈り物は本当に感謝している人にしか送りたくないし。関係性を改善するつもりもないし、いつも通り仕事をするけれどもね。

 自分が嫌い、というか好きになる要素がないってこともあって、意図的だけど今の職場では、ほぼ取り繕わない自分を出している。結果嫌われるということは僕がそうやって生きてきたということだし、それを今までうまく隠してきたのだと思う。

 でも、隠しても無駄だなと思ったので、今度は隠さないようにした。結果嫌な思いをすることが多くなったのだけれど、このまま隠さないでいるつもり。そのままいても、人に好かれたい人の顔色をうかがう寂しがりの自分は依然として自分の中に居続けるだろうし、それを殺そうとする自分が自分がいて、今はそちらに主導権をあげているところだけど、今までずっとそうやって自分のことをひた隠しにしてきた分だけ、乖離があって結構辛い。

 この辛さから逃れたいので、朝は毎日死にたいと思うし、いなくなりたいと事あるごとに思う。こんなことをして自分を取り戻せるのかというのは、本当のところよくわからないし、これが幸せにつながるかといわれると、まったくつながらないと思う。

 認めるところから始めないといけない。人間として未熟であり、自分の思ったことを正直に言うことで、人を傷つけることもあり、寂しさから逃げられない、憎しみと怒りが原動力の、していることは何一つ正しくない、つまらない、情けないところばかりの人間であることを隠さない、取り繕わないでいたい。

 僕はまだこれを完全に認められていないのだ。だって嫌じゃないか、自分が情けない奴だなんて、つまらない奴だなんて。思いたくないじゃないか。言葉ではわかっているのだけど、認めることがなかなかできない。自分でそうふるまっているのに、人からそう思われることには耐えられないでいる自分がまだいるのだと思う。

 でも思われているいるのだからそれも変えようのないこと。人を変えることはできないしな…

 このことは一生付きまとってくる問題なのだと思う。いやだな、本当にうんざりする。こんなことをずっと背負っていくことが生きるということなのだろうか、いやだなぁ…このまま消えてなくなれたらどんなにいいだろう。

 考えながら書いていたからあちこち支離滅裂な部分があるだろうけど、このまま残しておく。今日も少し仕事があるのでもう寝ることにする。

 

  

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')