今、思い出すということ。今まで忘れていたということ。
トイレで用をたしていると、ふと中学の時に死んだ同級生を思い出した。
彼とは普通に話すくらいの仲で、成績はあちらの方がすこし上という感じだった。テストで減点されていない箇所を自ら先生に申し出て、「言わなければ〇〇(僕のあだ名だ)に勝てたのに」という正直者でもあった。お葬式ではみんな泣いていたけど僕だけはなぜか涙は出なかった。
彼はなんでも丁寧で、文字を書くときには一画一画に至るまで神経を行き届かせるようにしていたし、消しゴムを使うときも、紙に負担がかからない様に、優しく、それでいて綺麗に消していた。綺麗な字を生む手と鉛筆は僕には自然とすごく綺麗で高級なものに見えた。同じトンボ鉛筆なのに僕のはしょっちゅうガシガシかじっていたせいで尻は歯形ででこぼこになっていたし、その頃の僕の手は赤切れがひどくてずっとささくれて荒れていた。
そういえば小学校のクラブ活動は同じ模型クラブでミニ四駆を作っていた。ボディーに吹いたラメ入りの紫のスプレーが液だれしてるのを見ながらちょっと失敗したけど、これはこれで味があると思っている僕をよそに、もくもくとピンセットでデカールを貼ってから、クリアコートのスプレーを丁寧に吹きかけた彼のサイクロンマグナムはホビー誌で見るような出来栄えで、思わず見とれてしまった。その分液だれしたネオトライダガ―がどんどん色あせていくようだった。
彼のお墓には一度も行っていない。お葬式の時、みんな彼との思い出の端々を口に出しながら、そう、担任すらも彼の成績について触れながら泣いていた。僕はそれが、感情を高ぶらせて無理に泣くために言っているように見えた。だから僕は一言もしゃべらなかったし、涙も流さなかった。ただ彼が死んだという事実だけが胸に刻まれていた。担任が泣きながら彼の成績を褒める。成績がいい人が死ぬのは惜しまれるけどよくない人はどうなのだろう。僕が死んでもここまで大げさなことにはならないだろうな。そんなことを考えていた。
人間はいつか死ぬ。でも今じゃなくてもよかったということはあるかもしれない。彼が生きていたらなんてことは考えても仕方のないことだけれど、事実としてあの時色あせていた僕の方はまだ生きている。なんでなんだろうね。なんで人生ってうまくいかないんだろうね。それとも、これが上手くいった結果なのかね。どうなんだろうね。
チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')