ソメイヨシノのしろい桜

やっぱり情報の量っていうのはコントラストが決定するものだと思っていて、たとえば街灯も月明かりもない夜道や照明の明るい屋内で不安を感じるのは自分の眼に入ってくるコントラストが少ないからであって、それとは対照的にソメイヨシノが美しく安心できるように見えるのは同じ太陽光の下でも白く淡くさくら色の光が他の景色よりも明るく目に飛び込んでくるからだと思うんですよね。
夜桜がきれいなのも同様に暗い世界にさくら色が映えるからであって、ソメイヨシノではない桃色の花弁をあまり好きになれないのもソメイヨシノの明るさがそこにあってのものだと思う。

コンクリートばかりの都会に暮らしているとなかなか桜を見る機会がなくて、今年はどこでどうやって満開の桜を見ようか考えたりもする。
今年見た桜はお酒が入って酔ってしまった帰りの夜道を歩いているときに、家路の公園で咲く街灯に照らされたソメイヨシノだったけれど、これを見たときの安心した感触はここ数ヶ月感じていた辛い、しんどい気持ちを吹き飛ばしてくれた。

地元にいた頃は学校のグラウンド脇に咲く桜や川沿いの桜並木で大した有難みを感じるようなことはなかったけれど、大阪市内に引っ越してきてひとり暮らしをはじめてから心細さを感じるようになってからはその美しさ、安心感、桜を見たいという気持ちが前面に大きく顕れるようになった気がする。

これはやっぱりソメイヨシノでないと分からない。その出自もはっきりと明らかになってはいないクローン植物だという裏設定(?)もオタクたちの心を掴むひとつの要因ではあるけれども、花びらの持つ「さくら色」としか言葉にできない色彩もやっぱり心を打つところが大きい。
どんなに暗い気持ちでも、そこに明るく桜が咲けば、そこにソメイヨシノが植わっていれば、満開の桜が目に飛び込んでくれば、なぜか安心できるんだ。

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