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熟成

 家の味噌床は今年で八年になる。

 もう大分使ってしまったのでタッパーから少し小さい容器に移し替えた。本当は継ぎ足しをそろそろ行わないといけないのだけれど、やっていない。漬け込むよりも隠し味として使うことが多いためなかなか減らないというのもある。八年間悪くなることなく冷蔵庫の奥で熟成を続けている。

 思い返してみると、こういうのは子供のころから好きだった。何かに時間をかけて変化を観察するという作業だ。テレビで見た鰻屋のタレが長い時間をかけて継ぎ足され、古びた甕の中で味わいが深くなることになぜか魅力を感じた私は、自分のタレが欲しくて仕方なくなった。

 ここで、タレの作り方を勉強するなら今頃立派な料理人になっていたかもしれないが、そんなことするわけがない。要は、「継ぎ足す」のと「熟成」がやりたいので、タレを作るという発想がまずない。むしろ既存のタレをことあるごとに入れて混ぜたほうが味が複雑になっておいしくなるのではないかというバカ特有の第六感が働き、このタレ作りは始まった。

 まずは入れ物だ。これはテレビで見たあのような甕でなくてはならない。ちょうど家の戸棚に。おそらく梅干しが入っていたと思われる茶色い大量生産品であろう艶のある陶器の小さな甕があった。それをもらって丁寧に洗い、入れ物は整った。

 問題の入れるタレだが、家が料理屋でもない限り鰻などに使うタレというのは常備などしていないし、その都度使ってしまうのであまりなどない。とはいえ、タレは一番欲しかったものだから目星はつけてあった。

 母がよく買い物に行くスーパーには、店の前で屋台の焼き鳥屋がでていた。この屋台の焼き鳥屋のタレが子供のころの私にはものすごくおいしく感じられた。しょっぱくて香ばしくてほんのり甘くて。それに鶏の脂が混ざるわけだから美味しくないわけがない。焼き鳥はタレだ。子供のころはそう固く信じていた。今はどちらもすきだけれど。

 これなら間違いない。それから母がスーパーに行くときには可能な限り同行し、焼き鳥を食べたいといい、焼き手のおじさんにはタレをいっぱいつけるようにお願いをしていた。塩派の父はどう思っていたのだろうか、思い立って以来我が家の食卓に上る焼き鳥は皆茶褐色だったように思う。

 このタレを焼き鳥が夕食にならぶその都度丁寧に集めて小さい甕のなかにいれておいた。保管場所は大自然に任せるに限ると考えた私は、家の外の物置の隅にこの甕を置き、「ひでんのたれ」という名前までつけて保管していた。

「熟成大切なことは忘れること。忘れないと熟成する前に消費してしまうから。」酒を飲むようになってから教わったことだが、生来の飽きっぽさを持つ私は本当に熟成に向いていると思う。しばらくするとタレのことなどすっかり忘れ、焼き鳥は塩派になっていた。

 何カ月たったろうか。何かの用事で物置に来ていた私はあの小さな甕を発見する。そうだ!これを忘れていた。どれだけうまくなってるんだろうと胸を躍らせながらフタを開くと、懸命な読者はご察しのとおり、甕の中はカビだらけになっていた。

 がっくりして、私はそれ以来「ひでんのたれ」をつくのをやめた。あの日学んだことは十数年を経て今も冷蔵庫で熟成されている味噌床にいきている。

 次に思い返すのはまた八年後か、十年後か・・・

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')